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「永遠の〇」
主人公の祖母が亡くなりその夫が深く悲しんでいる。しかし、主人公はその人が本当の祖父ではなく、自分の祖父が別にいたことを知り、ジャーナリストの姉と共に、祖父の人物像を知ろうとする。宮部久蔵という名前の祖父を知る人に会うと、決まって逃げ出す卑怯な人という評価を得るが、それでもさらに深く知ろうとしていく中で、死を恐れることなく自分の利益を超え妻子のために生きて帰ることにこだわっていた人物と知る。しかし、最終的には特攻隊に志願し亡くなっており、どうして志願したのかという疑問に至る。そのときはじめて、祖父と思っていた人が真実を語り始める。
「そして父になる」
病院で6年前に、看護師の作為により男の子を取り違えられた2組の夫婦が、その事実を病院より知らされ、6歳になった息子が自分たちの息子でないことを知り悩む姿を描く。福山雅治演じるケイタの育ての父はエリートコースを歩んできたので、息子にも努力を厳しく要求するが、相手の気持ちを考えることを学んで、ようやく父親になっていく。
「ゼウスの法廷」
鹿児島の大家族の中で育った女性中村惠がお見合いで東大法学部卒の裁判官加納と婚約をして一緒に生活をするが、すべてが法律的感性の夫に心が行かず、大学時代の元カレ山岡と再会し肉体関係にまで及ぶ。夫と別れてその元カレとアメリカへ行く話をしようとアパートを訪問すると、山岡は別の女性同伴で帰宅してきた。口論となり重過失により惠は山岡を死に至らせてしまう。その場を去ったものの警察に出頭した。
裁判所は判事の妻の犯罪ということでマスコミや世間の目を恐れる。それならと、加納は自らがこの案件の裁判官になると志願する。
「脳男」
生まれながら感情や意欲を持つことなく、食事することすら言われなければしないものの、脳の力は異常なほど発達している男(脳男)の数奇な運命の話。爆発現場にいた脳男がとらえられ、その精神鑑定を女医が任される。異常な脳波や心電図から感情が起こるのが異常であることが分かる。女医はあなたはロボットなんかではないと人間性の回復を手助けしようとし、その出自を調べ始める。脳男の父母は交通事故で死に、祖父が世の中に復讐をしようと、感情を表さない孫に、殺人の方法を教えていく。そのようにして正義感あふれる殺人ロボットができたのだった。繊細な心理描写が秀逸な作品だ。
「バベットの晩餐会」
デンマークの海に面した片田舎に、カトリックの神父と2人の美しい娘がいた。遠方から美しい娘を見にやってくるが、父親は娘たちは自身の両腕だとして嫁がせようとしない。姉には将来将軍になる軍人が思いを寄せ、妹にはパリの歌手が思いを寄せるが父親ゆえに自ら去っていく。年月が経ち、革命がおこったフランスからバベットという女性が革命で行き場を失い、パリの歌手からこの場所を紹介されたとして流れ着き姉妹とともに住み始める。この女性が、宝くじで得た大金をすべて使って、姉妹と村の住人のためにパリ最高級レストランの料理を、過去の料理長の経験を生かしてふるまう。心温まる映画だ。
Posted by oota at 11:45 AM. Filed under: 心を揺さぶる映画たち
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「それでも夜は明ける」
19世紀中ごろのアメリカの、まだ奴隷制度があった頃の話。制度的には自由な黒人がいたものの、陰謀により売られていった先で奴隷として働くことを余儀なくさせられていた。主人公は、カナダ人の協力を得、自分の身分を明確にすることで解放される。
「素晴らしき哉、人生」
1946年作のアメリカ映画。ジョージは心優しく優秀な青年。弟が9歳の時に池に落ちた時も助け出し、幼いころ薬屋でアルバイトしていた時に経営者が間違えて劇薬を処方していたことを知りそれを教えてあげ顧客の一命をとりとめた。
親の作った会社再建のために跡を継ぐが、叔父のミスで不正経理の罪に問われそうになり、妻子に八つ当たりをして、自殺しようとする。そこに、天空から派遣された天使が現れ、自ら海に飛び込みジョージに救出させることでジョージを精神的に助ける。自分なんか生まれてこなかった方がよかったというジョージの発言で、天使はジョージが生まれなかった世界を再現させる。ジョージの弟が9歳で亡くなり、薬屋の経営者は罪に問われて刑務所に入り、母親さえ自分を知らないという。家族が住んでいる家に行ってもここは20年前から廃屋と言われ、独身の妻に会っても痴漢呼ばわりされる。自分が存在してきたことにより、世界が変わっていることを知り、自分の存在価値に気づく。
「ゼロ・ダーク・サーティ」
