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2011/12/15

 人間は成長過程において、先人がしていることを模倣することで能力を身につけていく。「武道」や「茶道」のような「道」に限らず、人と話すという日常的な事がらにおいても、やり方やタイミングを体感したり認識したりすることで、次第にひとつひとつの動作や発語の意味や重要性を理解するようになる。最終的な目的は、目に見えない心をみがくことであっても、まずは目に見える形から入っていくことが分かりやすく効果的でもある。

 一方、このように形から入っていこうとしても必ずしもうまくいくとは限らないこともある。近代の市民革命は「君主による支配」を否定して法律という形を伴うものを根拠として国政を行う「法治主義」を実現したにもかかわらず、ドイツではヒトラーの登場を許し、人権の甚だしい蹂躙をもたらしてしまった。それは、法治主義という形式を作ったことで安心して、人権の保障に敏感でなかったからではなかろうか。形式さえ作ればそれで良いというものでもないことを、われわれは学ばなければならない。

 ただ、「形を整えることによって自分の心構えをただし、内的価値を高めたい」という明確な動機があれば、形から入ることは大きな成果をもたらしてくれる。

 名著『修身教授録』の著者であり、立腰教育の提唱者である森信三氏も、「人間は心身相即的存在ゆえ、性根を確かなものにしようと思えば、まず躾から押さえてかからねばならぬ」と述べている。

 人間は、子どもを育て、文化を継承し、安らぎを得る場として家庭を作ってきた。単身世帯の増加によって、社会を家庭単位で構成するのではなく個人単位にした方が良いとか、結婚という事がらに行政は関与しない方が良いという意見が聞かれ始めた。夫婦の心が離れてしまっていれば、さっさと別れた方が子どものためにも良いという人もいる。

 しかし、家庭とか夫婦という形は人間が長年かけて最良のものとして作り上げたものであって、簡単になくしてしまうと将来に対する禍根が大きい。とりわけ、心が離れてしまった夫婦でも、子どもの幸福の観点からは離婚せずに維持した方が深刻度は低いというデータが出ている。当の夫婦各員にしても、愛する器を大きくする機会ととらえれば、維持することに積極的な意義を見出すこともできよう。恋愛結婚でも、もともと真の意味で愛があったという保障はないのだし、むしろ愛があるから結婚するというよりも、結婚することで愛を育んでいくと考えた方が当たっている気もする。動機が良ければ、形から入り形を守ることで、忍耐強く寛大な個人と安定した社会が作られるのではなかろうか。
税効果会計(会社の実態を反映するしくみ)

 税効果会計とは、「税務上の法人税等(法人税と住民税と事業税のこと)」を「会計上、計上すべき法人税等」に調整するための会計手法です。

 「税務上の法人税等」である納税予定額は、「益金」と「損金」の差額である「課税所得」に税率を掛けて計算されます。それに対して、「会計上、計上すべき法人税等」である税金費用は、会社の実態を表した「収益」と「費用」の差額である「利益」に税率を掛けて計算されます。「益金・損金」と「収益・費用」は、計上される範囲とタイミングが異なっています。例えば、会計上、問題がある売掛金に対して貸倒引当金を費用として計上することがあります。会社の実態を正しく表すためです。しかし、税金計算上は、貸倒引当金繰入額を、会計上の費用と同じタイミングで計上できないことがあります。税務上は、会社の実態ということとは全く関係なく税法とか国の政策的なことで計上のタイミングが決定されるからです。

 例えば、法人税等の税率を40%と仮定して、会計上は「収益500」と「貸倒引当金繰入額100」を費用として計上したものの、税務上は「貸倒引当金繰入額100」は今期はまだ「損金」として認められずに、「益金500」「損金0」とします。すると会計上は「収益500ー費用100」で「利益400」となるので、財務諸表に計上すべき税金費用は「利益400×税率40%」で「税金費用160」となります。それに対して税務上は、「益金500ー損金0」で「課税所得500」となるので、納税すべき法人税等は「課税所得500×税率40%」で「納税予定額200」となります。このように、「益金・損金」と「収益・費用」とに差異があると、「税務上の法人税等」と「会計上、計上すべき法人税等」とにかい離が生じます。

 税効果会計が導入される前は、「税引前当期純利益400」から、納税予定額である「法人税等160」を差し引いて「当期純利益240」というように表示されていましたが、税効果会計が導入されてからは、「税引前当期純利益400」から「法人税等160」を差し引き、「法人税等のマイナス40」を計上して「当期純利益280」と表示するようになりました。この「法人税等のマイナス」は、損益計算上は「法人税等調整額」という「費用」の科目で表すことになります。

 税効果会計制度導入前は「損金」にならない「費用」は、費用計上しなくても納める法人税等は変わらないうえ、計上しない方が最終的な利益は多くなるので、計上したがらない会社経営者がいましたが、「税務」と「会計」をきちんと線引きするこのような「税効果会計」を導入することで、会計が会社の実態を表しやすくなりました。

国際会計基準(IFRS)

 会計の世界では、会計のルールを世界共通のものに変えるという流れがあります。会計基準をめぐり、アメリカとEUとの間で覇権争いがありましたが、両者が接近し、EUが打ち出したIFRSを日本も結果的には全面適用する方向に舵を切りました。会計ルールを国際共通のものとすることで、企業の財務戦略も国際化され、日本経済にも大きな影響を与える可能性があります。投資家も各国の会社の成績を比較検討し、安心して投資できるようになります。

