太田総合経営研究所
太田総合経営研究所
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Nucleus CMS v3.65
2018-05-15T02:38:00Z
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2018-05-15T02:38:00Z
2018-05-15T11:38:00+09:00
現代もこの日本において、一部の少数派宗教信者に対する迫害や人権侵害の黙殺が長期間続いていることを知ると、特にそう感じる。自分の信仰を告げると友人関係を断たれたり、国家公務員の幹部候補生となった信者が信仰が分かると昇進の道を断たれるので、発覚しないように隠れて信仰している。
統一教会(現世界平和家庭連合)信者に対する強制棄教は1966年から始まり現在までの被害件数は約4300件に達しているという。一般の教会の牧師と信者の親族が結託して強制的に拉致・監禁し、外部との連絡を一切取れない状況下に置き、統一教会を退会するまで説得工作が延々と続く。信仰を守るために自殺や自殺未遂をする信者も出てくる。
2008年2月に解放されるまで12年5カ月間にわたり監禁されていた後藤徹氏の話
を解放後に直接聞いたことがある。監禁中は教会関連の書籍は見せられないので、教祖のことばを反芻しながら信仰を守り抜いたという。70キロだった体重が50キロに激減し、全身筋力低下、廃用性筋萎縮、栄養失調に陥りながらも、監禁の最後のころは仕打ちを受けつつも神の愛で満たされ、さわやかな顔で過ごせたという。
アメリカでも1970~80年代に強制棄教はあったが、裁判所は、信仰と身体の自由権を侵害する違法行為であると認定し、政府の強力な取締まりの結果、完全に撲滅された。
しかし、日本においては大手マスメディアは、後藤徹氏のケースをはじめとして一切の拉致監禁事件を黙殺し報道してこなかった(唯一の例外は「朝日新聞」1984年5月14日号の高木正久執筆記事、室生忠著『日本宗教の闇』より)。
統一教会が、信者による違法性のある物品販売を行っているからといって、そのことと信者を拉致監禁して強制的に棄教させようとすることとは全く別次元の問題であるのに、大手マスメディアはそう考えられないようだ。あるいは報道すると突出感があるので、考えられないふりをしている可能性もある。
米国国務省は「信仰の自由に関する国際報告書」の中で日本における強制棄教を問題視している。横田めぐみさんを始めとした北朝鮮による拉致被害者救出への国際世論への呼びかけをしても、このような国内における拉致監禁問題を放置していたのでは、「日本は本当はどうでもよいと思っているのではないか」と思われて、救出への日本としての本気度が疑われるのではないか。
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2018-05-15T02:33:00Z
2018-05-15T11:33:00+09:00
2011年3月11日、東日本大震災により大きな被害が発生した。宮城県石巻市の大川小学校では74人の児童と10人の教職員が津波に呑まれ亡くなった。在日20年の英国人ジャーナリストである著者は、徹底した取材により真相を描き出した。
取材に応じてくれた被害児童の遺族たちの話を丹念に集め、分かりやすいように記述するとともに、その遺族たちの家を、北上川下流地域の釜谷地区の地図上に位置付け、取材事実とつなぎ合わせることにより、被害児童・教職員たちは津波のやってくる方向に向かって避難していたことが明らかとなる。亡くなった児童の何人かは、「先生、山さ上がっぺ。ここにいたら地割れして地面の底に落ちていく。おれたち、ここにいたら死ぬべや」と叫び裏山への避難を提案するが、実際にはその逆の方向へと避難を始めたことが、生き残った児童たちの証言で明らかになった。
本書では、生き残った教職員らが、市が遺族たちに対して行った説明会での、普段はおとなしい東北の人たちの激しい追及と市当局の煮え切らない対応ぶりが描かれており、著者は「問題は津波ではなかった。日本が問題だったのだ」とする。
また、死後の世界の子どもたちの様子を霊媒師が紹介しており、「戦争の犠牲者たちの魂を慰めに行きたい」と発言するなど魂の進化の様子を報告し、遺族たちは受け入れられない愛する者の死と折り合いを見つけていく。