2000年9月11日のアメリカの飛行機テロの犯人ウサマビンラディンの住んでいるところをCIAが探し出し、殺害のために軍用機でパキスタンのペシャーワルに入り、殺害して死体を持ち帰るまでを描く。CIAのマヤという主人公の職員が執念をもって追求していく。
「ダンス・ウイズ・ウルブズ」
米国軍人として勇敢な行動で武功を上げた主人公ダンバーが、インディアン居住地区の近くに砦を作り、米軍の連絡を待つ。その間に、インディアンのスー族が偵察に来る。お互い相手がどのような人間で何を考えているのかわからない。スー族の格好をした白人女性が大怪我をして泣いているのを見つけ、彼らの居住地に送り届ける。その女性は幼いころ別のインディアンのポーニー族たちに家族を殺され、その後スー族に育てられたのだった。
スー族の人々は頻繁に彼の元を訪れ、またダンバーも先住民族である彼らに白人文化を伝えようと試みることで徐々に互いの友好を深めていった。スー族が知りたい情報は、食用とするバッファローの大群が通過するのがいつか、白人はどれくらいやってくるのかだった。バッファロー通過の報をいち早くスー族に知らせたダンバーは英雄扱いされるようになった。スー族の聖人と見なされている「蹴る鳥」や「風になびく髪」と呼ばれる2人の男も、「拳を握って立つ女」と呼ばれる白人女性や「笑う顔」と呼ばれる女性も、スー族は皆このような名前で呼び合っていることを知る。ダンバーは砦でトゥー・ソックスと名付けた狼がダンバーと戯れていたところをスー族の男に目撃されたことから、部族民同様に「シュンカマニトゥタンカ・オブワチ(「狼と踊る男」)」というインディアン名をもらい、これまでの自分の名前に意味がなかった、これが本当の自分の名前なのではないかと感じる。異民族の共存を考えるとても貴重な映画だ。
Posted by oota at 11:39 AM. Filed under: 心を揺さぶる映画たち
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前号までは、分野ごとに紹介したが、一年前から鑑賞した映画は鑑賞の時系列で紹介する。
「イミテーション・ゲーム」
コンピューターの理論の礎を作りながらも、同性愛者として罰せられ研究環境を持つことができなくて41歳で亡くなったチューリングの生涯を描いている。イギリスは半世紀後に特赦しその功績をたたえた。
「グッド・ライ~いちばん優しい嘘」
南スーダンに住むマメデールと妹と他の兄弟は、兵士が村を襲い両親が殺され、エチオピアに歩いて向かい、その後ケニアに向かって歩き続け、カクマ難民キャンプにたどり着く。その途中で、マメデールの兄は兵士に注意を向けさせ兄弟を助け、弟のダニエルは病気で死ぬ。カクマ難民キャンプでアメリカへ行ける日を待、ついにアメリカに渡った。
ケニアで自分たちを探している男性がいるとの情報を得て、もしかしたら自分を助けてくれた兄ではないかと思い、マメデールは難民キャンプへ行く。そこで兄と再会するものの、兄のアメリカ行きのビザを取得できない。兄にはビザが下りたと報告し、出国手続き直前で真実を話し、「自分は兄さんからもらった命なのだから自分のパスポートとビザで出国してほしい。自分は難民キャンプで医師として働くから」と「良い嘘」をつこうと言う。兄はアメリカに渡り、兄弟たちと喜びの再会をする。アフリカの人々の純情さに心動かされる感動的な映画だ。
「わたしを離さないで」
臓器提供目的で人間のコピーを作ったが、その人間には通常の人間と全く同じ肉身と精神作用を持っている。そのようなコピー人間だけが集められ共同生活をするヘルシャム学校の3人の同期の男女が主人公のフィクション。昨年日本でテレビドラマとして放映された。2017年10月にノーベル文学賞を受賞した石黒一雄氏の作品。
「屋根の上のバイオリン弾き」
ウクライナに住むユダヤ人一家とその地域の人々との交流を描くミュージカル。牛を飼い乳を売って生計を支える主人公の父親は、何よりも伝統を大切にする。しかし、長女は貧乏な仕立て屋と、二女は共産主義者と、三女はユダヤ教以外の宗教を信じる男性と恋に落ちる。ユダヤ人に対する迫害が始まり住み慣れた家を追われても、彼らはユーモアを忘れず力強く生きていく。
「私に会うまでの1600キロ」
離婚や母親の死、自らの自暴自棄な生活で負った心の傷を癒すために、主人公のシェリルは数千マイルに及ぶPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)をひとりで歩き通すことを決意した。人や自然との出会いごとに、過去の体験を思い出し感情を追体験しながら過去の思いを昇華し整理していく。かと思うと過酷な現実にも直面する。それらすべての過程を通してシェリルは大きく成長していく。
