人の成功談はあまり耳に残らないが、失敗談は寝ていた人が起きるくらい関心を持たれやすい。講演する人は自分の失敗体験を冒頭で話せば、聴衆の関心を引きつけることができ、聴衆は安心感と好意を持って聴くことができる。高齢者が自分の仕事体験を人々の前で講演することができるくらいのコミュニケーション・スキルを身につけさせることで生きがいを持ってもらおうと、NPO法人を設立した人も、失敗体験を人前で公表することを重要なコミュニケーション・スキルの一つと考えているようだ。
失敗を知識化し、多くの人に正確に伝わるようになれば、一つの公共財として、社会全体の向上に寄与するだろう。
アメリカの大企業GE(ゼネラル、エレクトリック社)では、それぞれの製品ごとに事故や故障を含む全ての情報を体系的に整理し、門外不出の宝物として使用しており、自社の世界戦略の基礎になっているという(「失敗学のすすめ」、畑村洋太郎、講談社)。
そのためには、事故の当事者が真相を正直に話すことが必要だが、責任問題が絡んでくると当事者はあまり話さなくなってしまう。しかし事故の予防のためには真相究明が必要だ。
日本では責任追及と真相究明が同時に行われるので真相究明が進みにくいのに対して、アメリカでは両者を分離し、真相究明を優先している。免責の保証を与えることと引き換えに、真相を語らせる司法取引制度も真相究明に有効だ。
さらに、事故とは氷山の一角にすぎず、海面下にはたまたま事故にならなかったものの、事故の発生要因と同じ要因を内包している「ヒヤリハット」が多数あり、このヒヤリハットの体験者は、事故に至っておらず責任を追及されないので、極めて雄弁にヒヤリハットの(つまり同種の事故の)発生要因を話してくれるという。この証言も真相追及に生かせられる。
畑村教授は、失敗のプラス面に目を向け、失敗と上手につき合うことが、実利を伴うメリットとなるような経済システムの構築をも視野に入れた「失敗学」を提唱しており、啓発的だ。
畑村教授は、次の3つの理由で、失敗体験を実名で報告することを勧めている。
①聞く者に、よりリアルで強烈なインパクトを与えることができる
②興味を覚えた者が、より詳しい内容を知りたいとき、失敗者本人に直接聞くことができる
③失敗とは隠すものではないという文化をつくることができる
「今年の私の十大失敗」を年末に作成して、年賀状で報告するなどして、失敗の反省を今後の人生に生かしてはどうだろうか。
Posted by oota at 18:17:00. Filed under: 随想・評論(平成17年)
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