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2010/06/15

 原因と結果の関係を正しく認識すれば、良くない結果が起こった時に他人に責任転嫁することや、良い結果が起きた時に過少に自己を評価し自信の形成の機会を逸してしまうことを避けることができる。

 相関関係があるからといって因果関係があるとは限らない。例えば年齢が高くなるほど身長は高くなり年収が増えるとすれば、身長と年収の間には正の相関関係がある。しかし、ホルモン注射を打って身長を高くすれば年収が増えるとか、事業がうまくいって年収が増えれば身長が伸びるということはない。身長と年収の間に因果関係がないからである。

 企業の従業員が持っている仕事のやりがいに対する満足度と勤務先企業の収益状況との間にはゆるやかな相関関係が見て取れるが、それだけをもって因果関係があるとは断定できない。しかし分析を深めて、仕事のやりがいに対する従業員の満足度を向上させることは、従業員の定着率や生産性の向上をもたらすことが分かると、因果関係があると推測できる(中小企業白書2009年版)。

 また、原因が結果となって現れるときに、ある事象が縁として介在することもある。

 私は10年以上前、当時幼児だった娘を背負って道路を歩いていた。娘が何か言いたそうなので後ろを振り向くとはいていた靴の片方が脱げて路上に落ちていた。それを知った直後にすぐそばの路上で2台の車による追突事故が起きた。ガラスが割れ車の乗員は車内でぐったりしていて間もなく警察がやってきた。事故の当事者は、私の娘の靴が脱げていることを告げようとしたり気をとられたりして、急停車したり前方不注意になったことを知り、私は自分(と娘)が事故の原因なのだと感じた。しかし、法的には一切私には責任はなかった。申し訳ないことをしたと思っているが、事故の原因は運転手の前方不注意や急停車であり、私はそれが結果をもたらす縁を作っただけだったのだ。

 親が子を産むということにおいて、親は原因だろうか、または縁だろうか。子は親を原因として誕生するものの、親は子どもの目・鼻・口・耳等の顔の各部位を設計した覚えはない。性格は生後の生育環境によって変わるだろうけれど、目鼻立ちは所与のものであり、親の意思は関与していない。それなのに、親は子のすべての原因と言えるのだろうか。私は、子どもの誕生の縁は親が作るにしろ、その原因は親と人智を超えた設計者の双方だと思っている。

 聖書に次ぐロングセラーと言われている『「原因」と「結果」の法則』(ジェームズ・アレン著)も、日本でベストセラーとなった『鏡の法則』(野口嘉則著)も、人間の心のあり方が原因となって、自分の人格や環境という結果がもたらされることを教えてくれている。因果関係の正しい認識、とりわけ目に見えない世界における因果の法則を正しく認識することは、規律ある人生を送る上で大切だと思う。

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