「やさしい本泥棒」
ベストセラー小説の映画化。第二次世界大戦時のドイツが舞台で、ユダヤ人と分かれば連れていかれるヒトラー君臨する時代。主人公リーゼルは母親に連れられ養父母のもとへ連れていかれる。養父ハンスはリーゼルが文字を読めない子であることを知ると、リーゼルが盗み持っていた本を読み聞かせてあげて文字を教える。本の力、言葉の力を実感する作品だ。
Posted by oota at 11:22 AM. Filed under: 心を揺さぶる映画たち
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「十二人の怒れる男たち」
アメリカにおける陪審員たちの協議の様子を描く。真実を求めることと法の精神(疑わしきは罰せず)に忠実であろうとする人(主人公、建築士)、自分の趣味を最優先にはやく終了してしまいたい人(ブローカー)、自分の放蕩息子に犯人を重ね合わせて有罪にしたいと最初から考えている人(経営者)、スラム街に住む人はろくな者がいないと先入観を持っている人(経営者)、人間洞察と共感力に富む老人など個性が描かれていて興味深い。日本の裁判員制度は多数決で評決するが、陪審員制度は完全一致にならないと終了しないので、話し合いが必要になる。
「父の祈りを」
アイルランドとイギリスの対立を背景に、冤罪で無期懲役を食らった父子が闘う過程を描いたもの。女性弁護士がとても素晴らしい。
「告発」
1995年に公開されたアメリカ映画。 アルカトラズ島にあったアルカトラズ連邦刑務所で行われていた過剰な虐待を告発し、1960年代に同刑務所を閉鎖に追い込んだ実話を基にして製作された映画。
「ディアブラザー」
アメリカでは冤罪が過去10年間で250件も発生しているそうだ。この映画も冤罪で男性が20年間投獄されていた実話をもとに作られた。
幼いころから兄と大の仲良しだった妹が兄の無罪を信じ、夫と二人の子を持ちながら高校卒業から始め、大学入学、そして弁護士の試験に合格し弁護士として兄の無実を証明していく。長い年月がかかったので、証拠が捨てられているかもしれない状況の中、それを発見し、支援団体の支援を取り付け、兄の娘にも父の無実を伝える感動的な映画。妹はこのためにだけ弁護士となり、それ以降弁護士活動はしていないという。
「真実の行方」
リチャードギアが演じる弁護士は、大司教殺害の容疑者の弁護を無償で買って出る。容疑者の素朴な表情に無罪を信じ調査する中で、大司教と容疑者やその女友達との間で行われたセックスプレイのビデオを発見する。それが端緒となって、容疑者の二重人格が殺害を引き起こしたとなり、刑場ではなく病院送りとなり、弁護は成功したかにみえた。しかし、実は容疑者の人格は残虐な方の人格で統一され、素朴な人格は作り出されたものだった。
「リーガル マインド」
アルコール中毒で治療中の女性弁護士が、社会貢献活動として殺人犯の女性の弁護を引き受けることとなる。涙ながらに語る殺人犯の言葉を信じて調査を進めていくうちに、警察が証拠の改ざんや隠匿をし、検察もそれを知りながら起訴して仮釈放のない終身刑犯を作りあげたことを知った。資料を集め、また裁判官も犯人の人権を守ることが専門の人であったことも味方して、法廷で冤罪であることを証明し無罪放免となった。しかし、その事件にかかわる別の女性の話を聞くうちに、無罪放免となった女性が実は犯人であることを知り、一転していったんは無罪とした女性を有罪にするために法廷活動をする。仲間から、「あなたが立派である理由は勝訴の率が高いことではない、別のことだ」と言われ考え続けるが、あきらめないでやり続けることだと思うようになる。
Posted by oota at 09:39 AM. Filed under: 心を揺さぶる映画たち
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「ベンハー」
ジュダはユダヤ人でローマ人の父を持つメッサラとは親友で家族付き合いをしている。父の兄弟の娘エスターとの婚約も終えた。メッサラは司令官として出世し、ローマ皇帝を護衛する役を持ち、ジュダの家の前を通ったが、ジュダは事故でローマ皇帝を傷つけてしまった。メッサラは責任を問われ、ジュダをガレー船送りに、ジュダの母と妹は絞首刑にされることとなった。ジュダが漕ぐガレー船にアリウス提督が乗った時、海賊船に襲われ、提督と自分と二人だけが助かる。これが縁でジュダは提督の跡取りとなり、ローマの市民権と財産を得る。そして憎きメッサラに復讐することを考える。(上巻)
故郷エルサレムに戻ったジュダはかつて自分と家族が住んでいた家を手に入れた。エスターにも会うが最初は自分を信頼してくれない。エスターはイエスキリストの教えを学び、人を許すことの大切さを知っていた。ジュダの母親と妹に偶然出会い、生きていたが死の病にかかっているのを見る。
