D・カーネギーの名著『人を動かす』の中に、なじみのホテルから講習会に使う部屋の使用料を3倍にすると要請された時に、それがそのホテルにとってどういう利益・不利益があるかを紙に書いて示すことにより、3倍でなく1.5倍に変更することができたという話が紹介されている。
利益としては3倍の使用料が払えず講習会をキャンセルにすることで、ダンスパーティなど、より高い使用料を取れるところに貸し出しができること、不利益としては、講習会収入が入らなくなることと、講習会を行えば参加するはずの、大勢の知識人や文化人が来なくなるのでホテルの宣伝の機会が失われることを示し、説得に成功したという。
あることがらの長所・短所の比較や、ある行為を実行に移すことによる利益・不利益を考えることは、古今東西なされてきたことであり、今さら説明するまでもないことであろう。
ただ、長所・短所なり、利益・不利益を紙に書いて、それをもとにして皆で議論したり、繰り返し考えたりということが行われてきたかというと、必ずしもそうではないような気がする。
「ゆとり教育」と「学力の充実の教育」の間をさまよう日本の公教育の現状を見て、その感を強くする。
確かに、学校へ行く日数や授業時間数を減らせば、生徒は自分の好きなことにより多くの時間を割けるようになるし、土日が休みになれば家族そろって旅行に出かけられ、家庭円満をもたらす等の利益があるだろう。反面、学力低下や、父母が家庭に不在の時など生徒が長時間テレビゲームに興じるなどの不利益も当然予想できたのではなかろうか。
知識の詰め込みが生徒の心の荒廃と暴力等の問題行動を助長するという認識がゆとり教育を進めたと聞くが、最近は、読み書き計算等の基礎学力が身についていないと、子どもの心の荒廃と問題行動を助長することも指摘されている。
ゆとり教育を導入するにあたり、文部省(当時の)はもちろんその是非を議論したであろうが、先述の「十字の整理術」(筆者の命名による)のような対照表に書き込んで、それをもとに十分な議論をし、主張や知見の裏付け調査等を行っていれば、これほど方針が揺れることはなかったのではないかと思う。
イラク等の危険地帯へ自分の責任において行くことは、誰も禁止することはできないが、事前に情報を収集し、想像力を働かせて、十字の対照表に書き込んで整理してみると、後悔しない意思決定がしやすくなるのではなかろうか(この場合は、利益・不利益よりも機会・脅威で整理した方が適切かもしれない)。
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