 このIFRSで財務諸表が変わります。貸借対照表は「財務状態計算書」と、損益計算書は「包括利益計算書」と呼ばれることになります。「財務状態計算書」はさほどではありませんが、「包括利益計算書」は従前の損益計算書と比べ、大きな相違があります。最終的な利益の概念が従来の「純利益」から「包括利益」に変わりました。「包括利益」とは「資産・負債を時価評価した差額(の増減)」を、「純利益」に加えたものです。「時価評価」という概念を強く入れることで、より将来の情報を表すものにしました。

2011/11/15

 何かを学んで知識を増やすとともに、知恵も身につけたい。

 例えば歴史を学ぶ目的は知識を蓄えることではなく、学びから教訓を得て現代に生きる自分の生き方を豊かにする知恵を得ることにあると思う。カレーライスに例えれば、知識とはジャガイモ、人参、玉ねぎのような一つ一つの野菜であり、知恵とはそれらが混在して生み出す絶妙な味のようなものだ。良く煮込んであって野菜の形が見えないからといって、野菜が使われていないのではない。見えないながらも絶妙の味を生み出すのに貢献している。同じように、人はさまざまな学びから知識を得、その過程で気づきを深めることができれば、ひとつひとつの知識は忘れても、智恵を持つに至ることができるのではなかろうか。

 ある会合で、人間の本性は善か悪かが話題になった。博覧強記とあだ名されるA君は、孟子、荀子、ソクラテスやマキャベリ等の言葉を紹介した。しかし、参加者の一人から「君の知識が豊富なのは分かったが、君自身はどう思うの」と尋ねられた時、自分の意見を言えなかった。一方B君は、他者の意見を紹介することはしなかったが、「本性は善だと思う。人は人の心を傷つけたり悪事をすると良心がうずいて苦しむけれど、人の役に立つことや善行をしたからと言って邪心の力が働いて苦しむということは通常ないからだ」と言った。B君の発言が終わるや、知恵がもたらす心地よい沈黙が広がった。

 それでは、知識を得、自分の体験と結び付ける中でそれを知恵とするにはどうしたらよいだろうか。私はフランスの画家のゴーギャンが南太平洋のタヒチで描いた絵のタイトル「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」の質問を常に頭の隅に置きながら生活する中で、天から恵みのように与えられることがあるのではないかと思う。悠久な人間歴史の中に存在する自分という存在の実存的な意味を、宗教的・哲学的に考察することで、共に生きる同時代の人々との間で豊かな人格的交流がしやすくなる。

 私はそのためには、古今東西慕われている聖人の活動をより多面的に考察することが大きな力になると思う。イエスや釈尊の功績は良く論じられるが、彼らは何を悩んでいたのか、彼らがしようとしてできなかったことは何か、彼らがしようとしたことが全部できていれば人間は完全な幸福になれたのか、という点についてあまり論じられていないように思う。

 一方、イエスや釈尊は天に通じていたとすれば、彼らの役割はその時代の課題を解決しようとする「使命」にとどまらず、歴史の初めから存在している「天」の願いに呼応しようとする「天命」と言えよう。「なにごとのおはしますかしらねども かたじけなさに 涙こぼるる」(西行法師)という天の恵みを実感し、さまざまな学びから天の恵みの詳細を知る(知恵)ことができれば、天の願いに自分の命をお返しする(天命)ことができるかもしれない。
 DCF法(Discount Cash Flow Method)は、将来の異なる時点のキャッシュフローの金額を、現在という単一時点での価値(現在価値)へ割り引くことによって、投資機会(設備投資)を評価する方法です。つまり、投資物件の生み出すキャッシュフローの期待値を必要収益率である資本コストで割り引いた現在価値がその投資物件の価値である、という考え方であり、この考え方を応用して、企業を評価するための企業価値を求めることもできます。いずれも、「フリーキャッシュフロー(FCF)」という概念を用います。

「フリーキャッシュフロー」とは

 キャッシュフローのフリーは自由に使えるという意味です。企業の設備投資は本来、営業活動によるキャッシュフローの範囲内におさめるべきであるところから、フリーキャッシュフローは資本投資家に対して分配可能な(自由に使える)キャッシュフローと言い換えることもできます。

 このフリーキャッシュフローには二つの定義があります。
A…「営業キャッシュフロー」ー「投資キャッシュフロー」
B…「営業キャッシュフロー」ー「現事業維持のために必要なキャッシュフロー」

 「投資キャッシュフロー」には、①現事業維持のために必要なキャッシュフロー②未来投資③三か月を超える財務的な投資(定期預金や社債、長期での株式購入など)の三種類が含まれます。

 未来投資や財務的投資は自由に使えるお金、つまりフリーキャッシュフローから行われるべきものであり、それらをも差し引いた残りがフリーキャッシュフローだとみなすAの考え方だと、フリーキャッシュフローは企業の稼ぐ力を表す真の企業の実力値であるにもかかわらず、それを過小評価していることにもなりかねません。しかし、企業外部の人からは「現事業維持のために必要なキャッシュフロー」の額が分かりにくいことと、大多数の企業は未来投資額や三カ月を超える財務的投資の額がそれほど大きくないため、フリキャッシュフローとしてはAが一般的に用いられます。専門家はBを用いることが多いようです。

投資機会の評価法

 DCF法の考え方を用いて、投資機会を評価する具体的な計算方法に正味現在価値法(NPV法))があります。これは、設備投資によって①将来得られるキャッシュフローをすべて現在価値に割り引き②その現在価値を合計し③その合計額から初期投資額を差し引いた値(正味現在価値)がプラスであるとき、その投資代替案を採用するという投資評価基準です。複数の投資代替案があるときは、値がプラスで最も大きな正味現在価値の投資案が採択されます。正味現在価値法は、キャッシュフローの現在価値を考慮している点で優れており、現時点では最も利用価値の高い投資評価基準のひとつと言えます。