メッサラと、四頭立ての馬車での死をもかけた競争をすることとなる。ジュダはユダヤの民の代表として参加し優勝するが、メッサラは瀕死の重傷を負う。メッサラはジュダに母と妹が生きていることを告げ、ジュダに会うことを熱望するが、ジュダは会いに行こうとしない。次第にエスターの感化を受け、自分も許されていたことに思い至る。メッサラに会いに行く途中に、十字架を背負い歩くイエスキリストを助ける。(下巻)。
「コロンビアーナ」
コロンビアは花と殺し屋の国。父母を殺害された少女はおじさんに会いにアメリカへ行き、殺し屋になることを望む。愛と平和を望みながらも、父母の復讐のため、犯人をおびき寄せようと、殺人現場にカトレアの花を残しておく。恋人がたまたま撮影した写真がFBIに流れ、殺人現場の人物と照合一致し家に踏み込まれるが、父母のかたきを取りに行く。
「名もなきアフリカの地で」
ナチスの迫害から逃れたユダヤ人一家がアフリカのケニアでたくましく生き抜き、ドイツに戻るまでの様子を描く、心温まる映画だ。夫婦は愛し合いながらも自分の主張を通していく。最初アフリカが嫌いだった妻は次第に心惹かれていく。娘は最初からアフリカの人々になじみながら、その風習を受け入れていく。ドイツに敵対するイギリス人が通う学校で学ぶが、ユダヤ人はわずかで差別的な扱いもあるようだが、その中でたくましく生きていくようすが、アフリカの素朴な人々との交流の中で美しく描かれている。世界を肌で体験する娘の将来がとても興味深い。自己の有用感をアフリカでは感じられない夫は、ドイツでの判事の職を得る。帰国に当たり、家族が殺されたドイツに帰ることの怖さを感じながらも生まれ育った故国に惹かれていく。
「アレキサンダー」
ヨーロッパからインドにまたがる大帝国を築いた王様の話。マケドニアの王様である父は妻以外の女性を愛し、自分を愛し教育する半面、憎む妻の子ということで簡単には後継者にしない。ペルシャと闘って勝利しバビロンを手中に収めるが、現地部族の娘を王妃とする。この頃までは、魅力的な若王で、異文化を下に見る臣下に反発し東洋の古くからの文化に敬意を払う姿が美しい。さらに東へと遠征しインドに至り南下を試みる。結局傷つき敗退しバビロンに戻るが、毒殺される。毒殺した元臣下が周囲の者に書きとらせるという形で映画は進む。壮大で素晴らしい映画だ。
Posted by oota at 09:32 AM. Filed under: 心を揺さぶる映画たち
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「鑑定士と顔のない依頼人」
ヒッチコックやガス灯を思わせるような心理劇の名作。主人公は孤児として育てられる中で絵画の真贋を見抜く鑑定士に付き添う機会があり、その技術をマスターし、今では絵画オークションをする重鎮鑑定士となる。しかし、女性との付き合い方が分からず、結婚歴もない。あるとき相続した家の中の骨とう品を売りたいので見に来てほしいという女性からの依頼を受け訪問するが何度もすっぽかされ、そのたび謝罪の連絡が来る。その女性は広場恐怖症という病気で人前に姿を現すことができない。何度もやり取りをし怒りと謝罪が繰り返されるうち、主人公は次第にひかれていき、顔を見せてくれた彼女を愛するようになり、絵画コレクションが収納され誰にも見せたことのない部屋に招き入れるまでに信頼する。しかし、オークションの仕事から帰ると、彼女はおらずコレクションすべてが持ち去られていた。
「ガス燈」
心理描写が精緻な映画。主人公の女性は結婚することとなった男性と住む場所を考え、結果的に不審な死を遂げたおばさんの家に住むこととなる。しかし、男性が優しかったり冷たかったりすることで心理的に追い詰められていく。しかも、夜になると誰もいない屋根裏から音が聞こえたり、室内のガス燈がうす暗くなった後また明るくなった直後にいつも夫が仕事から帰ってくる。この家での事件に関心を持っていた刑事が男性に不信を抱き、家に乗り込み男性の陰謀を暴く。
「めまい」
妻殺しで遺産を手に入れようとする男性の策略に乗ってしまう主人公だが、知恵と勇気と真実に対する追求心で道を切り開き、真実を突き止める。最初は仕事で主人公に接していた女性が主人公を愛するようになっていく展開は、「北北西に進路を採れ」(いずれもヒッチコック)と同じだ。
「ダイハード4」
