人は人生の過程で様々なことに出会う。人のために良かれと思ってしてあげたのに、真意が伝わらず残念な思いをしたり、それでも忍耐するなどすると人格が成長・完成していく。ある程度人格が成長していないのに結婚して子女をもうけると、離婚したり、最悪の場合は育児を放棄し子供を虐待することにもなりかねない。「家庭の形成」の前に「人格の成長」の目標設定をすることが重要ではなかろうか。
また、困っている人を助け、社会を良くしたいという「社会貢献」に対する思いは、自分の子供が独立した後、とりわけ強くなるようだ。さまざまな人のお陰で生きてこられたことに対する感謝の念と、次世代に少しでも良い社会を残してあげたいという親心がそれを支えている。「家庭の形成」を終えて、自分の職業分野や社会的立場が明確になってきてからの方が、現実的で力強い「社会貢献」の目標設定ができるような気がする。つまり、人生における目標設定は原則として、「人格の成長」、「家庭の形成」、「社会貢献」の順番で行うことが良いように思う。
子どもに与える教育の内容についても順番が大切だ。「知識・技術教育」の前に「規範教育」を行うことが必要だ。コンピュータに関する知識や技
術が傑出しているからといって、人に迷惑をかけてはいけないことや社会人としての規範を教えずに、知識や技術ばかり身に付けさせると、ハッカーになって社会に多大な被害を与えることにもなりかねない。生命工学に対する関心が強いからといって、生命倫理や人間の尊厳性に関する教育を怠ると、人が踏み込んではいけない領域にまで踏み込み、世界に脅威を与えるかもしれない。
ただ、「規範教育」は子どもの心を耕したうえで行わないとうまくいかない。校則という規範を生徒に守らせようとただ声高に要求しても、教師と生徒の間に信頼関係や情的なつながりがないとうまくいかない。法律という規範を子供に守らせようと親がどれだけ法律を教えても、幼少のころに親から愛情を注がれずに育ったり、真美善の価値の大切さに気付かせるような「心情教育」がなされていないとうまくいかない。「規範教育」の前に「心情教育」をすることが重要ではなかろうか。つまり、子どもに与える教育は原則として、「心情教育」、「規範教育」、「知識・技術教育」の順番で行うことが良いように思う。
家庭内における愛にも順番がある。子供にすれば、自分の命の出発点である父母がいがみ合うと、自分たちの魂が傷つけられていると感じる。「夫が1番、子どもが2番である」(桜田淳子著『アイスルジュンバン』、集英社)。
Posted by oota at 11:09:00. Filed under: 随想・評論(平成23年)
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