企業価値の算定

 DCF法による企業価値の算定には、
A…企業価値を(株式価値+負債価値)として求める方法
B…企業価値を直接求める方法
の二つの方法があります。

 Aの株式価値は、配当金を株主資本の資本コストで除したものとして求めることができ、負債価値は負債利子額を負債利子率で除したものとして求めることができます。

 企業価値を直接求める方法は、企業がその事業から生み出すキャッシュフローの期待値(フリーキャッシュフロー)を事業の必要収益率で割り引くことで企業価値を求めるものです。

2011/10/15

 卒業論文を書いていた大学生の時、指導教官から「太田君、論文の目次ができたら半分できたようなものだよ」と言われたことを覚えている。目次は研究活動の枠組みを示しており、起承転結というパターンで論文を書くにしても、「これまでの研究の調査と問題点」「取り上げる事項とその理由」「実験方法とデータの評価方法」「残された問題」等がおおまかにでもイメージできなければ目次は作れない。指導教官にしてみれば、学生が持ってくる目次を見れば、どこまで分かっているかが分かるわけだ。

 法律を起草する人には透徹した枠組みの構想力が求められる。日本の民法は、国民生活全体を規律する一般法だが、わずか1000条あまりの条文で、さまざまなことが起こる国民の権利義務関係全般の枠組みを提示している。その構想力に敬服する。

 団体の活動をより積極的に行うためにワークショップを行って意見出しを行うことがある。「○○のために何をしたらよいか」というテーマで行う際、まず当初は、参加メンバー同士の話し合いを通して①そもそも自分たちは何を目的として活動しているのだろうか②個別のテーマの活動をしようとするならメンバーの誰に相談したり一緒に活動すればうまくいくのだろうか、ということが分かればOKだ。そのために、目的に対する思いを述べ合って相互理解を深めたり、個別テーマに対し同じ関心を持つ者同士が集まり活動の企画や設計を行う。このようなワークショップは講演会とは異なり、主催者は何度も準備のミーティングを行うのが通例だ。その過程で、ワークショップについてだけではなくその団体の活動の枠組みに対する認識も深まり構想が練られていく。

 限りある自分の人生をいかに行くべきかを考えるときにも、豊かな構想力があれば充実したものとなりやすい。人生には職業を中心とした使命分野と、家族を舞台とした愛の分野があるが、それぞれ何を基盤として枠組みを構想したらよいだろうか。

 職業は、心ひかれたり使命感を持てるものを選ぶことが肝要と思う。愛の分野は真理を知り体得することが大切だ。仏教では「十如是」(「相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等」)という出来事の正しい解明のための枠組みが示されていたり(石原慎太郎著『法華経を生きる』幻冬舎文庫)、キリスト教を基にした思想では、神相(普遍相・個別相)と神性(心情・ロゴス・創造性)という枠組みで、神の子たる人間を規定したりする。どのような宗教や教えであれ、人生の早いうちに何らかの真理に出会えば、自分を客観視し、自分の行動をその真理の基準によって反省し、成長の度合いを自己認識できるのではなかろうか。

 この「毎月ニュース」の号数は今月号から3ケタになった。より高次元で普遍的な世界観に支えられた内容の枠組みになるよう、さまざまな体験を積んで構想力を磨いていきたい。
設備投資型産業と流通業

 企業が事業活動をすれば経費の発生は避けられませんが、経費は固定費と変動費とに分けることができます。固定費とは、売上の増減に関係なく発生する費用です。このかなりの部分を占めるのが「減価償却費」です。減価償却費とは設備の投資など投資時に必要とする資金(いったん「資産」とされている)を、その使用期間に分けて「費用化」していくものです。それに対して変動費とは、売上高に応じて増減する費用です。

 鉄鋼業や電鉄、通信事業を行う企業は多額の設備投資を必要としており、減価償却費等の固定費が多くかかりますが、このような企業は概して変動費率(売上高に占める変動費の割合)が低く、ある一定の売上高を超えるとすごく儲かります。一方、卸売業や伝統的な商社などは、それほど多くの設備投資を必要としませんが、仕入などの変動費が多くかかるため、利鞘も限られています。

損益分岐点分析

 企業のあげる売上高のうち、「売上高と費用が一致する売上高」を損益分岐点売上高と言います。損益分岐点の位置は、「損益分岐点売上高÷実際の売上高」で計算されます。例えば、損益分岐点売上高が80で実際の売上高が100ならば、損益分岐点の位置は80%といいます。これは損益分岐点比率とも呼ばれます。そして「100%から損益分岐点比率を引いたもの」を安全率とか安全余裕率と呼びます。安全率とは「売上がどのくらい減ると赤字になるか」を示しています。

全部原価計算と直接原価計算

 財務会計上、一般に公開されている損益計算書では「売上高」から「売上原価」「販売費及び一般管理費」「営業外損益」「特別損益」などを順に控除していき、最後に「当期純利益」を算出します。この損益計算書を作るやり方のベースになっているのが「全部原価計算」という考え方です。この全部原価計算には大きな欠点があります。

 全部原価計算の損益計算書では、「売上原価」は「製造原価」の中で「売れたもの」だけが売上原価になり、売れ残りは「棚卸資産」つまり在庫として貸借対照表の資産として計上されます。つまり、在庫分のコストは損益計算書には行かずに資産として貸借対照表に保留されるのです。このような計算方法だと、生産量が多くなればなるほど製品1個当たりの固定費が減少して、製品単価も減少するので、大量に作れば作るほど1個当たりの製造原価は下がり、損益計算上の利益は表面的に増えることになります。これでは、短期的に自分の製造部門の業績を上げたい工場長や、会社の利益をかさ上げしたい経営者は、この仕組みを悪用することにもなりかねません。