ハッカーのコンピューター侵入で社会基盤が狂うことを取り上げた報道番組で、ダイハード4が引用されていた。コンピューター制御をハッカーにより乗っ取られる危険性を指摘して相手にされなかった優秀な公務員が、腹いせか自己能力の誇示かのために、ファイヤー・セール(投げ売り)のサーバーテロを試み、交通機関(第1段階)、金融・通信(第2段階)、電気・ガス・水道・原子力(第3段階)を乗っ取ろうとする。彼の狙いは、通信網・交通網を遮断し、インフラも使えないようにして、社会を原始時代に逆戻りさせることだ。ニューヨーク市警のマクレーン警部がそれに立ち向かい、一人のハッカーの力を借りて、その試みを阻止する。もう一度見たい映画だ。
「アナザープラネット」
人間の良心を見つめた韻文的で秀逸な作品だ。ローラはMITの優秀な女学生。しかし、飲酒運転で一家3人の人生を狂わせた。夫のジョーンは昏睡状態、妻と子は死亡という大事故を起こしたのだ。4年間の刑務所暮らしの後、同級生に溶け込めず清掃の仕事に就く。インターネットで被害男性の住所を見つけ、清掃の無料お試しとして訪問し、清掃をするが、謝罪の時期を失い少しでも幸福にしてあげたい一心で尽くしていく。巷では、地球と同じ様相の惑星に連絡ができ、その惑星への旅行希望者の募集が始まり、ローラは当選する。そのことを伝えにジョーンの所へ行くと、ジョーンは祝ってくれるが行かないでくれと懇願する。ローラは、自分の罪を告白する。怒ったジョーンに追い出されたローラはその惑星が見つかった時から地球とのシンクロが狂ってきていることを知り、ジョーンに宇宙旅行のチケットを譲る。
Posted by oota at 06:40 PM. Filed under: 心を揺さぶる映画たち
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「四分間のピアニスト」
高齢の女性のピアノ教師クリューガーが刑務所内で服役する21歳の女性ハンナの中にピアノの才能を認め、特別に訓練する許可を得た。ハンナは3年前までピアノのコンクールで入賞する実力者だった。ハンナは親から犯され心を病み、素直に訓練を受けることができないが、次第に師弟の間に信頼関係ができていく。コンクール前日にハンナは同室の囚人に障害を負わせ、クリューガーは極秘のうちにハンナを刑務所から出してコンクールに参加させる。警察がコンクール会場に来るが、演奏の4分間だけ待ってほしいとクリューガーは頼みこむ。ハンナの演奏は型破りで、ピアノの鍵盤だけでなく他の部分も打ちならしまさにピアノと格闘しているようで迫力がある。終了後聴衆から万雷の拍手を得る。魂のぶつかり合いに息をのむ映画だ
「敬愛なるベートーベン」
ベートーベンは神から与えられたメロディーが頭の中に詰まっている。4日後には第9の発表があるが、写譜してくれる人の助けを得る必要がある。アンナボルツという、ベートーベンに心酔する優秀な女性写譜がやってきて、その能力を発揮する。ベートーベンはアンナの中に才能を見出し、2時間ぶっ続けの指揮に自信がなくアンナの助けを得て無事に発表会をこなす。アンナは修道会に起居しながらも橋梁を設計する学生の恋人がいる。ベートーベンはその作品を評価せず彼の作品を公衆の面前で壊す。アンナは激怒するものの、ベートーベンの考えに共鳴してひかれていく。神と対話し本心に忠実なベートーベンの魂と、偽りなきアンナとの関係が素晴らしい。
「レイ」
レイチャールズの一生を描く迫力ある映画。子どもの頃に盲目になり、母親がひとりで生きていけるようにと厳しく育てる。自作の曲をピアノで弾き語りをする。ときどきの自分の思いを歌に込めるので気持ちがこもっている。ヘロインに犯されながらも演奏を続けるが、発覚し逮捕され施設で克服する。ジョージア州で演奏禁止処分を受けたが、その後名誉回復(ジョージア州が謝罪する)する。彼の瞼の奥にはいつも厳しく優しい愛情豊かな母親と、小さい時に目の前で死んだ弟の姿があった。
「奇跡のシンフォニー」
孤児の主人公は天から落ちてくる音や街中で耳にする音にすごく敏感だ。施設を抜け出て音に惹かれてさまよいながら、その音楽の才能を認められジュリアード音楽院に入り、数千人の観客を前にオーケストラの指揮をすることになる。父母を探しての歩みが実り、その場に前座でチェロを弾いた母親と母親に惹かれてきた父親が彼の指揮を見ることとなる。
「オペラ座の怪人」
19世紀後半のパリが舞台。醜く生まれた少年が音楽の才能を活かして、パリオペラ座で思いを寄せる女性の魂に音楽を吹き込んでとりこにしていく。音楽と踊りを主体に美しく展開されるミュージカルダンス。
「サウンドオブミュージック」
1930年代のオーストリアが舞台。修道院に身を置くマリアは、自然人で好奇心旺盛。7人の子を抱え妻を亡くした大佐の自宅に家庭教師として働き、子どもたちに慕われる。大佐は、婚約者がいながら、マリアの自由な大きな心に惹かれて求婚する。ヒトラーがオーストリアに勢力を伸張し迎合する人が多い中で、大佐は勇気を持って行動する。真実の愛と勇気のミュージカル。
