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2017/03/15

 現代日本では「経済的に豊かか貧しいか」、「健康か病気か」等の物質的満足における成功、失敗で人生の価値を判断しようとする平板化された価値観が支配的と言えよう。
 マズローの「欲求の五段階説」、つまり人間というものは「生理的欲求」「安全の欲求」「所属の欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」の順に下位の欲求が満たされてからでないと、より上位の欲求に向かうことができない、という説が、各種資格試験の頻出テーマであることが、そのことを示唆しているように思える。

 一方、強制収容所の中でも、パンと優しい言葉を与え聖者の如くになった人間を目撃した『夜と霧』の著者フランクルは、人間は下位の欲求が満たされていなくても上位の欲求に向かうことはできると考え、学術誌で直接マズローに疑問を突き付けたところ、マズローはあっさりイエスと答えたという(幻冬舎新書『人生を半分あきらめて生きる』諸富祥彦著)。

 日本が長寿社会になる前は死は自然なこととしてもっと身近に感じられていただろう。70歳にもなってよく働けず家族に負担をかけながら立派な歯があることを恥として自ら石に打ち付け、息子に背負われて山に捨てられに行くことを心待ちにするような感性(映画「楢山節考」)は、はるか昔の異国のものであるかのようで、政治家が一言でもそのような悲しくも凛とした精神姿勢を肯定するなら、人権蹂躙として猛攻撃を受けかねない現代日本では、避け得ない死を客観的事実として受け入れた社会制度を作っていくことさえ困難になってしまったのかもしれない。

 渡辺利夫氏は、がん発生の原因となり検診結果が出るまで半病人のような気分にさせるがん検診を強制する厚労省は、浅はかな死生観を日本人に振りまいていはしないか、自省はいつ生まれるのかと警鐘を鳴らし、「私は私自身の人生をまっとうするために生きているはずなのに、病気のことにかかずらわって、短い人生の重要な時間を、これに『侵食』されるというのは『背理』ではないか」(光文社『人間ドックが病気を生む』渡辺利夫著)と喝破する。

 戦後日本は科学主義により実証性や論理性を基礎とした考え方は浸透したが、世界と歴史と自然を観察し感じる神秘性から超越者と自分との関係を深く考えたり、人間の存在理由を思い巡らす「内面の深み」や「魂のミッション」といった、平板化された水平的価値観とは独立な垂直的価値観を失ってしまった。

 物質は二次元や三次元の座標軸によりその存在のありかが規定できるように、霊肉を併せ持つ存在である人間も、物質的満足の水平軸と、希望と絶望を両極端とする意味を示す垂直軸の内に自己を置かなければ、自分が生きる同時代の支配的な価値観に引きずられて生き、自己の尊厳性を自ら捨て去ってしまうことにもなりかねない。

「楢山節考」
 木下恵介監督、田中絹江主演。昔の日本の農村の貧しく悲しい様子を描く。70歳になると家族の食いぶちを減らすために子供に背負われて山に行き、ひとりそこで死ぬのを待つ。主人公は、70歳になる正月に山へ行くと、楽しいことを待つような表情で家族に言う。息子もようやくそのことを受け入れてくれた。その年で30本近い歯がしっかりあることはむしろ醜いこと。主人公は自ら歯を石にぶつけて破損させる。息子に背負われていく道すがら、主人公はカラスが待ち構え、白骨が散乱するなかで死ぬところを息子に指示し、雪が降る中ただ両手を合わせて座って祈る。凛とした悲しさがある。息子は、いったんは母親を置き去りにして山道を下り、いたたまれず母のところに戻るが、意を決して家へ帰る。その場所は今「うばすて」という名前の電車の駅になっている。

「女衒(ぜげん)」
 明治時代に香港やシンガポール等のアジアで女衒として活動した村岡伊平治を緒方拳が演じている。売春で稼いだ金を日本の親元に送れば納税できるのだから、娼館経営は国のためになるというのが村岡の理屈だ。第一次大戦の頃になると、売娼に対する国際世論が厳しくなり、経営ができなくなる。ひたすら愛していた倍賞美津子演じるしおを中国人のワンに取られ、それ以降は現地に基盤を作るためにひたすら子作りに励む。

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
 程久保高校野球部の部員は、監督との信頼関係もなく、過去の試合の人間関係を引きずり、皆やる気がない。甲子園出場なんて夢のまた夢。そこに、臨時のマネージャーをすることとなった南がまず向かったのが本屋だ。ドラッカーのマネジメントの本を購入し読み始める。「野球部の定義は何か」「野球部の顧客は誰か」を考え始め、「専門家は理解する人がいて初めて価値がある」「組織の外部を変えることがイノベーションである」等、現実に当てはめて理解を深める。そして、現実がそのようになっていく。みなみらの思いが監督と部員に伝わり、ブラスバンド部、チアガール部等も巻き込み、一年後甲子園出場がかなった。

「東京暮色」
 小津作品。山田いすゞ演じる次女が、母親がいない寂しさから問題行動をとり、最後は踏切で事故で死ぬ。原節子演じるその姉が、苦悶の中から、子が健全に育つには父母がそろっていることの重要性を悟り、実家へ戻り残してきた夫の所に帰る決意をするまでを描く。

「羅生門」
 芥川龍之介の作品「藪の中」をもとに、黒澤明監督が映画にした。一人の男が殺されているところを見た男の話を通して、三船敏郎が演じる関わり殺した男多襄丸(たじょうまる)や、殺された侍とその妻がどんな態度を取ったかが、話す人により異なっている様を描き、人間とは恐ろしいものだとする。
 多襄丸によれば、妻を手籠めにした後自分が侍を殺したという。目撃した男によれば、女が自分を強く愛する男のものになるとして両者を戦わせようとしたという。女の証言や、女を通して霊界から現れた侍の証言もまた異なっている。何が真実かは全く分からない。