 この全部原価計算書の欠点を克服するのが「直接原価計算」という考え方です。外部に開示することを目的とした財務会計上の概念ではなく、企業内部でそのパーフォーマンスを把握するために開発された管理会計上の概念です。直接原価計算では、売上高から変動費を引いた額(「限界利益」)から固定費を全額引きます。そして最終的な利益を計算します。このようなやり方をすれば、固定費が資産に計上されませんので、操業度の変化にかかわらず損益が正確に把握できます。

 直接原価計算にはこのような大きなメリットがありますが、社外に開示することを目的とした財務会計では全部原価計算が用いられています。その理由は、財務会計には売上高の計上と費用の計上をできるだけ一致させようとする基本的な考え方があるからです。ですから、モノを製造しても仕入れを行っても、それを一旦すべて「棚卸資産(在庫)」に計上し、それらが売れた時点で費用化するという考え方が、全部原価計算の基本的な考え方なのです。

2011/09/15

 殺人でも痴漢でも冤罪の汚名を着せられて何年も投獄された人の悔しさは察するに余りある。「私はそういう人間ではない」と声を大にして叫びたいと思う。

 日本は戦後、マッカーサーの勧告を受けて、国務大臣松本蒸治を長とする憲法問題調査委員会(松本委員会)を発足させた。しかし、松本案は否定され、戦争放棄等のマッカーサー三原則を盛り込んだ憲法が急いで制定された。それ以来憲法は一度も改正されていない。同じ敗戦国であるドイツは占領下で憲法を制定せず暫定的に基本法を作ったが、そこには「この基本法は、ドイツ国民が自由な決定によって議決した憲法が効力を発する日において、その効力を失う」と規定している。マッカーサーはもしかすると、日本は独立回復後に自主憲法を制定するだろうと考えて、短期間のうちに憲法草案を作ったのかもしれない。「60年以上の長期間改正されることのないものとして作ったわけではない」と、死後の世界で驚いているかもしれない。

 高等宗教の聖人も「そういうつもりはない」と死後の世界で思っているのではないかと思われることがある。

 仏教の教えとされる輪廻思想は、人が何度も転生し、また動物なども含めた生類に生まれ変わるというものだ。私はこの思想になじめずにいた。自分が食したのと同じ種類の動物になるかもしれないというのは、何か気持ちが落ち着かない。亡くなった人しか知りえないことを知っている人がいる以上、生まれ変わりと考えるほかに考えようがないとも言われるが、亡くなった人が死後の世界から協助(情報提供)していると考えられないこともないのではないか。僧侶から牧師になった松岡広和氏によれば、「釈迦は決して人の死後の世界について言及しませんでした。」(『イエスに出会った僧侶――ありのままの仏教入門』いのちのことば社)という。そうであれば、釈迦は死後の世界で「私が輪廻思想を言ったと思われているけれどもそうではないんだ」と思っておられるかもしれない。

 また、イエス・キリストは独身のまま33歳で亡くなった。カソリックでは、神父や修道者は、ただ神に向かいイエスに倣って独身で生きる。そのように人々と教会に奉仕する潔さには敬服する。しかし、植物も動物も雌雄の相互作用によって繁殖し生存を継続しているが、そのような神の被造物である自然の姿からはかけ離れているのではなかろうか。旧約聖書の創世記にも「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」(1章28節)、「人が独りでいるのは良くない」(2章18節)とある。「独身でいたのは結婚する前に殺されたからにすぎない。独身を勧めたわけではない」というイエスの声が聞こえてきそうだ。

 人間世界においては、創始者や出発者の思いがそのまま正しく伝わる保証はどこにもない。最初の状況に思いをはせるとともに、こだわりを捨て去ることが、正しい理解につながるのではなかろうか。
企業の安全性

 ある会社の財務諸表を見て、その会社の実力を見抜く場合には、優先順位があります。①安全性②収益性③成長性の順番です。最優先すべきは、短期的に倒産する懸念がないかどうかを見抜くことです。そのためには「流動比率」(流動資産÷流動負債)という指標を使います。流動負債(1年以内に返済義務のある負債)の返済が不能となると即座に倒産の可能性が高まりますので、流動負債をまかなうだけの流動資産があれば(流動比率が100%以上)、まず当面は大丈夫と考えます。ただし、この一般論は、商品を売ってから資金を回収するまでの期間(サイト)と、在庫などを買ってから支払を行うまでの期間が近い卸売業や製造業では当てはまりますが、販売後の資金回収が遅いなどの現金化が遅い会社では、流動比率が120%でも資金繰りがたいへんな会社もあります。

 企業の安全性をより厳格に見ようとするときは「当座比率」(当座資産÷流動負債)を用います。当座資産とは、流動資産の中から棚卸資産のようにすぐには現金化しにくい資産を差し引いたものであり、現預金、有価証券、売掛金及び受取手形から貸倒引当金(倒産等で回収が不能になる可能性が高いものの金額)を引いたものです。当座比率は一般的には90%以上あれば短期的な安全性には問題ないと言われています。

 しかし、貸借対照表などの計算書は、決算から最低でも2ヶ月くらいたってから公表されますので、会社の倒産を左右する当面の資金繰りを考える上では古い情報となることも多くあります。その場合は、手元流動性((現預金+すぐに売れる資産+すぐに借りることのできる与信枠)÷月商)で判断します。手元流動性は月末などで、中堅企業で1.5カ月、中小企業で1.7カ月くらい持っていると安全です。

キャッシュフロー計算書

 企業は発展するのに必要なキャッシュフロー(現金や預金のこと)が得られなくなると、事業が発展できなくなります。さらに現事業を維持するだけのキャッシュフローさえ得られなくなると倒産ということにもなりかねません。

