ところが、そのノーベル平和賞受賞演説の内容は、プラハでの演説と同様のものではなかった。プラハ演説は、未来の世界のあるべき理想の姿を示したものであるのに対して、オスロ演説では、「武力行使が必要で道徳的にも正当化できると判断することがあるだろう」とした。
具体的には「世界に悪は存在する。非暴力運動はヒトラーの軍隊を止められなかった。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を放棄させられない。時に武力が必要であるということは皮肉ではなく、人間の欠陥や理性の限界という歴史を認識することだ」と述べ、ブッシュ大統領の路線を踏襲するかのような印象を与えた。オスロでも、プラハと同じような平和の理想を掲げた演説を聞けるだろうと期待していた人は裏切られたと感じたに違いない。
プラハで理想主義論を述べてからオスロで現実主義論を述べるまでの8か月の間に、オバマ大統領の考え方が変わったのだろうか。いや、そうとは思えない。一見矛盾するとも思われるオバマ大統領の2つの世界観を理解する鍵は、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが説教のために執筆し、後にアメリカ軍の中で広まっていったとされる次の「ニーバーの祈り」にあるかもしれない。「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵を与えたまえ」。
理想を実現するために勇気を持って現実を変えていこうとするが、すぐには変えることのできない現実に等身大で向き合おうとする責任感を持ち続けるとき、理想と現実の対立が具体的な行動として統合されていく。
このニーバーの祈りは、異文化の人々が共生していくヒントも示してくれる。ユニクロや楽天に限らず、外国人社員を積極的に採用する会社は今後増加するだろう。社員であれば、その会社の理念に基づく流儀に合うように変わってもらわなければならないこともある。とともに、人種、言語、また多くの場合は宗教に基づく考え方は、どれだけ変えようとしても変えることができず受容せざるを得ないものだ。変えることができない多様な属性がぶつかり合う中で、相互に学び合い新しい気づきと価値観が生まれる。そう考えてマネジメントしていけば、異文化が混在する混沌の中でも、多様なものが存在しながらも統合されていく妙味を体感できるのではなかろうか。
Posted by oota at 03:06 PM. Filed under: 随想・評論(平成22年)