「武士の家計簿」
 加賀藩で3代以上にわたって、そろばんを専門とする武士として生き続けてきた一門の物語。

2017/02/15

 将棋や囲碁と比べて、麻雀は勝敗が少なくとも短期的には運の要素に左右されやすいせいか、NHK等の公共放送にはあまり登場しない。この麻雀のイメージを悪くしていた「酒を飲む」「タバコを吸う」「お金を賭ける」を排除した「健康マージャン」が普及してきており、大会が行われると、小学生から高齢者までが参加するようになった。医師は認知症の予防に効果的だとして健康マージャンを勧めており、私も始めた。

 麻雀で用いる牌は、天宙と人生を示唆しているようで興味深い。字牌と数牌からなるが、字牌は「白」「発」「中」という三元牌と、「東」「南」「西」「北」という4種類の風牌により成り、数牌は「草子」「萬子」「筒子」の3種類が、それぞれ1~9の9種類がある。7種類の字牌と27種類の数牌は、いずれもそれぞれ4枚を擁し、136枚の牌を積んだり崩したりして遊ぶゲームだ。

 私見だが、「白」は陰性、「発」は陽性、「中」はその中和を表現し、この3種類で天を表わしている。「東」「南」「西」「北」は方角で張られる地を表す。「草子」は中性、「萬子」は女性、「筒子」は男性を表し、数字の最小値「1」と最大値「9」の間の27種類、108枚の数牌は、さながら数字と能力で彩られる男女間の人生模様を表しているようだ。

 卓を囲む四人は、最初配される13枚の牌を自己の前に並べ、一枚ずつ順番に持ってきて(自摸)不要牌を捨てる。役を作るのだ。めったにできず美しい並びの役は高価、ありきたりの役は低価で、一局が終了するたびに和了(役を完成させること)者は点棒を他の人より受け取る。

 中国で発祥した麻雀だが、日本に伝わってきて、その局で自分が捨てた牌と同じ種類の牌を他者が捨てても、それでは和了できない等の、より精緻なルールができて遊技としての質が高くなったようだ。

 麻雀を人生に置き換えれば、配牌は出自のようなものだ。役作りを構想し牌移動を繰り返すことは、人生の目標を定めて努力している様を想起させる。局と場は人生の区切りを示し、今日、今月、今年うまくいかずとも、再起を期してまた翌日、翌月、翌年への挑戦を繰り返す。

 同卓する3人は、半荘が継続する間、自分の打牌、和了、完成した役の内容を目撃する者で、自分の幼少時代、結婚時代、老後の時代を共にする家族や知り合いのようなものだ。

 勝負事なので結果に一喜一憂しがちだ。しかし、強くなければ生きていけないが、優しくなければ生きる意味がない人生と同様に、強くなければやり続けられないが、マナーを守り他者の和了を認める優しさがなければする意味がない。そして、優しさがあってこそ、真の強さともなる。

 人生の達人は、死期が近づくと「いろんな人にお世話になり、面白い娑婆だったちゃ」と感慨深く語るが、雀卓を離れる時には「お陰様で面白いゲームを共にできてありがとう」と言いたいものだ。
「誤診」
 幸福な一家に不幸が襲う。幼い次男がてんかんになり、病院で薬の投与を次々受けるが、どんどん悪くなる。病院は家族の思いを顧みることなく、科学的な治療を進めていく。母親は図書館に通っててんかん治療の方法を学び、食事療法が効果的であることを知る。次の日に脳の手術をするというときに、息子を連れ出そうとするが、病院に見つかる。夫の知り合いの医師の協力を得て、食事療法をしてくれる病院に飛行機で連れていき、断食から始まる食事療法により良くなり、3年間で完治する。科学的手法といいながら行われていた方法は、患者や家族を虐待していたと変わらない。最後の場面では、食事療法をしている病院への連絡方法を紹介し、その方法を用いて治った映画出演者を紹介していた。感動的な実話だ。

「マイフェアレディ」
 イギリスを舞台に、音声学(発声学)の教授が下品な花売り娘に会い、花屋さんの売り子になりたいという娘の要望に応じて、音の発音から矯正し上品な娘に改造していく。舞踏会で皇太子からダンスを求められるほどに美しく変貌していく。ことばにこだわりを持つイギリスならではの作品。オードリヘップバーンが、当初は下品に振る舞い、次第に洗練された姿を演じ分けているところが見どころ。

「ビッグフィシュ」
 幻想的な部分も含む、男の仕事と家族との人生の話。社交好きで多くの人に好かれる父親がする話は荒唐無稽な作り話が多い。息子は、小さい時は本当のことと思っていたが、長ずるに従いうそが多いことを知る。しかし、その動機は人々を喜ばせようというもので、死に面している父親の過去を調べると、多くの人に尽くしてきたことを知る。父から聞く5メートルもの巨大な魚の話を、息子は作り話として好きではなかったが、父の死後自分も息子にその話をしている。

「コーリング」
 医療活動のために、身重の身でありながら奥地に入って活動していた妻が、バス事故で死亡する。夫で医師の主人公は悲嘆にくれる。妻の元患者などから自分へのメッセージを受け、さらに直接妻が霊的に現れ、事故現場へと調査に行く。バスが落ちた湖に飛び込み、運び込まれたであろう村に入っていくと、そこに妻が生んだ女児がいた。妻は、そのことを知らせるために、私を探してというメッセージを死後送り続けていたのだった。

「アイアムサム」
 知能指数が7歳の父親が、娘のルーシーを育てることは許されるかどうかをめぐり、法廷闘争となる。養親となった夫婦も最後には、ルーシーはサムによって育てられるのが良いと考えるようになる。

