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This is the archive for February 2004

2004/02/15

交通事故にあった時は、次の4つのことをしなければなりません。

①事故現場の確認(保全)

どちらがどの程度悪かったかが問題になりますので、事故現場は警察が来るまでそのままにしておきます。

ただ、通行妨害になる時は、状況を確認してから通路脇へ車を止めます。

②加害者(ぶつけてきた人)とその車を確かめる。

③ 近くの警察へ事故の届出をする。

保険金の請求手続きをする時に必要な「交通事故証明書」を発行してもらうために、届け出なければなりません。
届け出ていないと、後になって損害賠償請求がこじれた時、事故の被害者であることを証明する事が難しくなります。

④自動車を運転していて交通事故にあった場合には、加入している保険会社(保険代理店)に対して事故の発生を知らせなければなりません。
 放送作家の永六輔氏は「子どもにお年玉をやるのはやめよう」と提案している。子どもに欲しいのか、必要なのかをまず尋ね、「欲しい」と答えたら、「イラクやアフガニスタンの子ども達の事を考えて我慢しろ」と言い、「必要だ」と答えたら「なぜ必要なのか説明しろ」と話しかけるよう提案している。

 私はこのことを知り、「我が意を得たり」と感じた。「特に必要もないのに何故、子どもにお金を与えるのか、そんな金があるなら、子どもにお金以上に大切な精神的影響を与えるために、子どもの育て方についての本でも買おう」と思い、子どもにも兄弟の子にも、お年玉をやってこなかったからだ。

 前世界バンタム級王者の辰吉文一郎氏の教育論も気持ちがいい。「なぜ子どもに高校に行ってくれと頼むのか。小中学校は義務教育だから責任を持って行かせる。しかし、高校はそうではない。高校、大学へ行きたいなら自分で金を稼いで行きなさい。」というような内容だったと記憶している。

 私はこれができなかったのが残念だ。高一の子の教育費は私が出している。せめて何故行きたいのか説明させるようにした。

 「頼むから行ってくれ」と言うから、子どもは学ばせてもらっているという自分の位置を離れ、「それだったら、高級勉強部屋を作ってくれ」などと要求がエスカレートし、「親のために行ってやっている」となって学習効果も上がらなくなってしまう。家庭内暴力や不登校にもつながりかねない。

 反面、目に見えないものは、どんどん与えるべきだと思う。

小川義男校長(私立狭山ヶ丘高校)の教育は素晴らしい。週5回毎朝6時45分から8時半まで、英語の原書講読の「朝ゼミ」を71歳の小川校長が行い、考えられない程生徒の英語の学力が伸びている。「朝ゼミ」を受けたいために、この学校に入学する生徒もいるという。また、小川校長は、子どもを無視して廊下を通り過ぎることは絶対にしない。たまに考え事をして欠礼すると4階まででも駆け上がって欠礼を生徒に詫びて、挨拶するという(雑誌「圓一」№166、NCU―NEWS発行)。

 子どもは、要望に全て応じていれば、簡単に未来の可能性を摘むことができるという。子どもに与えるべきものは、生理的欲求を満たす最低限の物質と、未来の無限の可能性を開花させるのに必要な生きる力を身につけさせるための最大限の基礎的内容(知識・規範・心情)だと思う。

 知識は求めと個性に応じて、規範は率先垂範して、心情と愛は無尽蔵に与えてこそ、子どもは豊かな心情に根ざした規範意識を身につけ、規範意識に裏打ちされた豊富な知識を社会の発展に用い、充実した人生を送ることができるのではなかろうか。