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(ラス・カサス、岩波文庫、1976年)
インディアス(スペインが領有した南北両アメリカ大陸の地域、西インド諸島及びフィリピン群島)発見後、スペイン人は無辜の人々を殺害し、王国を破壊してきた。
この地に50年以上にわたり過ごし残虐行為を目撃してきた司教であるラス・カサス氏が、スペインの皇太子フェリペ殿下にその内容を報告し、残虐行為を行う者たちが征服と呼んでいるたくらみを、今後容認したり許可したりすることがないよう依頼した文書。40年間で男女、子ども合わせて1200万人を超える人たちが、キリスト教徒の行った極悪無残な所業の犠牲となって生命を奪われたという。
『日本語はなぜ美しいのか』(黒川伊保子、集英社新書、2007年)
赤ん坊が母親が話す「アサ、オハヨウ」という言葉に触れると、これと共にある情景、すなわち透明な朝の光や、肌に触れるさわやかな空気などが、抱き上げてくれた母親の弾むような気分と共に、脳の中に感性情報としてインプットされていく。人生の最初に出会ったことばと、後に習った外国語とでは、脳内で言葉に関連付けられた感性情報の量が圧倒的に違うようだ。
それなのに母親の母語でないことばで子どもを育てると、言葉の語感と母親の意識、所作、情景がずれて、子どもの脳は混乱して、感性のモデル(仕組み)を作り損ねるという。母語でないことばで育てると、世界中どこへ行っても異邦人のように感じて生きることになってしまう。
著者は大学の物理学科を卒業した後、コンピューターメーカーでAI(人工知能)開発に携わり、脳とことばを研究した。その中で、人間の精神活動において母語が決定的に重要であることに気付いたのだと思う。「わが子にことばを与えるということは、宇宙を授けるのと一緒」という。
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2018-04-15T02:28:00Z
2018-04-15T11:28:00+09:00
2006年函館市で、煙草の自動販売機の前で、70歳の男が、前で煙草を買う60歳の男の買うのが遅いとして、けんかの末に殴り殺した。同じ年茨城県坂東市で、コンビニでの立ち読みを注意され逆上した70歳の男が、軽トラにあったチェンソーにエンジンをかけ店の外に置き、店内で「バラバラにしてやる」と怒鳴り逮捕された。2007年埼玉県熊谷市の居酒屋で、顔見知りで不仲な68歳の男と59歳の男が言い争いとなり68歳の男が自宅から散弾銃を持ち出し、「お前を撃っておれも死ぬ」と叫び、相手を射殺して自殺した。
社会のIT化・情報化に老人はついていけなかったりイライラする。宅配便の不在連絡票を見て再配達を依頼したり、役所に何か問い合わせをするのに電話をしても、人が出ず番号を押せと言われ、何桁もある小さい字を読むことを強いられる。音楽を聴くのもコンピューターからダウンロードしてICで聴くことは便利かもしれないが、そのような音楽の消費形式に自分のメンタリティがついていけなかったりする。
そのうえ少子化が進み「孤独な郊外」で隣り合わせの独居老人が、地域の権威も社会秩序もなく家族もいない中で、自己顕示欲を管理できないと孤独感の爆発が悲惨な結末を呼び起こす。
そのような現代の日本社会でも、他の人のために忙しく活動する奔走老人がいる。『奔走老人』(2016年ポプラ社発行)の著者谷川洋氏もその一人だ。
大手商社を61歳で定年退職し、アジアの辺境(タイ、ベトナム、ラオス、中国、ミャンマーの5カ国が接する山岳地域)に学校を作るために、現地の村の住民集会に参加して学校建設を提案する。「学校を作っても意味がない」との反対にあっても、言葉が読めるようになると希望を持って生きていけるようになることを訴え同意を得、現地NGOをはじめ各国政府の役人や建設業者にコンタクトを取る。日本に戻り、現地の子どもと日本の子どもを交流させるために、交流校を探しまた現地に向かう。文化や習慣の違いに戸惑い、日本の教育システムの壁にぶつかりながら、支援金集めのために東奔西走する毎日を過ごしておられる。
63歳の私はもうすぐ高齢者の仲間入りをする。暴走老人になることなく奔走老人となるためには、どうすればよいだろうか。多くの奔走老人に会い、活動の使命感やエネルギーを相続するとともに、これまで多くの人に支えられてきたことに感謝して、恩返しをする分野を見つけ、明確な目標設定が肝要であるに違いない。