「インサイダー」
 タバコ製造会社に勤めながらも喫煙の害をよく知る化学博士が、良心ではたばこの害を世間に訴えることの重要性を理解しながらも、家族と経済的利益を守るために苦悶する。その人を支援するマスコミ人が主人公。マスコミ人の正義と誇りを考えさせられる。実話を元にした作品

「ホテルルワンダ」
 ルワンダにおける、フツ族がツチ族を百万人殺害した実話をもとにした話。ツチ族の妻を持つフツ族のホテル支配人が、国連軍、政府軍、警察、フツ族の殺戮者集団、ツチ族の反乱軍の力関係の中で、勇気と知恵をもってホテルにやってきた1200人以上の命を守った実話。

2017/01/15

 今も昔も人間社会では対立が起きてきた。個人の次元では各人が意思と欲望を持ち、民族や国家の次元では帰属意識や誇りを持つ以上、仕方がないことだ。しかし、戦争の愚を人類は歴史を通して学んできており、和解の努力を続けてきた。オバマ大統領が広島を、安部首相が真珠湾を訪問し、「和解」の可能性や力に言及したのは、人類の方向性を示している。

 誤解による対立の場合は、簡単に和解に至ることがある。姉妹が一つしかないミカンをめぐり所有を主張した時、一方が美容のためにミカンの皮を、他方が栄養補給のためにミカンの実を欲しがっていることが分かれば、解決は簡単だ。兵士が武器を持ち対峙する民族的・国家的対立の場合は簡単にいかない。しかし、戦場で殺し合いをしていてもクリスマス停戦があるのを見ても、本当は無益な戦争などしたいと思っていないことが分かる。

 30代の若さで「世界が尊敬する日本人25人」(ニューズ・ウイーク日本版)に選出された瀬谷ルミ子氏の職業は武装解除だ。アフガニスタンなどの世界各地の紛争地帯に出向き、兵士を除隊させ武器を回収する。しかし、紛争地に兵士以外の職業がない場合、除隊させることは職業を奪うことになる。武装解除後の仕事のための職業訓練や生活構築も併せて進めて行く現実的視点が不可欠だ(朝日出版新聞『職業は武装解除』瀬谷ルミ子著)。

 和解交渉は裁判でも行われる。離島に赴任した若い裁判官が奮闘するテレビドラマを見たことがある(『ジャッジ〜島の裁判官奮闘記〜』)。現地調査や資料研究により、とても創造的な和解案を提示する様子が描かれており、裁判官のイメージが一変した。判決と和解の件数の上でも、以前と違い現在では、和解で解決する事件は判決よりも多くなったという(講談社現代新書『和解という知恵』廣田尚久著)。「和解の力」が見直されているのだろう。

 前掲書著者の弁護士廣田氏は、金銭の貸し借りやマンション建設による日照権侵害をめぐるトラブルの解決を任され知恵をめぐらす。そして、「和解」とは「譲歩」や「妥協」で行うものではなく、「規範」を使ってするものだと主張する。日本では「和解学」や「紛争解決学」という学問の歴史は浅く、1990年代に考えられ始めているようだ。瀬谷ルミ子氏も紛争解決学の修士課程で学んだのはイギリスの大学だった。

 20~30年ほど前に核に反対する人々が反核デモをするのを見て、感情の表出だけでは目的は達せられないだろうと思ったことがある。欧米のように判決で白黒を決するより調停での解決を求めることの多い日本でこそ、精緻な「和解学」が生まれるのではないか。

 廣田氏が言うように、和解で中心的役割を果たすのは言葉だと思う。同氏の「言葉を届け合う幸せ」は含蓄のある素敵な言葉だ。相互に理解していることを伝え合い、知恵を出し合うことは人間の崇高な使命だ。
「アンネフランク」
アンネは、オランダで家族と平穏に楽しく暮らす14歳の女子生徒。ナチズムの台頭で、ユダヤ人は登録を命じられ、そのあと強制収容所送りとなっていた。懇意にしていたドイツ人の協力を得て、会社のある建物の屋根裏部屋に親戚等とともに隠れ家生活が始まる。従業員の妻のタレこみにより見つかり、全員収容所送りとなる。
 アンネは隠れ家生活のようすを日記に詳細にしたためており、連行された後、ドイツ人協力者が大切に保管していた。アンネの母は餓死で、姉、そして自分も伝染病で亡くなる。アンネの父は生き延び、ロシア軍の侵入により解放されオランダに戻り、アンネの日記を受け取って読み進む中で崩れ落ちていく。後日、青少年の福祉のため、アンネの名前を冠した財団を作る。

「マグダレンの祈り」
 1984年頃のアイルランドのダブリンが舞台。カトリックの道徳律が厳しく、いとこに強姦された女性、未婚の母となった女性や、孤児院で異性から頻繁に声を掛けられていただけの女性らが、罪深い女と決め付けられ、親によってマグダレン修道院に送り込まれる。そこは、宗教の権威を盾に威張り散らす修道女や堕落した神父らにより運営され、収容された女性たちの人権は省みられず、無償の奴隷労働を強要されていた。
1996年に至るまで、このような修道院は国内10か所にあり、国の関与も指摘されており、2013年になってようやく国の報告書が公表されたという。従うべき神的権威が利用されれば無慈悲がまかり通る。謙遜と傲慢は紙一重だ。

「戦場のピアニスト」
 ユダヤ人はドイツによって居住制限され600万人が大量虐殺された。ラジオにも演奏が流れるほどの有名なピアニストの主人公のユダヤ人も家族が殺される。ポーランド人やドイツ人将校の好意によって主人公は生き延びる。ソ連軍が入ってきて今度はドイツ人が大勢捕虜となる。主人公は助けてくれたドイツ人将校を助けようとする。主人公は2000年に死んだ実在の人物のようだ。