 キャッシュフロー計算書は、2000年3月期から始まった「連結決算制度」の変更時に導入された財務諸表のひとつです。それまでは、貸借対照表、損益計算書の2つが主な財務諸表でしたが、キャッシュフロー計算書の登場で「財務三表」の時代になりました。

 キャッシュフロー計算書は、「営業キャッシュフロー」「投資キャッシュフロー」「財務キャッシュフロー」の3つのセクションに分かれています。
「営業キャッシュフロー」は、企業が通常の営業活動でどれだけのキャッシュフローを得たか、あるいは失ったかを表しています。キャッシュフロー計算書で見ると、「税金等調整前当期純利益」から「資金の支出を伴わない費用」や「営業循環上の資金の動き」を調整して計算します。「資金の支出を伴わない費用」とは減価償却費や資産の評価損のことであり、いずれも費用として計上されますが実際にはお金は出ていかないものです。「営業循環上の資金の動き」とは、売掛金や買掛金、在庫などです。いずれも損益計算書ではとらえることのできない資金の動きです。

 「投資キャッシュフロー」は、企業が投資にどれだけのお金を使ったか、その投資からどれだけのお金を回収したかを表しています。普通は、減価償却費分ぐらいは再投資を行わないと企業は現事業の維持すらおぼつきません。「財務キャッシュフロー」は、財務活動でのキャッシュフローの動きを表します。具体的には、①借入、社債、増資などでの資金調達や資金償還②配当や自社株式買入などの株主還元を表しています。

2011/08/15

 人間が動物と違って素晴らしい文化を創ってきたのは、真・善・美・聖という価値を追求する欲望と、それを実現しようとする欲望が、原動力になっていると思う。

 古今東西の著名な科学者や哲学者は、読んでもよく分からない科学書や哲学書を体系的な一貫性を持って書くのだから、真理探究への情熱には敬服する。しかし、そのように価値追求に熱心だからといって、価値実現に熱心とは限らない。立派な書物を完成させても、そのことを周囲の人の幸福や人類の平和や福祉に結び付ける意欲を欠けば、変人と言われかねない。ある高名な哲学者は、大学で教壇に立ち学生を前に講義をする時間なのに、考えるのに忙しくて何十分も無言で立っていたという話を聞いたことがあるが、価値実現にもっと意欲を持ってほしいと思う。

 一方、あることの価値が最高だと信じて普及に熱心な人は、価値実現欲の旺盛な人と言えよう。24時間そのことを考え、早朝でも深夜でも普及活動に飛び回る価値実現の情熱には敬服する。しかし、そのように価値実現に熱心でも、価値追求欲が弱いと、自分が実現しようとしている価値を全体の中で位置付ける努力がおろそかになり、周囲との調和を欠いて、変人とみなされかねない。例えば、特定の宗教の普及活動に熱心なのは、そのこと自体は良いことでも、他の宗教もやはり同様の目的を持っているのだから、他の宗教を攻撃してまで自分の信じる宗教を普及させようとするのは、偏狭で自分勝手と言われても仕方がない。

 知り合いのМ氏は、両方の欲望のバランスがとれていて素晴らしい。大学時代に専攻科目以外にキリスト教と外国語に関心を抱き、熱心に学んだ。卒業後、米国等で10年以上住んで事業活動を行ったのち日本に戻り、貿易事業をし、その後地元の中小企業に優秀な外国人実習生を紹介する活動をしている。従業員を雇用する企業の経営者であるとともに、牧師として説教もする。貿易事業でロシアに行った時は、ロシアの同業者から酒と女性の提供の申し出を受けても固辞する「変わり者」で有名だったという。海外からやってくるバイヤーにも流暢な英語で、皇室などの日本文化の本質を分かりやすく説明し尊敬を集めている。

 М氏はなぜバランスがとれているのだろうか。海外生活を通して様々な価値観があることを知り、世界全体を包括的に把握するための精度の高い情報を得ようとすることが、価値追求に貪欲に向かわせているのではないか。とともに、キリスト教倫理を生活で体現しつつ企業経営することが、価値実現につながり、高次のレベルで相互補完しているのだと思う。

 創造主たる神は、人々が相互に啓発し合いながら幸福に向かうようにと価値実現欲を与え、向かうべき真・善・美・聖の価値がより高次元の普遍性を備えるようにと価値追求欲を人に埋め込まれたのだとすれば、両方の欲望をバランスさせることが、とても大切と思う。
資金調達

 企業の資金調達の源泉は、企業外部からの資金調達(外部金融)と企業内部からの資金調達(内部金融)に分けることができます。外部金融は、直接金融(株式や社債等の有価証券を発行することにより資本市場から直接資金を調達すること)、間接金融(金融機関等から資金を調達すること)、企業間信用(支払手形や買掛金を発生させることによる資金調達)に分類できます。内部金融は自己金融ともいい、事業活動によって自ら生み出した利益を内部留保することによる調達と、減価償却があります。外部金融のうちの株式発行と内部金融を合わせて自己資本と言い、株式発行以外の直接金融と、間接金融、及び企業間信用を合わせて他人資本と言います。自己資本とは純資産であり、他人資本とは負債のことです。

負債と純資産の調達コスト

 資金調達には当然のことながら、調達コストがかかります。負債の調達コストは「金利」です。負債には借入金や社債等の有利子負債と、買掛金など金利のかからない無利子負債がありますが、有利子負債の金利が調達コストです。無利子負債を含めた負債全体での調達コストは一~二%程度の企業が多いと思われます。