Posted by oota at 06:30 PM. Filed under: 心を揺さぶる映画たち
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「楢山節考」
木下恵介監督、田中絹江主演。昔の日本の農村の貧しく悲しい様子を描く。70歳になると家族の食いぶちを減らすために子供に背負われて山に行き、ひとりそこで死ぬのを待つ。主人公は、70歳になる正月に山へ行くと、楽しいことを待つような表情で家族に言う。息子もようやくそのことを受け入れてくれた。その年で30本近い歯がしっかりあることはむしろ醜いこと。主人公は自ら歯を石にぶつけて破損させる。息子に背負われていく道すがら、主人公はカラスが待ち構え、白骨が散乱するなかで死ぬところを息子に指示し、雪が降る中ただ両手を合わせて座って祈る。凛とした悲しさがある。息子は、いったんは母親を置き去りにして山道を下り、いたたまれず母のところに戻るが、意を決して家へ帰る。その場所は今「うばすて」という名前の電車の駅になっている。
「女衒(ぜげん)」
明治時代に香港やシンガポール等のアジアで女衒として活動した村岡伊平治を緒方拳が演じている。売春で稼いだ金を日本の親元に送れば納税できるのだから、娼館経営は国のためになるというのが村岡の理屈だ。第一次大戦の頃になると、売娼に対する国際世論が厳しくなり、経営ができなくなる。ひたすら愛していた倍賞美津子演じるしおを中国人のワンに取られ、それ以降は現地に基盤を作るためにひたすら子作りに励む。
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
程久保高校野球部の部員は、監督との信頼関係もなく、過去の試合の人間関係を引きずり、皆やる気がない。甲子園出場なんて夢のまた夢。そこに、臨時のマネージャーをすることとなった南がまず向かったのが本屋だ。ドラッカーのマネジメントの本を購入し読み始める。「野球部の定義は何か」「野球部の顧客は誰か」を考え始め、「専門家は理解する人がいて初めて価値がある」「組織の外部を変えることがイノベーションである」等、現実に当てはめて理解を深める。そして、現実がそのようになっていく。みなみらの思いが監督と部員に伝わり、ブラスバンド部、チアガール部等も巻き込み、一年後甲子園出場がかなった。
「東京暮色」
小津作品。山田いすゞ演じる次女が、母親がいない寂しさから問題行動をとり、最後は踏切で事故で死ぬ。原節子演じるその姉が、苦悶の中から、子が健全に育つには父母がそろっていることの重要性を悟り、実家へ戻り残してきた夫の所に帰る決意をするまでを描く。
「羅生門」
芥川龍之介の作品「藪の中」をもとに、黒澤明監督が映画にした。一人の男が殺されているところを見た男の話を通して、三船敏郎が演じる関わり殺した男多襄丸(たじょうまる)や、殺された侍とその妻がどんな態度を取ったかが、話す人により異なっている様を描き、人間とは恐ろしいものだとする。
多襄丸によれば、妻を手籠めにした後自分が侍を殺したという。目撃した男によれば、女が自分を強く愛する男のものになるとして両者を戦わせようとしたという。女の証言や、女を通して霊界から現れた侍の証言もまた異なっている。何が真実かは全く分からない。
「武士の家計簿」
加賀藩で3代以上にわたって、そろばんを専門とする武士として生き続けてきた一門の物語。
Posted by oota at 07:29 AM. Filed under: 心を揺さぶる映画たち
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「誤診」
幸福な一家に不幸が襲う。幼い次男がてんかんになり、病院で薬の投与を次々受けるが、どんどん悪くなる。病院は家族の思いを顧みることなく、科学的な治療を進めていく。母親は図書館に通っててんかん治療の方法を学び、食事療法が効果的であることを知る。次の日に脳の手術をするというときに、息子を連れ出そうとするが、病院に見つかる。夫の知り合いの医師の協力を得て、食事療法をしてくれる病院に飛行機で連れていき、断食から始まる食事療法により良くなり、3年間で完治する。科学的手法といいながら行われていた方法は、患者や家族を虐待していたと変わらない。最後の場面では、食事療法をしている病院への連絡方法を紹介し、その方法を用いて治った映画出演者を紹介していた。感動的な実話だ。
「マイフェアレディ」
イギリスを舞台に、音声学(発声学)の教授が下品な花売り娘に会い、花屋さんの売り子になりたいという娘の要望に応じて、音の発音から矯正し上品な娘に改造していく。舞踏会で皇太子からダンスを求められるほどに美しく変貌していく。ことばにこだわりを持つイギリスならではの作品。オードリヘップバーンが、当初は下品に振る舞い、次第に洗練された姿を演じ分けているところが見どころ。