「クロッシング」
 主人公は、妻の病気の薬を買うために北朝鮮からの脱出を図り、中国経由で韓国へ来ることができたが、妻は死んでしまう。ひとり取り残された息子は放浪しながら父との再会を求め、中国からモンゴル国内に入るが、疲れと飢えから餓死して父とは会えずに息を引き取る。主人公はキリスト教に触れるが、神はなぜ豊かな国しか助けないのか、なぜ北朝鮮を助けないのかと叫ぶ声が胸に痛い。

「サムソンとデリラ」
 士師時代におけるイスラエル民族とペリシテ人の抗争を描く。神から祝福して生まれたサムソン(太陽の子という意味)は怪力でライオンを素手で倒し千人の敵にもひとりで勝利する。ペリシテ人デリラ(欲望という意味)はサムソンに近づき、弱点を探ろうとする。
 サムソンは女に弱くデリラを妻としてしまい、髪に剃刀を入れると強さがなくなるという弱点を話してしまう。デリラにだまされたサムソンはとらえられ目をえぐられる。ペリシテ人の宮殿につながれるが、髪が伸び強さを取り戻し神殿を破壊してペリシテ人をせん滅させる。デリラにだまされた後、サムソンは信仰を深めていく。神は自分に何も語ってはくれないと思っていたが、そのようにして神を求めるようにさせたのが神の業だと知るようになる。

2016/12/15

 永遠の課題とされてきた「緩まないねじ」を発明した道脇裕氏は、小学校のころ年度初めにもらう教科書を数日のうちに読み終えるほどの天才で、みずから小学校を自主休学して、漁師、とび職、新聞配達等の職業を経験したという。

 そして、大人になり、自分に不足している能力として、読解力等のいろいろな能力を列挙していた時に、それらはすべて小学校や中学校で学ぶこととされている基礎的な能力であることを知り、「ああ、学校で学ぶことは将来大人になったときに効率的に仕事や社会生活を送れるようにと考えられていたんだ。そういうことだったのか」と感じたという。道脇氏ほど、義務教育の素晴らしさを体感した人はいないかもしれない。(NHKプロフェッショナル)

 私は申請取次行政書士として十年ほど仕事をしている。「外国人と結婚したので、配偶者の在留資格の認定が欲しい」とか、「外国人を雇用しているので就労資格の期間更新をしてほしい」とか、「母国から来日しこれまで会社員として働いていたが会社を設立して経営者として活動するための在留資格に変更したい」等の相談を受ける。

 入国管理局は、日本人配偶者の戸籍に籍を入れた申請人であっても、現実に偽装結婚をする人がいるので、審査が厳しく容易には在留資格の認定を得ることはできない。どこで知り合いどのような交際をしてきたのかを、写真やメールの交流録を開示し、法的つながりだけではなく心のつながりがあることを証明しなければ認めてもらえない。

 就労資格においても、新たに料理店を開くために経営者としての在留資格が欲しい場合は、店舗を借り、店内の調度品等の内装や看板等の外観を整え、コックを採用しメニューを完成して初めて申請できる。しかし、そのような大きな投資をしても、事業計画や取引先が不適切と判断されれば認めてもらえない。外国人が起業するには高いハードルがある。

 私は申請取次業務を開始したころは、外国人申請人と同様に、審査がとても厳しいことに反発を感じることが多かった。しかし、示される基準を全うしていくように努力していく中で、申請人が幸福で実りある日本における活動ができるようになることを感じ始めるようになった。「ああ基準が厳しいというのは、そういうことだったのか」と思うようになってきた。外国人申請人にもそのように思ってもらうようにするのが、私の仕事の一つとなった。

 人は幼少期に親の愛を受けて育っても実感できないことが多い。子を持ち親となり、初めて親が自分に厳しく、また優しく接してきたことの意味を「ああそういうことだったのか」と感慨深く知ることとなる。

 体験したことの意味を後になって初めて悟るのは、人間は成長していく存在である以上、仕方がないことだ。できれば、多くの体験を積み、早く悟りに至りたいものだ。
 私は、平成22年より集中的にDVDで映画を見始め、本年11月まで200本近く見た。人が面白いといったもの、マスコミで紹介されていたもの、店頭で面白そうと思ったものなどランダムに選んで見た。それらを勝手に分野ごとに分類し、主観的な鑑賞後感を紹介したい。興味を持っていただければ幸いである。

「善き人のためのソナタ」
 1980年代から90年代にかけての東ドイツを舞台にした映画。東ドイツの体制に従い支えるための活動をしていた国家保安省(シュタージ)の局員ヴィースラー大尉は、職務上、劇作家ドライマンとその同棲相手の舞台女優クリスタの完全監視の仕事に従事するようになった。しかし、彼らの会話に共鳴し、流れてくる善き人のためのソナタというドライマンのピアノ演奏に心奪われ、監視し上層部に報告することをやめ、むしろ彼ら反体制派の活動を見逃し、しやすくするようにしてあげるようになる。
 ベルリンの壁が壊れ、自分たちが完全監視のもとに置かれていたことを知ったドライマンは、資料館で調査する中で、ある人物が自分たちを陰ながら助けてくれていたことを知り、その人物にささげる「善き人のためのソナタ」という本を出版する。その人こそヴィースラー大尉だった。
 良心が抑圧される環境の中でも人はその叫びを抑えることはできない。むしろそのような過酷な環境こそが、人の心を健全にしてくれるのかもしれない。

「アメイジング・グレイス」
 18世紀のイギリスで、奴隷貿易廃止法案をめぐり、国会で対立的議論が繰り広げられていた。映画の主人公は、奴隷貿易廃止派の急先鋒議員であるウィリアム・ウィルバーフォース。将来牧師になるか国会議員になるか迷う氏に対し、かつて奴隷船の船長でその後牧師になったジョン・ニュートンは、現実を変える議員になることを勧めた。このジョン・ニュートンこそがアメイジング・グレースの歌詞を作った人だった。ジョン・ニュートンは映画の主人公ではないものの、映画の中ではアメイジング・グレイスが朗々と感動的に歌われる。