 純資産の調達コストは「配当」と考えてもよいのですが、現在のファイナンス理論では「株式の期待収益率」と考えられています。この値は、CAPMという資本資産価格評価モデルと市場リスクの尺度であるβ(ベータ)係数を用いて算出されます。負債の調達コストよりも、この純資産の調達コストの方がずっと高い値です。

 負債と純資産という複数の資金調達源泉がある場合、調達源泉別のコストの総額が資金調達の総額に占める割合(加重平均資本コスト(WACC))が、その会社の資金調達コスト(資本コスト)となります。

調達コストと利益率の関係

 企業はコストをかけて資金を調達して事業を行うので、その資本コスト以上の利益率を出さなければ意味がありません。WACCは資産をまかなうための資金の調達コストであり、資産を使って得られるべき利益もそれに応じて高くなければなりません。資産を使った利益率は、ROA(総資本営業利益率=営業利益÷総資本)です。このROAがWACCより高くなければなりません。

 WACCと比較する際の利益率としてROE(自己資本利益率=当期純利益÷自己資本)を用いるという考え方もありますが、経営者の経営姿勢という観点からは、ROAの方が良いように思われます。資産をまかなうために負債と純資産で資金調達しているわけですから、経営者はその負債と純資産の双方に対して責任があり、それに見合ったリターンを出す必要があります。それがROAです。ROEと比較するというのは、自己資本つまり純資産にだけ見合ったリターンを出していればよいということであり、負債を提供する社債権者や銀行に失礼な考え方だとも言えます。 

 なお、ROAでは他社比較をする場合、「利益」は「営業利益」でも「経常利益」でも「純利益」でもかまいませんが、ROEに関しては必ず「純利益」です。ROAを計上するときの「利益」を「純利益」とすれば、ROEはROAに(資産÷純資産)、つまり自己資本比率の逆数を乗じた値になります。自己資本比率が高ければ企業の中長期的な安定性に貢献するのですが、ROEが低くなり株価が低迷しがちで買収のターゲットになりやすくなります。ROEを高めようとすれば、負債を増やすなどして自己資本比率を小さくすればよいのですが、負債のこの「てこ」のような役割に注目して、自己資本比率の逆数である(資産÷純資産)を「財務レバレッジ」と言います。

2011/07/15

 私という存在は偶然的なことがらなのか、それとも何らかの前提なり計画があって存在するようになった必然的なことがらなのだろうか。

 例えば、数千年も前に地球に巨大な隕石が偶然に衝突した影響で生態環境が全地球的に一変し、それまで地球の覇者だった恐竜が絶滅して人間の先祖の哺乳類が生き延びた結果、人間が誕生した、という説がある。その説を信じる人にとっては、人間の存在は偶然の存在にすぎないだろう。

 また、形質が突然変異し環境に適応したものが生き残る、というダーウィンの進化論を信じる人にとっては、人間の手足の指が4本でも6本でもなく5本であることは、たまたま五本指のものが生き残ることに適していた結果であり、偶然のできごとと考えるのではなかろうか。

 一方、私が存在していることは必然であるとする考え方もある。

 神が貸してくれた宇宙製造機械には重力や電磁気力の大きさを変えることができるツマミがついていて、そのツマミの調整がきわめて正確なので、われわれはこの宇宙に住んでいるのであって、少しでも狂うとこの宇宙は興味ある何物も生み出さない不毛のものとなる、という「人間原理」という考え方がある。この考え方によれば、「この宇宙があって人間がいるのではない、人間がいるから、いや、人間がこの宇宙を認識するから、この宇宙は『こういう宇宙』になっている」(長沼毅著『宇宙がよろこぶ生命論』ちくまプリマー新書)という。この考え方によれば、あたかも神は人間の存在を前提に宇宙を創造したともとれ、人間は偶然の産物とは対極にある必然の極致となり、特別な存在となる。

 このような形而上学の議論に対しては、興味を抱く人たちがいる半面、何の関心も示さない人も多い。「自分の存在が偶然だろうが必然だろうが、生きている現実を直視して日常の責任を果たし楽しく生きていけばそれで良いではないか」という意見が聞こえてきそうだ。

 ちなみに私は、自分の存在や日々の活動の内実が偶然と考えるよりは、必然と感じて生きる方が、使命感を感じやすく充実した人生を送れるのではないかと思う。

 例えば、何か特定の職業についているとして、いろいろな職業に偶然に出会って、採用条件や雇用環境に自分が適合した職場にたまたま勤めていると考えるよりは、職業とはcalling(「召命」転じて「天職」)、つまりその仕事をすべく神から呼ばれたものであって、自分でしか世界に貢献できない内容があるとして、何らかの必然性を感じながら職責を全うしていこうとする方が、自己の価値を感じられるのではないか。

 人生における偶然を全否定するものではないが、その際も、「『偶然』は自由の徴(しるし)であって、目的がないこととはちがう」(ジョン・ポーキングホーン著『科学者は神を信じられるか』講談社ブルーバックス)ことを肝に銘じておきたい。
財務会計(制度会計)と管理会計(経営会計)

 財務諸表の重要なものとして、貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書があります。貸借対照表は、ある一時点において、その会社にどのくらいの財産や借金があるかという「会社の財政状態」を示し、損益計算書はある期間においてその会社がどのくらい儲かったかという「会社の経営成績」を表します。「会計」とは、会社が活動した結果の財政状態や経営成績をありのままに投影する技術と言えます。財務諸表を作成する目的には、経営者に対して経営のかじ取りに必要な情報を提供すること(管理会計目的)と、企業を取り巻く利害関係者(株主、投資家、債権者、国家等)に対して企業に関する意思決定に必要な情報を提供すること(財務会計目的)があります。