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2018-04-15T02:21:00Z
2018-04-15T11:21:00+09:00
戦前の日本の学校には「修身」という道徳教育の教科があった。戦後の占領期に、ある日本の教育学者が「社会科」開設の話を占領軍に持ち込み、「社会科」は子供の社会生活を包む科目だったので、「修身」は民主主義と両立する優れた教科書であるとの認識が占領軍にあったにもかかわらず、「修身」の再開は必要がないと判断された。
この「修身」廃止の過程を日本国民は認識することができず、「修身」は非民主主義教科であるため占領軍によって廃止させられたという誤解が生まれた。昭和33年に道徳教育を強化しようと特設「道徳の時間」を設け道徳教育再生の努力は続けられてきたが、この誤解を晴らしてなされたものではなかった。結果として、子どもたちは、議論はいろいろするが、行動規範や心に銘記すべき規範の明示はなく、そのために規範を身につける訓練の過程のない道徳教育となった。
一方韓国では李朝末期、日本の統治下、日本に倣って編纂発行していた「修身」の教科書が用いられていた。戦後、戦前の過去の否定という動きが生じず、よいものはよいとして事実上「修身」の教育遺産が継承された。
『道徳の練習帳』(ミシェル・ボーバ、原書房、2005年)
多くの子どもたちが深刻な問題を抱えている原因は、彼らが道徳力を身につけられなかったせいであることが分かったとして、7つの徳目の重要性とチェックシート、身につけさせるための3つのステップを徳目ごとに説明する。
7つの基本的徳性は、共感、良心、自制、尊敬、親切、寛容、公平であるとし、最初の3つ、とりわけ共感が、特に重要であるとする。例えば共感力を高めるには、①意識を高め、〝気持ちを表す語彙”を増やす②人の気持ちを感じ取る感受性を高める③ほかの人の考えに対する共感を育てる、というステップを示している。そして、アリストテレスが「われわれは自らが繰り返して行うことの産物である」と言っているように、親が徳目の大切さを何度も言い聞かせ、子どもに道徳的行いを反復練習をさせることが重要で、そうして初めて親の手を離れていくことができるのだとする。
著者は全米で最も信頼される教育コンサルタントで、国内外で主催したワークショップの参加者は50万人を超えるという。
『「人格教育」のすすめ』(上寺久雄監修、コスモトゥーワン、2003年)
本書は「どうすれば有意義で充実した人生を生きられるか」「人間が幸福になるためには何が必要か」「家庭や学校、地域社会において、子どもにどのような教育を与えれば、人間として成長し本当の幸福を獲得できるか」という本質的で重要な問題に対し、深く詳細な調査結果をもとに論述されている。パート1「高まる人格教育への課題」では、人格教育の核心は個性重視ではなく人格重視であるとし、道徳的価値が普遍性を持つための基準(民主主義的コンセンサス、哲学的検証、比較文化による論証、人間の本性的根拠、自然法的根拠)を説く。
パート2「家庭は愛の学校」の結婚のための準備を説明するなかでは、未熟な愛と成熟したIとの識別方法を説明し、パート3「青少年が直面する性の脅威」では、婚外の性行為がもたらす影響を説明する、極めて良心的で示唆深い内容が盛り込まれている。
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2018-03-07T14:13:00Z
2018-03-07T23:13:00+09:00
もう一つの原因は大人向けの絵本が出てきていることかもしれない。『りゆうがあります』(ヨシタケシンスケ著)は、子どもがする独創的な言い訳が母親に伝染している様子を描いており、子育てが楽しくなる。『つぶっこちゃん』(つつみあれい著)は、小さな豆などをのどに詰まらせることがないようにと、小児科医が作ったもので、リズミカルな文体で親に注意を促している。
子供の時に親に読み聞かせてもらった絵本は、大人になって読み返すと親に愛してもらった思いがよみがえり、困難の中でも生きる意欲を与えてくれそうだ。そのような本は自分の子や孫にも読んであげたい。読み聞かせてくれる親がよく見えない小さな幼児にとって、親の印象は自分を見つめる大きな目なので、漫画などで登場人物の目が異様に大きくても違和感を感じないのだという。絵本によっては登場人物の顔の輪郭が母親の乳房の輪郭だったりする。