「アルゴ」
 1980年ころイランでは、欧米志向のパーレビ国王の腐敗に国民が怒り、ホメイニ氏による原理主義に回帰しようとし、アメリカ大使館が四四四日間閉鎖され、アメリカ人と分かれば殺されてしまうようになった。六人のアメリカ大使館員は、カナダ大使館に一年以上待機するが、いつ発見され殺されるかわからない。主人公のCIA職員は、六人が映画製作担当者であることとし、出国の2日前にイランに入り市場の様子を撮影し出国するという段取りをする。そのために、有名な映画監督を説き伏せ、イラン国民が共感するような悪者をやっつける脚本を捜し、配役の俳優を集めて新聞に取材させ資料つくりをする。イランに入り、イスラム文化推進官庁のお墨付きを得、大使館員を説得して決行の日を迎える。実話を基にした映画で緊張感を醸し出している。

「リンカーン」
 アメリカ合衆国16代大統領リンカーンの、奴隷解放をめぐる南北戦争の時から亡くなるまでを描く。このときに奴隷解放しなければこの先ずっと奴隷を抱えて行くことになり、戦争の火種を残したままになってしまうことをリンカーンは恐れ、反対派の心に訴えていく様子は胸を打つ。

「ビューティフルマインド」
 均衡理論の発見でノーベル賞を受賞した数学者ナッシュの生きた冷戦時代。彼の理論はソ連からの攻撃情報の暗号解読に役立つ。

「スパルタカス」
 世界史の授業でスパルタカスの反乱というのを習ったように思う。自由を求めて奴隷の立場から奴隷を集めてローマに立ち向かった勇敢な男の話。

2014/04/15

 殺人などの刑事事件の容疑者には、疑わしきは罰せずという「推定無罪」の原則が適用され、起訴する側が容疑者が罪を犯したことを立証する責任を負う。それができなければ容疑者は無罪となる。

 STAP細胞の存在を説明する論文をめぐり理化学研究所の小保方晴子リーダーに改ざんや捏造等の不正があったかどうかが問題となっている。この場合、推定無罪の原則とは反対に「推定有罪(疑わしいときは正しくないとする)」とも言うべき原則が適用される。自説が正しいことの立証責任は小保方リーダーが負い、それができなければ「正しくない」とされてしまう。

 このように立証責任の原則が全く異なるのは、その原則によって何を守ろうとしているかと関連しており、社会的に認められているその価値を守るために、原則が定められていると言えよう。つまり、刑事事件の容疑者の容疑が間違っている可能性もあるのに有罪として罰してしまうと、日本国憲法が何よりも大切にしている人権が守れなくなってしまう。また、科学上の新説の十分な証明なくして正しいとしてしまうと、後に間違いと分かった場合大きな混乱が起きてしまうことが予想される。そのようなことが起こらないようにという観点から用いられる原則が定められていると言えよう。

 また、民法の過失責任の原則でも、どの条文をもとに判断するかによって、立証責任を負う立場が変わる。医師が医療ミスを犯し患者に損害が発生した場合、医師と患者の間に医療契約が結ばれていたと考え、債務不履行による損害賠償を定める415条をもとに判断すると、医師の過失が推定され、医師側が「過失はなかった」ことの立証責任を負う。
一方、不法行為があったとして不法行為による損害賠償を定める709条をもとに判断すると、患者側が医師の過失を立証する責任を負う。いずれの場合も、立証責任を負う側が立証できなければ、損害賠償を求める裁判では負けてしまうことになる。

 外国人が日本に入国するには、「一在留一在留資格」の原則に基づき、身分関連であれ就労関連であれ、どれか1つの在留資格を取得する必要がある。在留資格に応じて、身分関係、学歴や職歴、経済能力等について、入国管理局が求める基準を満たしていることを、申請人である外国人が立証しなければ、許可が下りない。もともと、外国人の日本への「入国の自由」は憲法上保障されていない。入国管理局としては、どれか1つの在留資格を選ばせることで入国目的を明確にさせ、基準を満たしていてこそ、その入国目的が達成できるとすることにより、無目的の外国人の入国を抑制し、犯罪を減らし安全で秩序ある日本社会の構築をすることが目的と考えられる。

 何か権利を主張するときなどは、立証責任が誰にあるか、それはどうしてそうなっているかを十分調べることが肝要と言えよう。
「技術」に該当する活動

 「技術」は、入管法で「本邦の公私の機関との契約に基づいて行う理学、工学、その他の自然科学の分野に属する技術又は知識を要する業務に従事する活動」と規定されています。例えば、機械の製作についていえば、機械を設計し又はその組立を指揮する活動、建物の建築では建物を設計しまたはその建築工事を指揮監督する活動です。

 自然科学の分野の科目を専攻して大学を卒業し、従事する業務が、技術職そのものでなくとも、自然科学の分野に属する知識を要する販売業務、いわゆる技術営業や、総合職的な業務であれば、「人文知識・国際業務」の在留資格ではなく、「技術」の在留資格に該当します。逆に、コンピュータソフトウエア開発は、一見して理科系分野の活動と見なされがちですが、人文科学の分野の科目を専攻して大学を卒業し、その専攻科目の知識を必要とするコンピュータソフトウエア開発などの業務に従事する場合は、「技術」ではなく「人文知識・国際業務」の在留資格に該当します。

