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2009/05/15

 人間の社会活動はどんなものでも、空間的にも時間的にも、その枠組みや設定が大切だと思う。

 相撲をするのに四角い土俵や三角の土俵ですると、やりづらくて思う存分相撲を楽しむことができない。そういうときは、丸い土俵でやろうと提案することが良いと思う。

 人が話し合うという基本的な人間活動についても、枠組みや設定が大切だ。

 NHKテレビの討論番組「独身者急増―未婚社会/日本のこれから」(5月7日放送)を興味深く見た。主催者側は参加者に対して、「女性は男性の年収がどれくらいないと結婚しませんか」とか「結婚を勧める社会がいいか、個人の自由に任せる社会がいいか」というような質問を準備していた。それに対して、参加者のひとりである女優の菊川怜さんが、「まず愛があって結婚をするのであって、年収がいくら必要かは愛があればふたりで考えていけばよい問題だ。結婚についてまず話し合うべきは愛についてであって、なぜそのことについて誰も何も言わないのか」という趣旨の発言をした。

 それに対して、「菊川さんのご指摘の通り話し合いの順番についてまず考えてみましょう」とはならなかった。大勢の参加者に集まってきてもらっており、討論の設定の変更が困難ということは分かる。ただ、

 このような討論番組ではない少人数の討論の場であっても、主催者側は話し合いの順番に踏み込んでまで参加者に話し合いをさせないのが通例だ。しかし、それでは主催者側から示された話し合いの順番や論点の設定に同意していない話し合いに参加することにもなりかねない。

 私は、話し合いの論点が自明である場合を除いては、参加者全員によって話し合いの順番をまず話し合うという文化を作ることが大切だと思う。そのような話し合いは、各人が何を大切に考えているかにまで話が及ぶことがあるし、考え方の枠組みの違いや、同じ言葉でも別のことを考えていることが早い段階で分かったりすることもあって、順番についての話し合いだと言いながら、かなり核心的な意見交換が始まってしまうことにもなる。私は、むしろその方が、主催者から決められた枠組みで話を進めていくよりも、精神的に自由を感じながら意見表明できるので、より実り多い話し合いになるのではないかと思う。

 主催者側は、限られた時間内で何かを決めなければならない話し合いである場合には気が気でないかもしれないが、話し合いの順番を話し合う意見交換のときに前倒し的に意見が出されており、案ずるより産むが易しではなかろうか。

 ある人が問題だと考えることでも、別の考え方をする人にとっては全く問題とならないこともありうる。話し合いの順番について自由に意見表明をすることで、問題とする必要がないとか別のことが問題だと思わされたり、さらには人生の意味に関する気づきまでも得られることがあるのではなかろうか。

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