3種類の勘定科目

 貸借対照表には、財政状態を表す「資産」「負債」「純資産」の3種類の勘定科目だけが、経営成績を表す損益計算書には「収益」「費用」の二種類の勘定科目だけが載っています。貸借対照表では、表の左側(全体に「資産」の勘定科目を並べます)の金額合計と右側(上部分に「負債」に関する勘定科目、下部分に「純資産」に関する勘定科目を並べます)の金額合計は必ず一致します。損益計算書の「収益」と「費用」の差額が「利益」となり、同時に「純資産」の一部になります。

 「資産」とは現在保有しているプラスの財産のことですが、「将来会社にお金の流入をもたらすもの」とも言え、将来お金に変身しないものは、会計的には資産として認められないことにもなります。資産の勘定科目は大きく「流動資産」「固定資産」「繰延資産」の3種類に分けられています。すぐにお金になる資産が「流動資産」で、お金になるまで長時間を要する資産が「固定資産」です。「繰延資産」は、将来お金の獲得に貢献するだろうという過去の支出金額のことです。

 「負債」は一言でいうと「資産」の反対でマイナスの財産であり、「将来会社からお金を流出させるもの」です。このうちすぐにお金が出て行く負債が「流動負債」、お金が出て行くまで長時間を要する負債を「固定負債」と言います。

 「純資産」は「資産マイナス負債」として表されますが、会社の所有者である株主に帰属するものと言えます。「純資産」には2つの性質があり、「株主が払い込んだお金」という性質と「会社が事業活動で増やしたお金のうち残っているもの」という性質です。前者が「資本金」、後者が「利益」のことです。「収益」と「費用」の差額である「利益」は「純資産」の勘定科目でもあるわけです。「負債」と「純資産」と「収益」はお金の調達源泉であり、「資産」と「費用」はお金の運用形態であると言えます。

費用収益対応の原則

 「会社の経営成績」を表す損益計算書は、一定の期間ごとに作成しますので、「収益」や「費用」の計上のタイミングが重要です。「収益」は、商品を引き渡して、かつ、現金かそれに見合う債権が発生したときに損益計算書に計上します(「実現主義」)。一方、「費用」は犠牲となりうる取引が発生したときに計上します。例えば、「収益」を獲得するための犠牲である広告宣伝をする場合、後日お金を支払うことになっていても、広告宣伝を行ったときに損益計算書に「費用」として計上されます(「発生主義」。犠牲として支出したお金のうち、当期の収益に貢献した分は「費用」になりますが、来期以降の収益に貢献する分は当期では「資産」となり、来期になって初めて「費用」として計上することになります。このように、「費用」を「発生主義」により把握し、対応する収益が計上される会計期間に計上することを「費用収益対応の原則」と言います。

2011/06/15

 会議等での決定事項が実践され、次の段階へ円滑に移行するためには何が肝要だろうか。

 コミュニケーションを研究する会合などでは、「ふりかえり」をとても大切にする。話し合いの最後に、メンバーが話し合いに参加していて気づいたことを順番に述べて行くのである。「こんな考えに出会って驚きました」「Aさんの発言はこんな局面に活かせると思いました」「前に学んだ考えとの共通性に気づきました」など、フランクに気づいたことを述べる。新たな気づきが生まれることが多く、楽しい時間である。

 ファシリテーターの養成を目的とする会合では、その場のファシリテーターを選んで会を進める。話し合いが終わると、ファシリテーターが効果的なファシリテーションを行っていたかを皆で検証し合う「ふりかえり」を行う。「参加者が楽しく自由な気持ちで参加するとともに、お互いに高め合うような意見交換が行われる場としていたか」という観点から、「良かった点」「問題と思われる点」「新たに挑戦したら良い点」ごとに、メンバーが率直に(人格否定はしない)意見を出し合う。とても貴重な成長の場であり、前段の話し合いの時間よりも、このふりかえりの時間の方が長くなることもしばしばである。

 このような「ふりかえり」の中で、認識の違いが浮き彫りになったり、活動の意義を再認識することにもなり、活動の継続にとって大きな役割を果たす。

 活動を継続させるということでは、似たテーマに関心を持つ人が集まれるようにすることも効果的だ。メインテーマのもと、より具体化したテーマごとにグループを作るために、参加者全員が自分が関心のあるテーマを用紙に書いて、それを見えるように持ちながら、部屋の中を歩き回ったことがある。似た関心事を持つ人たちがおのずと集まるようになる。

 同じ関心事を持つ人が集まるようにしてさらに議論を深めるということでは、OST(オープンスペーステクノロジー)という手法も、とても自由な雰囲気で刺激的だ。先着数名にテーマ出しをする権利を与え、準備された用紙にその場で議論したいテーマを書き込んで、参加者全員に見せる。テーマ出しが終わると、会場に設定された討論場所に各テーマが割り振られ、参加者は話し合いたいテーマの場所に移動して話し合う。

 「グループの中で貢献できていなかったり学習できていないなら、自分が学んだり貢献できるところに移動すべきである」という考えで運営されるので、討論メンバーの出入りが結構ある。自然界でハチが花から花へ移動して交配を手助けしているように、グループ間を移動する人は他のグループでの議論を紹介し、「ミーティングの交配」をすることが期待されるところがダイナミックだ。このような、参加者の自主的な参加による話し合いのやり方も「ふりかえり」と同様に、次につながりやすいコミュニケーションの方法だと思う。
 担保物権は、債務の履行の確保という点から見たとき、いろいろな手段があります。そのうち、どれを中心的な手段とするかによって、担保物権は種類が違ってきます。