「企業内転勤」

 「企業内転勤」は、企業活動の国際的展開に対応し、人事異動により外国の事業所から日本の事業所に転勤する専門技術者等を受け入れるために設けられた在留資格です。例えば、海外にある子会社や現地法人等の関連会社から日本の法人に出向してくる外国人、海外にある本社から日本支社に転勤してくる外国人等が想定されています。新たに外国人を雇用するよりも、外国人社員を転勤させた方が、適切で優秀な社員を確実に日本における業務に従事させることができ、人件費コストも安くなるというメリットがあります。また、海外の子会社における開発責任者や設計責任者等を日本において勤務させ、その間に、新製品や新技術の開発に従事させることもできます。「技術」や「人文知識・国際業務」で要求される学歴要件や実務要件は求められず、海外にある関連会社等で直前に継続して1年以上、「技術」や「人文知識・国際業務」に該当する業務を行っていれば足ります。

 「企業内転勤」は、一定の転勤期間を定めた活動であり、無期限に日本に滞在することを想定している在留資格ではありません。また、「技術」や「人文知識・国際業務」の在留資格を持ち在留している外国人は、別の会社に転職することができる可能性があるのに対し、企業内転勤では転職ができません。しかし、特定の事業所においてではあるものの、「技術」に基づき行うことができる活動と、「人文知識・国際業務」に基づき行うことができる活動の両方を行うことができます。

「技能」に該当する活動

 「技能」の在留資格は、日本経済の国際化の進展に対応し、熟練技能労働者を外国から受け入れるために設けられたものです。具体的には、外国料理の調理、外国で考案された工法による住宅の建築、宝石・貴金属・毛皮の加工、動物の調教、航空機の操縦、スポーツの指導、ぶどう酒の品質の鑑定・評価等の熟練した技能を要する業務に従事する外国人がこの在留資格で在留しています。

 「技術」と「技能」の区別については、「技術」は一定事項について学術上の素養等の条件を定めて理論を実際に応用して処理する能力をいい、「技能」は一定事項について主として個人が自己の経験の蓄積によって有している能力を指します。上陸許可基準のうち「技術」や「技能」の習得判定基準としては、いずれも十年の実務経験(「技能」の一部ではより短期間でも可能)が必要としていますが、「技術」については当該技術もしくは知識に係る科目を専攻して大学を卒業していることでも満たしているとしています。

2014/03/15

 学習や普段の会議等で今や必需品となったスリーエム社のポスト・イット(付箋)誕生の経緯は興味深い。強力な接着剤の研究をしていた研究員のシルバーは、「良く付くが簡単にはがれる」という、奇妙で接着剤としては失敗作を作ってしまったが、それから五年後に同社の研究員のフライが、「讃美歌集のしおりとして使えるのではないか」と考え、実用化したところ、世界的な大ヒットとなったというのである。「すぐはがれる接着剤なんて利用価値がない」と思い込んでいては誕生しなかっただろう。

 今後の日本社会に関するマスコミ報道を見ていると、「女性の活躍できる場を増やそう、そのためには保育所の待機児童を減らすような施策をしなければならない」として、「待機児童数が多い=劣悪な社会環境」という図式が定着してしまっている。確かに、幼児を預かってもらえれば夫だけでなく妻も勤めに出られて、家計は安定することになるかもしれない。しかし、保育の現場では、預かる時間が長くなるにつれて親たちの中で子供に対する慈しみの思いが薄れていることが懸念されているという。

 保育ということが幼児ではなく親の都合や経済社会の視点からしか論議されていない中、元埼玉県教育委員会委員長の松井和氏の視点は、親が子を産み共に生きる中で幸福になるという、きわめて当たりであるが、最近忘れ去られている視点から子育て政策を提起しておられ、発想の転換を感じて興味深い。

 同氏によれば、幼児とは一人では生きていけないのに周囲の人を信じ頼り切り、それでいてとても幸福そうな人たちだ。大人はその様な存在とともにいると自分の中の善性が引き出されてくるし、相手の気持ちを考えて理解しようとするしかないので平和になっていく。「幼児から始まる幸福感」から子育ての施策を考えた方が、結果として国全体に良い影響を与えるというものだ(En-ichi 2012.2,2012.8)。

 また、日本の人口が減少し生産年齢人口も減少していく中、外国人受入れ政策については、あまり議論がなされていない。

 とりわけ外国人受け入れ反対の根拠として、「犯罪が増える」という理由があげられることが多いが、1985年から2008年にかけての外国人入国者数の伸び率が同期間の外国人犯罪の上昇率を大幅に上回っており、外国人が増えると治安が悪化するという説は正しくないようだ(毛受敏浩著『人口激減』新潮新書)。

 むしろ、異質な考えの人と接することによってものの見方や発想方法が多面的になって、日本人にとり革新的な成長の機会と考えた方が良いのではなかろうか。私が接しているパキスタンの方の中には、日本語が流暢な人が何人もいるが、学校で日本語を学んだのではなく、仕事をしていくうえで必要なので何度も質問していく中で覚えたという。なかなか英語が話せない日本人にとって、大きな発想の転換となるのではなかろうか。
該当する活動

 「人文知識・国際業務」とは、①「人文知識」のカテゴリーと②「国際業務」のカテゴリーを合わせて規定した、業務を限定して就労可能とする在留資格です。「人文知識」のカテゴリーは、経理、金融、総合職、会計、コンサルタント等の学術上の素養を背景とする一定水準以上の専門的知識を必要とする文科系の活動を言います。「国際業務」のカテゴリーは、翻訳、通訳、語学の指導、広報、宣伝、海外取引業務、デザイン、商品開発等の外国の文化に基盤を有する思考もしくは感受性に基づく一定水準以上の専門的能力を必要とする文科系の活動を言います。