昨年私と同じ誕生日に生まれた初孫には、生後6カ月くらいから声に出して読みたい日本語シリーズの『どっどどどどどうど雨ニモマケズ』(宮沢賢治原作)や、ロシアの昔話『おおきなかぶ』(トルストイ原作)の読み聞かせを毎日のようにしてあげた。
今月、富山県民会館で「絵本と私の物語展」が開催され、見てきた。300種700冊が一堂に会した充実した絵本展だった。数日してそこで見た一冊が心を大きく占めるようになってきた。『どんどんどんどん』(片山健)だ。少年がひとりで、猛獣の住む草原も、クジラのいる海の中も、車が行き交う都会の中も、銃弾飛び交う戦場さえも、どんどんどんどん歩いていき、少し疲れて浜辺で砂遊びをして、また歩き始めるという話だ。迫力ある絵が心に残ったのだろう。継続を支える精神性をもらった気がする。
その後、射水市の大島絵本館を訪れる機会があったので、この本があるかと尋ねたら、2~3分で持ってきてくださり、懐かしい友に会ったような気がした。この絵本館は日本と外国の絵本一万冊を蔵しているという。仕掛け絵本、布製絵本、巨大絵本等がある。自分で絵本を作りそこで展示できるようにもなっていて、豊かな絵本文化を生み出してくれそうだ。
絵本ブームの仕掛け人の一人は柳田邦男氏(ノンフィクション作家)だろう。同氏著『大人が絵本に涙する時』(平凡社)で知った『鹿よ おれの兄弟よ』は、ロシアの森林で鹿と共に生きる漁師の生活が美しく迫力ある絵で描かれた、日本人とロシア人の共同制作であり、座右の絵本となった。
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2018-03-07T14:12:00Z
2018-03-07T23:12:00+09:00
この本には、「ムスリムが約束に関しルーズであるのは、約束が実現するのは天命によるものなので、面談約束をしたこととそれが実現することの間には連鎖性がないと考えているから」とか、「イスラーム世界では風紀警察という私服警官が街中を巡察し、婚約者でも同じ一族でもない男女が二人で歩いていたりお茶を飲んだりしていると、風紀警察本部に連れていかれ罰を受ける」という記述があるが、それらを興味本位で紹介することは著者の意に沿わないかもしれない。
なぜなら宗教の理解には、その宗教に帰依している者の判断が正論であり、異教徒の価値判断は正論とはならないにもかかわらず、日本人が宗教に対峙する姿勢にはきわめて独特なものがあり、平気で他宗教へ介入し、自らの基準に照らし合わせて善悪の判断を下し、日本との格差の激しいものには、その格差を埋めるまであらゆる干渉・攻撃を行う、と著者は考えているからだ。著者は、日本人の宗教観は一つの世界観を形成していないと言う。確かに、クリスマスはキリスト教式で祝い、除夜の鐘は仏教徒として聞き、神社へは氏子(神社神道における信者に相当する総称)として初詣をするというのでは、宗教的世界観を有しているとは思えない。先が見通せる砂漠という環境と多民族共存という社会的環境の中で生きる人たちの強固な世界観に出会える一冊だ。
『宗教は科学の生みの親』(小林浩、光言社、2003年)
ガリレオ・ガリレイの科学的業績は「宇宙という神が書いた書物を読む」という信仰があればこそ成し遂げられた。ケプラーやニュートンも同様で、「神が宇宙に整数関係の秩序を与えた」とか「万有引力は神に由来する物理的な原理である」という確信や思想があればこそ成し遂げられたものであるという。
近代を主導した科学者たちは、宗教的偏見を打ち破り合理的な科学を建設したのではなく、キリスト教信仰という強烈なパラダイムがあったからこそ成し遂げられたものである。キリスト教は近代科学の子宮であるとする。
『新約聖書と歎異抄』(渡辺暢雄、PHP研究所、1991年)
新約聖書27巻の内、13(14)通はパウロが紀元48~62年に書いた手紙だという。堅実なユダヤ教だったパウロはキリスト教徒迫害のためにダマスコへ赴く途中、復活したイエス・キリストとの劇的な出会いにより、驚異的な熱心さをもってキリストの福音を述べ伝える者へと生まれ変わった。そして以前の自分を「罪びとの頭」(テモテⅠ)と自称する。