 その第1は、目的物を取り上げて債務者に不便・苦痛というような心理的圧迫を加え、それによって弁済を促すという留置的作用です。この場合、目的物は債務者にとって主観的価値の大きいほど効果が大きいことになります。交換価値はなくても構いません。留置権と動産質権・不動産質権は、この作用に依存しています。第2に収益的作用があります。担保権の目的物が債務者だけが使用・収益しうるものではなく、債権者も用益することができるものである場合には、これを担保にとって債権者が自分で用益して、その収益を債権の元利の優先的弁済に充てていくのです。不動産質権がこれに該当します。第3の作用は、交換価値を利用するものです。もし債務者が弁済しない場合には、目的物を換価してその代価を優先弁済に充てる作用です。留置権を除いては、先取特権・質権・抵当権のいずれもこの作用を持っています。先取特権と抵当権は収益的な作用も留置的な作用もなく、原則として交換価値に依存しています。株券・社債・手形などの有価証券の質(権利質)も、交換価値を利用しています。

 また、約定担保(質権と抵当権において設定される担保)の目的物が次第に拡張されてきました。質権においては、動産、不動産、それ以外の財産的な権利(財産権)の3つすべてについて認められますが、抵当権の目的は不動産について認められるだけです。もっとも、権利のうちでも不動産物権、例えば地上権、永小作権などは、質権の目的とされるだけではなく、抵当権を設定することも認められているので、不動産の上のある種の権利は抵当権の目的となります。しかし、その範囲はわずかです。

抵当権の効力

 抵当権の効力として最も中心的なものは、抵当権によって、被担保債権について優先的な弁済を受けることです。担保物権を持っている者がその担保物権に基づいて競売をするのだから(担保競売といいます)、初めから競売の目的物は担保権の客体である動産、不動産その他の財産に特定されています。それに対して強制競売は債務名義を取得して、それに基づいて債務者の財産(動産・不動産、債権その他の財産、どれと特定されていない)を強制的に換価して、それから優先弁済を受ける手続きです。強制競売には、国家が認めた債権の目的を達成するために、債権者の請求によってではありますが、債務者の財産を取り上げて競売して買受人に与えるという強制手続という意思が強くあります。これに対し、担保競売は、担保物権者がその担保物権に基づいて換価するのに国家機関がお手伝いをするに過ぎないという趣旨が強くあります。

抵当権による物上代位

 担保物権は目的物の交換価値を把握する権利だから、目的物が滅失しても当然に消滅すべきものではありません。その点では、地上権や永小作権のような目的物を使用・収益する利益を把握している物権とは違います。それで、担保物権の目的物が収用されて収用補償金となり、または焼けて保険金に変わるのは、ある意味では交換価値の現実化であり、担保物権がこの上に効力を及ぼして本来の作用を発揮するのは当然です。民法が304条で物上代位という制度を定めているのは、担保物権者に特権を与えたのではなく、担保物権の性質に従った当然のことです。ただ、差し押さえることを要件としたのは、担保物権の目的物が一般財産の中に入って混ざってしまうと、特定することが困難になるからです。

2011/05/15

 折り紙やプラモデル等で何かを作るときに、手順を間違えると当初思い描いたものと異なるものとなってしまう。人間も同じで、人生を生きて行くうえでの目標設定の順番や教育を受ける順番を間違えると、思い描く通りの人生を送ることができなくなりかねない。

 人は人生の過程で様々なことに出会う。人のために良かれと思ってしてあげたのに、真意が伝わらず残念な思いをしたり、それでも忍耐するなどすると人格が成長・完成していく。ある程度人格が成長していないのに結婚して子女をもうけると、離婚したり、最悪の場合は育児を放棄し子供を虐待することにもなりかねない。「家庭の形成」の前に「人格の成長」の目標設定をすることが重要ではなかろうか。

 また、困っている人を助け、社会を良くしたいという「社会貢献」に対する思いは、自分の子供が独立した後、とりわけ強くなるようだ。さまざまな人のお陰で生きてこられたことに対する感謝の念と、次世代に少しでも良い社会を残してあげたいという親心がそれを支えている。「家庭の形成」を終えて、自分の職業分野や社会的立場が明確になってきてからの方が、現実的で力強い「社会貢献」の目標設定ができるような気がする。つまり、人生における目標設定は原則として、「人格の成長」、「家庭の形成」、「社会貢献」の順番で行うことが良いように思う。
 
 子どもに与える教育の内容についても順番が大切だ。「知識・技術教育」の前に「規範教育」を行うことが必要だ。コンピュータに関する知識や技
術が傑出しているからといって、人に迷惑をかけてはいけないことや社会人としての規範を教えずに、知識や技術ばかり身に付けさせると、ハッカーになって社会に多大な被害を与えることにもなりかねない。生命工学に対する関心が強いからといって、生命倫理や人間の尊厳性に関する教育を怠ると、人が踏み込んではいけない領域にまで踏み込み、世界に脅威を与えるかもしれない。

 ただ、「規範教育」は子どもの心を耕したうえで行わないとうまくいかない。校則という規範を生徒に守らせようとただ声高に要求しても、教師と生徒の間に信頼関係や情的なつながりがないとうまくいかない。法律という規範を子供に守らせようと親がどれだけ法律を教えても、幼少のころに親から愛情を注がれずに育ったり、真美善の価値の大切さに気付かせるような「心情教育」がなされていないとうまくいかない。「規範教育」の前に「心情教育」をすることが重要ではなかろうか。つまり、子どもに与える教育は原則として、「心情教育」、「規範教育」、「知識・技術教育」の順番で行うことが良いように思う。

 家庭内における愛にも順番がある。子供にすれば、自分の命の出発点である父母がいがみ合うと、自分たちの魂が傷つけられていると感じる。「夫が1番、子どもが2番である」(桜田淳子著『アイスルジュンバン』、集英社)。