 いずれも一定水準以上のという文言があるのは、単純労働は許されないという裏返しの表現と見ることができます。例えば、美術系大学や専門学校等で撮影技術を学んだ留学生が、卒業後、カメラマンの業務に従事する場合、映画製作会社の撮影業務に従事する場合は専門知識を必要とする業務と認められ許可の可能性がありますが、結婚式場のカメラマンの業務は、特別な知識を必要としない単純就労であると判断され不許可となることが多いようです。また、外国人客の利用があるホテルにおいて、ホテルマンとして外国人客の案内等の通訳業務に従事する場合、フロント業務には利用者の印象を決定づけ、利用者からの苦情・お願いを受け適切な処理をするにあたり外国語能力を必要とすることや、海外客の新規市場開拓に必要な知識を申請人が有していること等を証明できれば、高級なリソートホテルや観光ホテルでは許可される可能性がありますが、ビジネスホテルでは困難と思われます。

許可を得るための要件

 まず、国公立の機関以外の機関との契約に基づいて業務に従事する場合は、当該機関の事業が適正に行われるものでなければなりません。例えば、労働者派遣事業を営む企業等に就職する外国人に係る申請については、雇用しようとする外国人の予定職務に係る業種について、労働者派遣法に基づく厚生労働大臣の許可を得ていることや(一般労働者派遣事業の場合)、届出(特定労働者派遣事業の場合)を行っていることが要件となります。また、安全性及び継続性の観点からは、機関の売上の多寡、利益の多寡、組織形態、組織規模、設立年度等が重要です。

 「人文知識」のカテゴリーでは、学歴要件(従事しようとする業務について、これに必要な知識に係る科目を専攻して大学を卒業しもしくはこれと同等以上の教育を受けたこと)と実務要件(従事しようとする業務について十年以上の実務経験により、当該知識を修得していること)のいずれかに該当していることが求められます。学歴要件の「大学」とは、学士又は短期大学士以上の学位を取得した者をいいます。専修学校で「高度専門士」の称号を得た者や高等専門学校の卒業生も含まれます(専修学校の「専門士」の称号を有していても上陸のための「認定」は受けられませんが、他の在留資格からの「変更」が許可されることはあります)。

 国際業務のカテゴリーでは、業務内容要件(翻訳、通訳、語学の指導、広報、宣伝又は海外取引業務、服飾もしくは室内装飾に係るデザイン、商品開発その他これらに類似する業務に従事すること)と実務要件(従事しようとする業務に関連する業務について3年以上の実務経験を有すること。ただし、大学を卒業した者が翻訳、通訳又は語学の指導に係る業務に従事する場合は、実務要件は不要)のいずれにも該当していることが必要です。
また、両カテゴリーに共通して、申請人が受ける報酬は「日本人が従事する場合に受ける報酬と同等額以上」であることが必要です。

2014/02/15

 法律にしろ社会の制度にしろ、原則を定め体系化して、それに基づいて合理的な社会運営をしようとする。しかし、思いもよらないことをする人が出てきたり、社会が大きく変化したり、もともと作った法律や制度が不備だったりして、現実を完全に整理することはできない。

 民法を初めて学習した時、わずか千条余りの条文で、社会の権利義務関係を整理していることに驚いた。「代理」「時効」「制限能力者」等の概念を設定して法律行為を見事に調整している。しかし、複雑な権利義務関係に網羅的に対応しているわけではない。

 例えば、人に対して何かを請求できる「債権」は、知り合いの人々の間でなされる「契約」によることが多いが、契約以外で債権が発生することもある。交通事故の被害者が加害者に損害賠償を請求できるのは「不法行為」により、また、強風で隣家の屋根がはがれそうになって危険な時に了承なく修理した後かかった費用を請求できるのは「事務管理」により債権が発生するからだ。同様に、正当な原因なく利益を得た故に他人に損失を与えた者がその返還の義務を負うのは「不当利得」により債権が発生するからである。しかし、この「不当利得」は、具体的な処理方法が民法に書かれておらず、裁判所の判例で問題を処理することが多く「民法のゴミ箱」と言われることもあるという。いわば、裏のルールで物事が進行していると言えよう。

 外国人の在留資格の制度にも奇妙なところがある。在留資格の多くは、外国料理の調理人は「技能」、通訳や翻訳をする人は「人文知識・国際業務」、日本人の配偶者としての活動をする人は「日本人の配偶者等」というように、活動内容や目的が分かるような名前を持っている。

 ところが「定住者」という在留資格は定住を目的とする人がもらえるというわけではない。日本人との血のつながりのある人に「定住者」の認定をする他に、日本人と結婚しその後離婚して日本人の実子を養護する立場にあるとか、日本人の実子がいなくても一定年数の日本人との結婚生活後離婚した場合には、「定住者」への変更が許可されることがある。

 このようなケースの判断基準は法務省発行の資料に見当たらず、当初から想定していたわけでもなかろう。現実の人間関係の中で様々なことが起き、人道上やその他の理由で日本に継続して在留することを求める外国人に、定住実績を一つの理由として許可しているに過ぎないものだ。この資格は、他の就労資格ではそれが規定する就労活動しかできないのに対し、様々な就労活動ができる点でとても魅力的な資格なのだが、何か民法の「不当利得」と同じような臭いを感じる。

法律も制度も、合理性がなければすぐにでも改められるだろう。しかし、合理性だけです べてを整理できるほど人間の活動の現実は単一的ではない。合理と現実のはざ間は、男女関係のすれ違いにも似て、とても人間臭くて興味深い
該当する活動

 「投資・経営」の在留資格は、貿易の自由化、資本の自由化等の世界経済の自由化に対応し、外資系企業の経営者、管理者等を外国から受け入れるために設けられたものです。つまり、「投資・経営」の在留資格が想定しているのは、いわゆる外資系企業であって、外国人又は外国法人による投資がなされていない純粋な日本企業においては、「投資・経営」の在留資格はありえません。