「歎異抄」は、親鸞の直弟子であった唯円が、師の死後30年ほどして、師の教えの解釈が当時乱れていたことに心を痛め、異端を嘆くという意味で著した。「善人でさえ弥陀の大悲によって浄土へ往生を遂げさせていただけるのであるから、悪人ならば尚更のことである」(悪人正機説)における「善人」とは、「自分の罪の醜悪さに気づかず人々をさばき蔑んでいるような自称善人のこと」だとする。
パウロも親鸞も罪の自覚に敏感であるとともに、救いは従来言われてきた律法順守や行いによるのではなく、信仰により与えられるものであるとしているところが似通っている。一方で、パウロにとってイエスは救い主であったが、親鸞にとって救い主は人間釈尊ではなく経典中の神話的な阿弥陀如来であるという。
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2018-02-15T13:50:00Z
2018-02-15T22:50:00+09:00
32代大統領F・ルーズベルト(1933年就任、民主党)の就任前の1929年にアメリカは大恐慌に見舞われ世界中を巻き込んだ。1933年のアメリカの失業率は25%で1200万人の失業者が巷にあふれた。将来に不安を感じる国民を前にF・ルーズベルトは「the only thing we have to fear is fear itself」(我々が恐れなければならないものは恐れそれ自身である)と警告し、非理性的で不条理な恐怖心それ自体が前進に必要な努力を無にするのだと呼びかけた。
35代大統領ジョン・F・ケネディ(1961年就任、民主党)は、冷戦で東西対立が厳しい時代に就任し、自由の価値と自由を守り発展させるために人々がなすべき行動をアメリカと世界の人々に呼び掛けた。「my fellow Americans: ask not what your country can do for you -- ask what you can do for your country」(わが同胞アメリカ国民よ、国が諸君のために何ができるかを問うのではなく、諸君が国のために何ができるかを問うてほしい)と求めるだけでなく、「私たちが諸君に求めることと同じだけの
高い水準の強さと犠牲を私たちに求めてほしい」と意欲を示した。
40代大統領ロナルド・レーガン(1981年就任、共和党)は、アメリカが苦しんでいる経済危機は短い年月では解決できずとも、アメリカ国民には自由を守るためにすべきことをする能力があるとして、「government is not the solution to our problem, government is the problem」(政府が我々の問題を解決するのではなく、政府自体が問題である)として、民間活力を呼び起こすべく大型減税をした。
45代大統領ドナルド・トランプ(2017年就任、共和党)の就任演説はアメリカ再建とアメリカ第一主義を唱える短いものだったが、就任一年後の一般教書演説は、「貿易関係は公正さと互恵的であることが大切」や「脅威に対し弱さは争いを呼び込み比類なき力が防衛の確実な手段になる」などの認識のもと、「in America, we know that the faith and family, not government and bureaucracy , are the center of American life」(我々米国人は米国の生活の中心が政府や官僚制度ではなく、信仰と家族だと知っている)と、アメリカの伝統に帰ることを訴えた。
トランプ大統領に対しては、世界を振り回す「異端児」と見られる面もあるが、米社会の左傾化・世俗化を加速させたオバマ前大統領の路線を明確に否定・転換したトランプ氏に対し、キリスト教福音派を中心とする宗教保守派からは称賛が続いている。
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2018-02-15T13:40:00Z
2018-02-15T22:40:00+09:00
長年ニューヨークに在住し、明快な外交評論を行ってきた著者は、一方で超心理学の研究を続けてきた。
