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This is the archive for August 2006

2006/08/15

 二サイクル型の問題解決プロセス

 問題解決には発散(創造)思考と収束(統合)思考の両方が必要です。前者は、必要な情報を手分けして調べたりさまざまな視点から自由に意見を出し合う思考であり、後者は、情報やアイデアを取捨選択したり組み合わせたりして、最適な一つの答えにまとめ上げていく思考です。問題解決プロセスでは、発散→収束のサイクルを2回まわすのが標準的です。

 フレームワークとゼロベースでの情報集め

 問題発見のためのステップでは、予断や仮説に基づかないゼロベースでの情報集めがよく行われます。しかし、情報収集はやり出したらきりがなく、思いつくままにやっていては効率が悪い上に重大な情報を見落とすかもしれません。それを防ぐためにロジックツリーが有効です。ロジックツリーとは、情報や物事を大きな(粗い)分類からだんだんと小さな(細かな)分類へとピラミッド型に整理したもので、これを用いて幹から枝へと項目を並べれば、抜け穴や重複が簡単にチェックできます。
 あるいは、よく知られた知識体系(フレームワーク)をあらかじめ知っていると、情報の全体像を調べて整理する手間が省けます(マーケティングの4Pや環境分析のSWOT分析等)。

 いかに分析するか

 モレなくダブリなく情報が集まったなら、それを分析して問題を見つけるステップに入ります。分析には、情報の中で残すべき本質的なものと、切り捨てるべき余分なものを区分けすることが大切です。しかし、このような分析を進めていっても必ずしも問題の発見にいたるとは限りません。本質を掴むには人間の洞察力、または分析のよりどころとなる価値が欠かせませんが、目指すべき価値が共有されていないと堂々巡りに陥ってしまうこともあるからです。そのようなときは、キーコンセプトを作り上げることを優先した方が効率的です。

 メンバーの創造力をフルに引き出す

 アイデアを出すためには、互いのアイデアを尊重し合う支持的なリラックスした雰囲気作りが大切です。そのための最も有名な手法はブレーン・ストーミング法です。自由奔放に発想する、アイデアを批判しない、アイデアの付け足しや連結を歓迎する等のルールは、豊富なアイデアを出すための智慧といえます。
 また、質問の技術も大切です。「何がおっしゃりたいのですか」よりも「どこにご意見のポイントを置かれているのでしょうか」、「なぜ失敗したのですか」よりも「何が失敗につながったと思われているのでしょうか」、「どうしてできないのですか」よりも「何が実現を妨げているのでしょうか」といった質問にすると、圧迫感が和らいで答えやすくなります。

(「問題解決ファシリテーター」(東洋経済新報社)を参考にしました)
 富山市の今後の10年間の総合計画審議会が昨年10月に発足し、全体会議や4つの分野ごとの部会等での討議を経て、本年8月に森市長に対して基本構想案を答申した。同案は市議会9月定例会に提出され、その後、基本計画が11月にも答申される見込みだ。私は公募委員として、討論に加わった。

 議論の過程で市の事務局から提出された討議用資料を見て、教育を視野に入れた文言がほとんどないことと、価値観について「多様な価値観の尊重」という文言は見えても、「普遍的(人格的)価値観の尊重」という文言が見あたらないことを感じた。

 イギリスのブレア首相が選挙演説で言った「イギリスには3つの課題がある。1に教育2に教育3に教育である。」のことばを持ち出すまでもなく、私は国政であろうと市政であろうと、教育は常に最大の政策課題だと考えている。

 また、偏狭な優越感から解放された戦後日本において「多様な価値観の尊重」を唱えるのであれば理解できるが、犯罪が凶悪化・低年齢化して、国民の倫理観の喪失が指摘されている今日では、良心、共感、自制等の「普遍的価値観」の重要性を唱えた方が妥当ではなかろうか。

 私はそのように感じたので、全体会議でも所属する安心部会でも、毎回そのことについて発言した。「アメリカのある市では市長を中心に人格教育審議会を作り、各月の徳目を決め、学校もマスコミも商店街もそれを標語にして強調する取り組みを継続している。富山市でもやってはどうか」「もしも殺人事件が毎月のように富山市で起きれば市民感情はどうなるか。危機感を持った取り組みが必要ではないか」等である。それに対し他の委員からは同調的な声が多く、私は基本構想に文言として反映するものと思っていた。

 しかし、事務局から出された構想案には「人格的価値」の文言も「普遍的価値」の文言もなく失望した。全体会議でそのことを指摘したところ、基本計画の段階で具体的内容を検討したいとの回答が得られた。

 確かに事務局のとりまとめの作業はたいへんだ。特定の意見だけを重視することなく中庸を保ちながらも、1つの観を持っていないと分裂した内容になってしまう。しかし、普遍的価値の文言を入れることは必要だとの思いは変わらない。

 文部省は戦後、青少年の性倫理を高めるための「純潔教育」を進めたが、「性教育」という用語が定着し始めると、「純潔教育」はやめてしまった。今ではこのことばは死語になってしまった。しかし、もしも文部省が純潔教育を継続していたら、今日のような性の退廃は見られなかったかもしれない。

 良心、共感、自制、純潔等の徳目は、一党一派を利する特定の価値観ではない。むしろ、それを求め目指し続けていかないと、健全な社会を維持できなくなってしまう必須のものなのではなかろうか。普遍的価値観にこだわる不変の闘いは終わらない。