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2011/12/15

 人間は成長過程において、先人がしていることを模倣することで能力を身につけていく。「武道」や「茶道」のような「道」に限らず、人と話すという日常的な事がらにおいても、やり方やタイミングを体感したり認識したりすることで、次第にひとつひとつの動作や発語の意味や重要性を理解するようになる。最終的な目的は、目に見えない心をみがくことであっても、まずは目に見える形から入っていくことが分かりやすく効果的でもある。

 一方、このように形から入っていこうとしても必ずしもうまくいくとは限らないこともある。近代の市民革命は「君主による支配」を否定して法律という形を伴うものを根拠として国政を行う「法治主義」を実現したにもかかわらず、ドイツではヒトラーの登場を許し、人権の甚だしい蹂躙をもたらしてしまった。それは、法治主義という形式を作ったことで安心して、人権の保障に敏感でなかったからではなかろうか。形式さえ作ればそれで良いというものでもないことを、われわれは学ばなければならない。

 ただ、「形を整えることによって自分の心構えをただし、内的価値を高めたい」という明確な動機があれば、形から入ることは大きな成果をもたらしてくれる。

 名著『修身教授録』の著者であり、立腰教育の提唱者である森信三氏も、「人間は心身相即的存在ゆえ、性根を確かなものにしようと思えば、まず躾から押さえてかからねばならぬ」と述べている。

 人間は、子どもを育て、文化を継承し、安らぎを得る場として家庭を作ってきた。単身世帯の増加によって、社会を家庭単位で構成するのではなく個人単位にした方が良いとか、結婚という事がらに行政は関与しない方が良いという意見が聞かれ始めた。夫婦の心が離れてしまっていれば、さっさと別れた方が子どものためにも良いという人もいる。

 しかし、家庭とか夫婦という形は人間が長年かけて最良のものとして作り上げたものであって、簡単になくしてしまうと将来に対する禍根が大きい。とりわけ、心が離れてしまった夫婦でも、子どもの幸福の観点からは離婚せずに維持した方が深刻度は低いというデータが出ている。当の夫婦各員にしても、愛する器を大きくする機会ととらえれば、維持することに積極的な意義を見出すこともできよう。恋愛結婚でも、もともと真の意味で愛があったという保障はないのだし、むしろ愛があるから結婚するというよりも、結婚することで愛を育んでいくと考えた方が当たっている気もする。動機が良ければ、形から入り形を守ることで、忍耐強く寛大な個人と安定した社会が作られるのではなかろうか。

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