著者は、近年の科学万能主義により自然科学的な方法でとらえられない神や霊界は存在しないと考えたり、その存在を説く人を野蛮人であるかのように考えたりする風潮が広まっていることに危機感を抱く。進化論は外面的、物質的、肉体的な面を検討の対象としており、その範囲では正しいものの、人間の人間たる主たる要素は内面的、精神的、霊的な面であるとし、神は旧約聖書の創世紀の記述のように宇宙を創造されたが、神の計画通りに生物を進化させて最後に神の息を吹き込み人間を創造されたのであり、進化論は神の創造と矛盾するどころか、むしろ神の創造の一環を説明するものであるとする。
著者は「肉体と霊魂の関係」や「天界と地獄」の様相についても記述しており、本書の執筆に際しては数え知れないほどの霊感を受けたという。
『ダーウィンメガネをはずしてみたら』
(安藤和子、いのちのことば社フォレストブックス、2007年)
大阪大学や東京大学大学院で、そして米国に留学して生命科学を学び、その後研究所でも部長職で勤務するなど時代の最先端で研究してきた著者が、生物を殺して組織、細胞、分子レベルで追求する生物化学という研究手段では、生物を生きたもの、魂の入ったものとして見る視点が欠落しており、生命の本質についての答えを得ることができないと分かり、がくぜんとする。
聖書は科学と矛盾すると考えていたが、聖書を読み込むうちに、そのような自分の考えや宗教は弱者が頼るものという世間の常識の間違いを知り、聖書は自然科学研究の百年も千年も先を歩み先導している事実を知る。そして、弱者を切り捨て強者だけ生き残る社会、どこから来てどこへ行くのかわからない生命観に立って、互いの存在と生命を尊ばない社会は、「いのちは自然に発生し、弱い者は滅んでいく」と、ひとつの仮説にすぎない進化論が唱える考えから派生していると確信する。まさに、学校教育でかけさせられたダーウィンメガネをはずしてみたら、真理と心豊かな世界への道が開けていくのである。
『それをお金で買いますかー市場主義の限界』
(マイケル・サンデル、早川書房、2012年)
ここ30年に起こった決定的な変化は市場と市場価値が、それらがなじまない生活領域へと拡大したことだった。ダラスの成績不振校は子供たちが本を読むたびにお金を払い、親が名門大学に寄付をして子供を入学させ、自国の戦争に傭兵を雇うようになった。このように行きていく上で大切なものに値段をつけるとそれが腐敗してしまう。子供はお金のために本をもっと読むようになるかもしれないが、読書は心からの満足を味わわせてくれるものではなく、面倒な仕事だと思えと教えていることになる。新入生となる権利を最高入札者に売れば、収益は増えるかもしれないが、大学の威厳と入学の名誉は損なわれる。自国の戦争に外国人の傭兵を雇えば、同胞の命は失わずに済むが、市民であることの意味が貶められる。
市場はものを分配するだけではなく、取引されるものに対する特定の態度を表現しそれを促進する。これをどのように考えるかを、日本でも「ハーバード白熱教室」の名前でよくNHK教育テレビに登場した、米国ハーバード大学の法哲学の教授が問題提起する。
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2018-01-15T02:49:00Z
2018-01-15T11:49:00+09:00
話し合いが始まるや、直接・間接に得た情報が短時間のうちに一気に出された方が、男性中心の事業に関する話し合い等でテーマから外れていると思い言わずにいたが、後になって多少テーマからずれたことも含めて考えた方が良いと分かり、再度話し合いを始めるよりも、ずっと効率的と言えることが分かったからだ。
コミュニケーションのあり方よりも顕著な男女差は生殖器官の差だ。妊娠と出産は女性に課される大きな課題だ。10カ月前後の間、自分の体内で動く新しい命の躍動を感じ、夫や家族、親族、地域の人々の視線を感じつつ、行動を慎重にし、口にする物や環境にも配慮しなければならない。夫にとっても人生の重要事態であることに変わりはないものの、自分の体内に新しい命の存在を感じるわけでもなく、仕事や趣味に没頭しそのことをすっかり忘れることも可能だ。
社会に男女の区別や性差の意識があるために役割分業も発生するから、男女を分ける制度を失くしてしまおうという考え方のもとに、男女の差異そのものを否定・相対化してしまおうと考えるジェンダーフリー思想の信奉者の中には、妊娠出産における男女差は微々たるものと主張する人がいるが、そんなことはあり得ない。
