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2009/08/15

憲法は法律か

 法律というのは、Aという事実があればBという法律効果が発生するという形で規定されます。たとえば「他人の財物を窃取」すれば「10年以下の懲役」に処せられます(刑法235条)。しかし、憲法はそうではありません。憲法25条1項は「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定します。ではホームレスの人たちが「俺たちは健康で文化的な生活をしていない」と主張して国に、「月に20万円よこせ」という訴訟を提起できるでしょうか。このホームレスの人たちの主張は認められません。その理由は、憲法25条の理念の実現は裁判所の仕事ではなく、国会や行政府の仕事だということにあります。

 裁判所はあくまで国会が作った法律を個々の事案に当てはめるのが仕事です。「ホームレス問題対策法」という法律を作ることはできません。だから、裁判所はホームレスの人たちの主張を認めないのです。ということは、憲法25条は法律ではなく政治上の努力目標だということになります。つまり、憲法の条文の中に政党の公約みたいなものが混在していることになるのです。他にも、「すべて国民は勤労の権利を有し義務を負う」(憲法27条1項)は、国民の「勤労の義務」を定めていますが、これは働かない国民に強制労働をさせる趣旨ではありません。つまり法的義務ではなく単なる道徳にすぎません。

人権について

 憲法がわが国の最高法規だとされる(憲法98条1項)根拠は、憲法97条にあるとされます。すなわちこの憲法が「基本的人権」を保障しているから最高法規だというのです。基本的人権は一般に「人間が、ただ人間であるということに基づいて、生まれながらに当然に持っている基本的な権利」と定義されます。その人権の根拠は「個人の尊厳」です。個人の尊厳がおおもとであり、国家はそれに奉仕するものだという考え方です。現在行われている一般的な憲法の教育においては、人権を超える価値は存在しないことになっています。

 人権は国家に先んじて存在します。いわゆる自由権がその典型です。自由権は「国家からの自由」と言われます。つまり、国は余計な口出しをしてはいけないという考え方です。自由権には、思想及び良心の自由(19条)・信教の自由(20条)・集会、結社及び表現の自由(21条)等の精神的自由と、居住、移転、職業選択の自由(22条)・財産権(29条)等の経済的自由があります。より重要なのは精神的自由の方です。精神的自由の制約は、「人間の尊厳」にとってより重大な問題だからです。

 人権には国家が存在して初めて概念しうるものも存在します。参政権と社会権です。参政権は選挙権、被選挙権を含む「国家への自由」です。社会権は、生存権(25条)・教育を受ける権利(26条)・勤労の権利(27条)・労働基本権(28条)等の権利、すなわち国家に対し「人間らしく生きるための社会的基盤を整備しろ」という権利であり、「国家による自由」です。社会権は裁判所が関与しにくい分野であり、そういう意味で法的権利としては弱いと言えます。

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