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2012/02/15

所有の関係から見た株式会社の基本構造

 店主がひとりで経営する駅前のラーメン屋は通常、個人企業です。近所の街角で夫婦が一緒に八百屋を経営していれば、それは通常、共同企業です。会社法の改正によって、株主や取締役がひとりでも株式会社を名乗れるというようになりましたから、上記の個人企業も共同企業も、株式会社として経営することは可能です。しかし、株式会社を設立するには、定款の認証費用や設立登記のための登録免許税等の費用がかかり、運営していくにも法人住民税がかかるので、会社とせずに個人企業として経営している方が一般的です。

 このような企業は「ヒト」と「モノ」との間の単純な所有関係の上に成り立っています。ラーメン店主や八百屋の夫婦という「ヒト」が、ラーメンの麺や具または、店の中の野菜や果物という「モノ」を所有しています。店主が自分の店でラーメンを作って食べようが、夫婦が店に並べてある果物を食べようが、会計上は自家消費として記録に残しておいた方が良いということはあっても、法律上は何も問題は発生しません。

 一方、株式会社として組織されているスーパーマーケット・チェーンも物理的な視点から眺めてみれば、一方には株主という「ヒト」がおり、他方には会社資産という「モノ」があるという点では、個人企業や共同企業と異なるところはありません。しかし、「会社資産」の所有者は「株主」ではなく「会社」です。そして「株主」が所有しているのも「会社資産」ではなく「会社」です。「ヒト」である「株主」と「モノ」である「会社資産」との関係は、法人としての「会社」を中間項とした間接的なものに過ぎません。ですから、自分が株主であるスーパーマーケットのお店の前を通りかかったその株主が、スーパーマーケットの中に陳列してある果物を食べてお金を払わずに立ち去ると、警官が呼ばれて事件となって法律問題が発生します。「株主」は「会社」(具体的には「会社」としての財産的価値を細かい単位に分割した単位である「株式」)を所有していたとしても、陳列してある商品等の「会社資産」を所有しているわけではないからです。

法人の存在理由

 「株主」と「会社資産」の中間に位置する「会社」は、「株主」により所有される客体としては「モノ」ですが、「会社資産」を所有する主体としては「ヒト」です。「ヒト」という場合、「人間」も「ヒト」であり飲食や排せつ等の生理的機能を有し、社会的には権利義務等の主体ともなりますが、「法人」という「ヒト」は「人間」のような生理的機能は有しないものの、社会の中で権利義務の主体としてふるまいますので、「会社資産」を所有する主体となりうるわけです。

 もしもこの「法人」という制度がなければ、株主の数がどんなに多くなっても、夫婦が共同で所有する八百屋と同じように、複数の株主による共同企業となります。すると、共同所有者の誰かが病気や老齢で手を引いたり、あるいは死亡すると、原則的にはそれまでの契約は無効になり、新たに契約書を書き直さなければならなくなります。それは共同企業にも、外部の契約相手にも多大な費用と労力がかかる事態です。このような事態を避け、共同企業が外部の個人や企業と結ぶ契約関係を簡素化するために導入されたのが「法人」であるわけです。

 「法人」とは、個人と個人との間の契約によって作られた単なる「私的」な存在ではなく、社会的に承認されるようにと国家が法律によって制度化したものです。そういう意味では「会社は社会の公器」と言われるように、「公共的」な存在と言えます。

(岩井克人著、平凡社刊『会社はこれからどうなるのか』を参照しました)

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