「フリーセックスの結果、まちがって子どもができて、こっそり手術をしてもらうのも女だし、経口避妊薬の副作用で病気になるのも女だ。男ばっかりが得をする世界で、恋愛でだけ平等だとおもうのはよほど計算によわいのだ。」(松田道雄著『恋愛なんかやめておけ』)
小児期の子どもが、心と体の性別が一致しない性同一性障害(性別違和)を抱いても、成人するまでに七~九割は解消するという。性の不一致に苦しむ子供に性別適合手術を受けさせ、その後「そのように思い込んでしまったが誤りだった」と後悔し、戸籍上は元の性に戻せたとしても、生殖の機能を取り戻すことはできない。
同性婚が合法となり、本人たちはそれでよくても、同性カップルによる育児、つまり父親2人、または母親2人による育児を認めると、そのような特殊な環境を子供自身が選べるわけでもなく、情緒的な問題の発生が報告されているという。
女性のコミュニケーション能力が男性よりも優れていると言われているが、右脳と左脳をつなぐ脳梁と呼ばれる部分が、女性の方が男性よりも大きいことがその原因らしい。男女の違いは、生理的、物理的な違いを中心において考えるのが賢明なようだ。
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2018-01-15T02:45:00Z
2018-01-15T11:45:00+09:00
主人公の祖母が亡くなりその夫が深く悲しんでいる。しかし、主人公はその人が本当の祖父ではなく、自分の祖父が別にいたことを知り、ジャーナリストの姉と共に、祖父の人物像を知ろうとする。宮部久蔵という名前の祖父を知る人に会うと、決まって逃げ出す卑怯な人という評価を得るが、それでもさらに深く知ろうとしていく中で、死を恐れることなく自分の利益を超え妻子のために生きて帰ることにこだわっていた人物と知る。しかし、最終的には特攻隊に志願し亡くなっており、どうして志願したのかという疑問に至る。そのときはじめて、祖父と思っていた人が真実を語り始める。
「そして父になる」
病院で6年前に、看護師の作為により男の子を取り違えられた2組の夫婦が、その事実を病院より知らされ、6歳になった息子が自分たちの息子でないことを知り悩む姿を描く。福山雅治演じるケイタの育ての父はエリートコースを歩んできたので、息子にも努力を厳しく要求するが、相手の気持ちを考えることを学んで、ようやく父親になっていく。
「ゼウスの法廷」
鹿児島の大家族の中で育った女性中村惠がお見合いで東大法学部卒の裁判官加納と婚約をして一緒に生活をするが、すべてが法律的感性の夫に心が行かず、大学時代の元カレ山岡と再会し肉体関係にまで及ぶ。夫と別れてその元カレとアメリカへ行く話をしようとアパートを訪問すると、山岡は別の女性同伴で帰宅してきた。口論となり重過失により惠は山岡を死に至らせてしまう。その場を去ったものの警察に出頭した。
裁判所は判事の妻の犯罪ということでマスコミや世間の目を恐れる。それならと、加納は自らがこの案件の裁判官になると志願する。
「脳男」
生まれながら感情や意欲を持つことなく、食事することすら言われなければしないものの、脳の力は異常なほど発達している男(脳男)の数奇な運命の話。爆発現場にいた脳男がとらえられ、その精神鑑定を女医が任される。異常な脳波や心電図から感情が起こるのが異常であることが分かる。女医はあなたはロボットなんかではないと人間性の回復を手助けしようとし、その出自を調べ始める。脳男の父母は交通事故で死に、祖父が世の中に復讐をしようと、感情を表さない孫に、殺人の方法を教えていく。そのようにして正義感あふれる殺人ロボットができたのだった。繊細な心理描写が秀逸な作品だ。
「バベットの晩餐会」
デンマークの海に面した片田舎に、カトリックの神父と2人の美しい娘がいた。遠方から美しい娘を見にやってくるが、父親は娘たちは自身の両腕だとして嫁がせようとしない。姉には将来将軍になる軍人が思いを寄せ、妹にはパリの歌手が思いを寄せるが父親ゆえに自ら去っていく。年月が経ち、革命がおこったフランスからバベットという女性が革命で行き場を失い、パリの歌手からこの場所を紹介されたとして流れ着き姉妹とともに住み始める。この女性が、宝くじで得た大金をすべて使って、姉妹と村の住人のためにパリ最高級レストランの料理を、過去の料理長の経験を生かしてふるまう。心温まる映画だ。
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