「ビッグフィシュ」
幻想的な部分も含む、男の仕事と家族との人生の話。社交好きで多くの人に好かれる父親がする話は荒唐無稽な作り話が多い。息子は、小さい時は本当のことと思っていたが、長ずるに従いうそが多いことを知る。しかし、その動機は人々を喜ばせようというもので、死に面している父親の過去を調べると、多くの人に尽くしてきたことを知る。父から聞く5メートルもの巨大な魚の話を、息子は作り話として好きではなかったが、父の死後自分も息子にその話をしている。
「コーリング」
医療活動のために、身重の身でありながら奥地に入って活動していた妻が、バス事故で死亡する。夫で医師の主人公は悲嘆にくれる。妻の元患者などから自分へのメッセージを受け、さらに直接妻が霊的に現れ、事故現場へと調査に行く。バスが落ちた湖に飛び込み、運び込まれたであろう村に入っていくと、そこに妻が生んだ女児がいた。妻は、そのことを知らせるために、私を探してというメッセージを死後送り続けていたのだった。
「アイアムサム」
知能指数が7歳の父親が、娘のルーシーを育てることは許されるかどうかをめぐり、法廷闘争となる。養親となった夫婦も最後には、ルーシーはサムによって育てられるのが良いと考えるようになる。
「インサイダー」
タバコ製造会社に勤めながらも喫煙の害をよく知る化学博士が、良心ではたばこの害を世間に訴えることの重要性を理解しながらも、家族と経済的利益を守るために苦悶する。その人を支援するマスコミ人が主人公。マスコミ人の正義と誇りを考えさせられる。実話を元にした作品
「ホテルルワンダ」
ルワンダにおける、フツ族がツチ族を百万人殺害した実話をもとにした話。ツチ族の妻を持つフツ族のホテル支配人が、国連軍、政府軍、警察、フツ族の殺戮者集団、ツチ族の反乱軍の力関係の中で、勇気と知恵をもってホテルにやってきた1200人以上の命を守った実話。
Posted by oota at 08:59 AM. Filed under: 心を揺さぶる映画たち
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「アンネフランク」
アンネは、オランダで家族と平穏に楽しく暮らす14歳の女子生徒。ナチズムの台頭で、ユダヤ人は登録を命じられ、そのあと強制収容所送りとなっていた。懇意にしていたドイツ人の協力を得て、会社のある建物の屋根裏部屋に親戚等とともに隠れ家生活が始まる。従業員の妻のタレこみにより見つかり、全員収容所送りとなる。
アンネは隠れ家生活のようすを日記に詳細にしたためており、連行された後、ドイツ人協力者が大切に保管していた。アンネの母は餓死で、姉、そして自分も伝染病で亡くなる。アンネの父は生き延び、ロシア軍の侵入により解放されオランダに戻り、アンネの日記を受け取って読み進む中で崩れ落ちていく。後日、青少年の福祉のため、アンネの名前を冠した財団を作る。
「マグダレンの祈り」
1984年頃のアイルランドのダブリンが舞台。カトリックの道徳律が厳しく、いとこに強姦された女性、未婚の母となった女性や、孤児院で異性から頻繁に声を掛けられていただけの女性らが、罪深い女と決め付けられ、親によってマグダレン修道院に送り込まれる。そこは、宗教の権威を盾に威張り散らす修道女や堕落した神父らにより運営され、収容された女性たちの人権は省みられず、無償の奴隷労働を強要されていた。
1996年に至るまで、このような修道院は国内10か所にあり、国の関与も指摘されており、2013年になってようやく国の報告書が公表されたという。従うべき神的権威が利用されれば無慈悲がまかり通る。謙遜と傲慢は紙一重だ。
「戦場のピアニスト」
ユダヤ人はドイツによって居住制限され600万人が大量虐殺された。ラジオにも演奏が流れるほどの有名なピアニストの主人公のユダヤ人も家族が殺される。ポーランド人やドイツ人将校の好意によって主人公は生き延びる。ソ連軍が入ってきて今度はドイツ人が大勢捕虜となる。主人公は助けてくれたドイツ人将校を助けようとする。主人公は2000年に死んだ実在の人物のようだ。
「クロッシング」
主人公は、妻の病気の薬を買うために北朝鮮からの脱出を図り、中国経由で韓国へ来ることができたが、妻は死んでしまう。ひとり取り残された息子は放浪しながら父との再会を求め、中国からモンゴル国内に入るが、疲れと飢えから餓死して父とは会えずに息を引き取る。主人公はキリスト教に触れるが、神はなぜ豊かな国しか助けないのか、なぜ北朝鮮を助けないのかと叫ぶ声が胸に痛い。
「サムソンとデリラ」