 「投資・経営」の在留資格を得るためには、申請者本人が相当額の投資をして、経営又は管理の活動をするか、または、事業の設立者又は投資者が海外にいる場合にこれらの外国人に代わってその事業の経営又は管理をする場合が該当します。外資系企業の日本法人や日本支店に、管理職として来日する外国人については、「投資・経営」だけではなく、「企業内転勤」にも該当し得ます。

 投資経営の在留資格に該当する活動は、具体的には事業の運営に関する重要事項の決定、業務の執行もしくは監査の業務に従事する社長、取締役、監査役等の役員としての活動又は事業の管理の業務に従事する部長、工場長、支店長等の管理者としての活動が該当します。

事業の安定性・継続性

 申請人が一時的に株式を取得したにすぎない場合や、投資額が相当額に達しない場合は、「投資・経営」の在留資格の対象とはなりません。「相当額の投資」については、最低でも500万円以上の投資が必要となります。この額は、「経営又は管理に従事する者以外に2人以上の本邦に居住する者で常勤の職員が従事して営まれる規模」(上陸許可基準)と考えられています。一般には、会社の事業資金であっても会社の借金は直ちには投資された金額とはなりえませんが、その外国人が当該借入金について個人保証をしている等の特別の事情があれば、本人の投資額と見る余地もあります。

 事業の安定性及び継続性を立証するための異業計画書の作成はとても重要であり、なぜ当該事業がうまく安定的に立ち行くといえるのか、商品仕入れルート、販売ルート、価格設定の合理性、特殊なノウハウや人脈の保有、経営に必要な知識や語学力の保有、関連業務経験の存在、具体的な数字による収支見積もり等、できる限り具体的に記載する必要があります。それらを裏付ける資料も積極的に提出すべきです。

また、外国人2名がそれぞれ500万円以上を出資した上、ともに新設する会社の役員になったからといって、両名ともに「投資・経営」の在留資格が認められるわけではありません。会社の事業規模、業務量がそれほど大きくない場合等は、一名しか「投資・経営」の在留資格が認められない可能性は十分にあります。

投資金額の形成過程の審査

 外国からの留学生が大学等に在学しているとき等から起業の準備をして「投資・経営」の在留資格を取得すべく投資した多額の金銭については、その形成過程が厳しく審査されます。留学の在留資格で在留している間の違法な資格外活動によって得た金銭が原資となっているのではないかが審査されますので、投資額をどのように調達したのかについて合理的な説明を行なうことが重要です。

 留学生以外の者が新規に事業を行なう場合も、投資した金銭の形成過程を問題とされ、申請者自身が投資したことの立証を求められることが通常です。そのような場合は、海外から送金したことが明らかとなる銀行口座の通帳の写しや送金書の写し等により立証することとなります。立証上の観点からは、会社設立に係る資本金は振込送金によることが望ましいようです。

2014/01/15

 昨年は、訪日外国人の数が千万人を突破し、大勢の観光客が日本に訪れるようになってきた。ちなみに、私が住む富山県の在留外国人の中では、パキスタン人やロシア人の数が全国十位くらいに位置し、それぞれ日本全体の中ではそれぞれ3~4%を占めている。百分の一県と言われる富山県にしては、相対的に多いと言えよう(「平成20年版在留外国人統計」財団法人入管協会発行参照)。

 今後、短期滞在の訪日外国人であれ、中長期滞在の外国人であれ、イスラム教国出身の外国人と接する機会が増えるだろう。しかし、日本人は一般的にイスラムの人々と接する機会が少ない。私が知っているのも、豚肉は食べてはいけないとか、一日5回聖地に向かってお祈りをするとか、一か月続く断食月は日の出前から日没までは飲食してはならないきまりがあることぐらいだ。相互の文化をよく知るには観光旅行や文化交流だけでなく、仕事として外国で住みながら活動する人が増えると、さらにその活動が明確なミッションを伴っていると、日本人と相手国の人の生き方や深い精神性までも伝わり、深い交流ができそうだ。

 2012年8月20日に、世界の紛争地を取材、報道し続けたジャーナリストの山本美香氏が、滞在中のシリアで銃撃を受け亡くなった。2001年9月11日の米国同時多発テロ事件発生後、米国や英国らがアフガニスタンを空爆した頃には同国に滞在し取材と報道を続け、2003年3月に米国らがイラクに侵攻したときも、事前にバグダッド入りして取材を続けていた。危険地に赴く山本氏の思いは、「外国人ジャーナリストがいることで最悪の事態を防ぐことができる、抑止力」との直筆のメモに端的に表れている。とりわけ、男性優位社会であるイスラム圏では伝わりにくい女性社会の中に入り込み、女性の視点からイスラム社会の様子も伝えた。山本氏の生き方に影響されジャーナリストの道を志す女性も現れているという(『山本美香という生き方』、日本テレビ放送網株式会社)。

 イスラムの人々は日本人が考える以上に日本のことをよく知ろうとしている。ペルシャ湾岸の国UAEのアブダビ市の小学校では日本語クラスがあり、中央アジアのウズベキスタンなどでは日本語弁論大会が開かれ、トルコでは、日本研究の学会がトルコ人研究者たちにより、日本語を用いて定期的に開催されているという(宮田律著『イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか』新潮新書)。

 日本人はもっとアラビア語やトルコ語等を学ぶべきではなかろうか。私は一昨年、一般社団法人ビブリオ国際交流会(現在は休眠中)を設立し、昨年アラビア語講座を開設したが、参加者が少なく経営的には失敗だった。いずれ同志の人と集ってイスラム文化に親しみ交流し、イスラムの人々の中に日本ファンがもっとできるようになれば、日本の安全保障上も、また多文化社会を構築していくうえでも、良い方向に働くのではなかろうか。