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2009/08/15

 子どもの通う高校の進路説明会に参加したところ、現在の試験の成績で表わされている自分の能力を考えて進むべき道を考えよう、という趣旨の話がなされていた。できれば浪人することなく進路に進んでほしいという親心からかもしれないが、もっと生徒各人の希望を中心に進路を考え、教師や親はそれに期待し支援するようなスタンスがあってもよいのではないかと感じた。人間は潜在能力の3%~30%しか使っていないと言われており、潜在能力は使い方次第ではまだまだ使えるのだから。

 初等教育で物づくりや自然体験に多くの時間をさいて生徒に達成感を味わわせることが、職業観を身につけるのに役立ち、将来を視野に入れた目標設定をなしやすくすると聞く。欧米では大学の卒業は大変だが入学は比較的容易だというのも、将来の職業に関する明確な目標を持つ人が学びやすくしているのではなかろうか。

 設定した目標を達成するためには、まだ見ぬ達成した状態を具体的に想像することが重要だ。スポーツ選手は自分が目指している選手の動きをビデオ等で視聴したり、自分がうまくやっているところを想像することには大きな効果があるようだ。人間の脳には意識した脳と無意識の脳とがあり、判断を要求される局面では人間は無意識の脳の命令に従うという。そして、無意識の脳は自分の実際の体験と想像とを区別することができないので、想像力を働かせるイメージトレーニングが大きな力を発揮するというわけだ。

 うまくいった状態を想像する習慣を作ると現実にうまくいくというのは、ビジネスでも家庭生活でも同様だ。日本では「取らぬ狸の皮算用」とか「大風呂敷を広げる」など、うまくいくかどうか分からないことを前もって肯定的に言うことを戒めるような風潮がある。これは慎み深いという良い面もあるが、目標達成のためにはマイナスに働くことの方が多い。求めないで足るを知ることは静的な美学に合致するかもしれないが、求めて得たものを皆で分かち合う寄付の文化は、心に大きな躍動感を持つ動的な美学に合致する。

 「求めよ、そうすれば与えられるであろう」の聖句は、求めさえすれば得ることができるように、神は自然の中に無尽蔵の恵みを準備していることを暗示しているともいえる。同じように人についても、得たいものやなりたい人物像等の目標が明確になれば、人間の中に内蔵されている無限の潜在能力が動員されて、その目標が達成できるように動き始めるとも言えよう。

 とりわけ、若者に対しては大きな期待を表明し、能力を発揮できるような機会を準備してあげることが大切だ。現在の状況という「事実」にのみとらわれることなく、自分のまだ見ぬ未来の姿を実現することのできる潜在能力を持っているという「真実」に目を向けることが、豊かな人生を送る上で大切なことなのではなかろうか

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