士師時代におけるイスラエル民族とペリシテ人の抗争を描く。神から祝福して生まれたサムソン(太陽の子という意味)は怪力でライオンを素手で倒し千人の敵にもひとりで勝利する。ペリシテ人デリラ(欲望という意味)はサムソンに近づき、弱点を探ろうとする。
サムソンは女に弱くデリラを妻としてしまい、髪に剃刀を入れると強さがなくなるという弱点を話してしまう。デリラにだまされたサムソンはとらえられ目をえぐられる。ペリシテ人の宮殿につながれるが、髪が伸び強さを取り戻し神殿を破壊してペリシテ人をせん滅させる。デリラにだまされた後、サムソンは信仰を深めていく。神は自分に何も語ってはくれないと思っていたが、そのようにして神を求めるようにさせたのが神の業だと知るようになる。
Posted by oota at 08:50 AM. Filed under: 心を揺さぶる映画たち
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私は、平成22年より集中的にDVDで映画を見始め、本年11月まで200本近く見た。人が面白いといったもの、マスコミで紹介されていたもの、店頭で面白そうと思ったものなどランダムに選んで見た。それらを勝手に分野ごとに分類し、主観的な鑑賞後感を紹介したい。興味を持っていただければ幸いである。
「善き人のためのソナタ」
1980年代から90年代にかけての東ドイツを舞台にした映画。東ドイツの体制に従い支えるための活動をしていた国家保安省(シュタージ)の局員ヴィースラー大尉は、職務上、劇作家ドライマンとその同棲相手の舞台女優クリスタの完全監視の仕事に従事するようになった。しかし、彼らの会話に共鳴し、流れてくる善き人のためのソナタというドライマンのピアノ演奏に心奪われ、監視し上層部に報告することをやめ、むしろ彼ら反体制派の活動を見逃し、しやすくするようにしてあげるようになる。
ベルリンの壁が壊れ、自分たちが完全監視のもとに置かれていたことを知ったドライマンは、資料館で調査する中で、ある人物が自分たちを陰ながら助けてくれていたことを知り、その人物にささげる「善き人のためのソナタ」という本を出版する。その人こそヴィースラー大尉だった。
良心が抑圧される環境の中でも人はその叫びを抑えることはできない。むしろそのような過酷な環境こそが、人の心を健全にしてくれるのかもしれない。
「アメイジング・グレイス」
18世紀のイギリスで、奴隷貿易廃止法案をめぐり、国会で対立的議論が繰り広げられていた。映画の主人公は、奴隷貿易廃止派の急先鋒議員であるウィリアム・ウィルバーフォース。将来牧師になるか国会議員になるか迷う氏に対し、かつて奴隷船の船長でその後牧師になったジョン・ニュートンは、現実を変える議員になることを勧めた。このジョン・ニュートンこそがアメイジング・グレースの歌詞を作った人だった。ジョン・ニュートンは映画の主人公ではないものの、映画の中ではアメイジング・グレイスが朗々と感動的に歌われる。
「アルゴ」
1980年ころイランでは、欧米志向のパーレビ国王の腐敗に国民が怒り、ホメイニ氏による原理主義に回帰しようとし、アメリカ大使館が四四四日間閉鎖され、アメリカ人と分かれば殺されてしまうようになった。六人のアメリカ大使館員は、カナダ大使館に一年以上待機するが、いつ発見され殺されるかわからない。主人公のCIA職員は、六人が映画製作担当者であることとし、出国の2日前にイランに入り市場の様子を撮影し出国するという段取りをする。そのために、有名な映画監督を説き伏せ、イラン国民が共感するような悪者をやっつける脚本を捜し、配役の俳優を集めて新聞に取材させ資料つくりをする。イランに入り、イスラム文化推進官庁のお墨付きを得、大使館員を説得して決行の日を迎える。実話を基にした映画で緊張感を醸し出している。
「リンカーン」
アメリカ合衆国16代大統領リンカーンの、奴隷解放をめぐる南北戦争の時から亡くなるまでを描く。このときに奴隷解放しなければこの先ずっと奴隷を抱えて行くことになり、戦争の火種を残したままになってしまうことをリンカーンは恐れ、反対派の心に訴えていく様子は胸を打つ。
「ビューティフルマインド」
均衡理論の発見でノーベル賞を受賞した数学者ナッシュの生きた冷戦時代。彼の理論はソ連からの攻撃情報の暗号解読に役立つ。
「スパルタカス」
世界史の授業でスパルタカスの反乱というのを習ったように思う。自由を求めて奴隷の立場から奴隷を集めてローマに立ち向かった勇敢な男の話。
Posted by oota at 12:01 AM. Filed under: 心を揺さぶる映画たち
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