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2005/10/15

 こう薬とへりくつはどこにでもつくという。

 例えば、種子の発芽という現象をどう見るか。普通の見方をすれば、種子内部の胚芽は一定期間種子の外皮のもとに成長し、自ら弱化していく外皮の助けを受けて発芽するのである。

 ところが共産主義理論ではそう見ない。胚芽と外皮がお互いに利害の相反する闘争を通じて、発芽が起こると見る。

 共産主義理論を唱導したマルクスはどうしてこのようなへりくつを言ったのか。彼は、労働者は経営者に搾取されているから、暴力を用いてでも権利を主張すべきということを言いたかった。そのためには、自然界にも多くの対立や闘争があると思わせることができれば、自説の説得力を強めることができると考えたのだ。

 先日富山市で行われた、男女共同参画社会の条例制定に向けて行われた公聴会に参加して、ここでもへりくつがまかり通っている感じを強く持った。

 日本は昔から男と女が家庭を中心として一致協力し、社会を共同して形成してきた。男性は女性に比べて力が強い、判断が速いなどの特性を生かして、社会で仕事をし、妻子を養ってきた。女性は出産と育児という偉業を地道に行ってきた。男性が乳児に哺乳瓶を用いてミルクを与えるよりも、乳房と乳首という天与の授乳装置をもって生まれた女性が授乳する方が効率的だ。初期の母乳には免疫や栄養が豊富に含まれていて乳児が健康に育ちやすい。育児を男女均等にせよとの主張はむなしい。

 女性の晩婚化・非婚化による少子化、更に若者の引きこもり現象を抱える今日の日本で、男女共同参画社会を敢えて取り上げて議論するのであれば、男性はいかに男らしい魅力的な男性となり女性を惹きつけ、女性はいかに女らしい魅力的な女性となり男性を惹きつけることができるか、という観点が最も重要なのではなかろうか。男女がお互いにより関心を持つことによってこそ、より豊かな男女共同参画社会ができるからだ。

 しかし、今日、「男女共同参画社会」の形成という名の下で議論されている内容の多くは、いかにして女性が男性と同じように外で働くことができるようにするか、という問題である。それなら「女性の社会進出」というテーマで議論を進めた方が良いのではないか。男女共同参画社会というテーマで議論するのであれば、女性の社会進出が進めば、女性の女性らしい魅力の低下が懸念され、それが真の意味での男女共同参画社会形成の阻害要因となることを見落としてはいけない。

 女性の社会進出を主張する人の中には、子育てを最大の自己実現と考える多くの女性の意見を顧みず、むしろ女性の自己実現を阻害するものと決めつけたり、家庭とは男性が女性を制度的に支配し、合法的にレイプする装置である考えている人達がいる。そのような人達の言うへりくつの背後に、マルクスと同じような、協力するものを敵対するものと見なしてしまう歪んだ動機があることを見逃してはならない。

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