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2006/04/15

たとえば、中国、韓国、日本の歴史研究家や国際交流の実践者達が集まって、三国共同の歴史教科書を作る取り組み(以下「同プロジェクト」と言う)がうまくいけば、何かにつけて対立的になりがちな外交関係が好転する契機になるかもしれない。

現状では、そんなプロジェクトなど不可能だという意見の方が強いと思う。日本はアメリカに対しては原爆を落とされた立場から、生徒が修学旅行で広島の原爆記念館へ行くなど、被害者としての歴史教育はするものの、同じ20世紀のアジア諸国との関係についてはあまり学校で触れない。それに対して、中国や韓国では、日本に侵略されたということを教科書の多くのページを割いて詳述している。その現状を踏まえれば、そんなプロジェクトがうまく行くわけはないというのである。

 私は同プロジェクトに関わる人々(企画立案者、会議参加者、教科書執筆者等)が何に注目するかによって進展度合いが異なってくると思う。自国では評価が高くても他の国では評価されない歴史上の人物以上に、自国でも他国でも評価される歴史上の人物に関心を向けることができれば、同プロジェクトがうまく行く可能性が見えてくるのではなかろうか。

 たとえば、足軽から身を起こし信長の意志を継いで天下を統一した豊臣秀吉や、低い身分に生まれながら総理大臣となり日本初の憲法を制定した伊藤博文は、歴史的偉業をなしたとして日本人から尊敬されている。しかし一方では、豊臣秀吉による文禄・慶長の役で日本水軍を破った韓国の李瞬臣や、初代韓国統監伊藤博文をハルピン駅頭で射殺した安重根が、愛国者として韓国人から尊敬されている。

 それらの英雄の伝記から国を愛する心を学ぶことを否定するものではないが、相手国に尽くしたり相互交流を進めた人物の業績を愛する心を涵養した方が、同プロジェクトは成功しやすいのではなかろうか。

 対馬藩において朝鮮との外交にあたり日朝修好に尽くした雨森芳州や、日本人でありながら朝鮮半島の民族の尊厳を守ろうとした柳宗悦、日本の儒学の発達に大きな影響を与えた韓国人学者李退渓、さらには日本と中国、韓国と中国の間にも相手国に尽くした人がいると思う。そういう人の思想や業績を顕彰し学ぶことが、同プロジェクトがうまくいくには有効でなかろうか。

 このような工夫をしても、5年や10年では同プロジェクトがうまく行かない可能性も十分考えられる。そのことも想定して、アジアや世界全体のために良心に忠実に考え実践した人を、学校教育で教えることも視野に入れた長期計画があった方がよいだろう。

 とても実現できないと思われることでも、時代や環境が変わればできるようになるかもしれない。藩に分かれて戦っていた戦国時代の人々は、今日のように日本全体で一つの共通の歴史教科書が使われることなど、思いも及ばなかったに違いないのだから。

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