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2017/07/15

 平成12年から成年後見制度が始まった。被後見人の判断能力がすでに不十分になってから用いられる法定後見制度よりも、判断能力がまだ十分あるうちに将来の後見人との間で契約を結ぶ任意後見制度の方が、利用者の意思が反映されやすい制度と言えるだろう。

 任意後見契約で被後見人の療養看護と財産管理を任された任意後見人が実際にこれらの業務を開始するのは、被後見人の判断能力が低下したとされ、裁判所が後見人を監督する監督人を選任してからだ。後見人は被後見人から信頼されて財産管理等を任されるが、いつ魔がさして被後見人の財産を自己のために用いるか分からない。それで、後見人の業務を監督人が監督し裁判所に報告することで、被後見人の財産が正しく用いられるようにする。

 外国人の技能実習制度にも似たようなところがある。我が国の進んだ技術・知識を学んでもらい、修了後は母国の経済発展に尽力するという趣旨から離れ、人手不足を補う安価な労働力の確保のために用いられてきた経緯があるからと思われるが、本年11月より、外国人技能実習機構という新しい機構が作られ、極めて厳しい運用が開始されようとしている。

 協同組合が複数の組合員企業の依頼を受け窓口となり外国人技能実習生を呼び寄せ、実習実施機関で技能実習を行う場合、協同組合が実習実施機関を定期的に訪問し、当初計画した計画通りに実習がなされているかどうかや技能実習生の法的権利が侵害されていないかを監査する。しかし必ずしもすべての協同組合が適切な監査をしているとは限らず、協同組合の監査業務を監査する外部監査人を置くことが義務付けられることとなる。

 後見人を監督する監督人を置いたり、監査人を監査する外部監査人を置くということは、どんな人間や組織でも厳しくチェックされなければ安易な方に傾いたり魔がさしたりするという、現実を冷静に直視した現実志向の考え方に立脚している。このことにより、制度趣旨が担保されやすくなる。反面、共産圏国家の監視社会のような窮屈な社会になってしまわないだろうか。

 別のアプローチがあってしかるべきであり、それは人間の道徳性や倫理性を向上させることにより問題を解決していこうという理想主義的な志向だ。役人の仕事は現実志向でなければならずそれでいっこうにかまわないが、教育者や思想家、宗教家、又は家庭における親は市民や家族の心を開発し道徳性を高めなければならない。戦前は教育現場で教育勅語を生徒は覚え暗誦し、人として生きる道を学んだ。

 現実志向に則り制度運用を厳しくしても、道徳観が低ければ法の抜け道を捜そうとするだろう。また監督人や監査人ばかりの社会は面白みに欠ける。それよりは、「70にして己の欲するところに従えども矩を超えず」を理想とする社会に住みたいものだ。

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