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2009/03/15

 質問には大きな力がある。人間は他者から質問をされたら、答えようという気持ちが起こることが、質問が持つ力を支えている。

 幼子から「どうして空は青いの」「どうして飛行機は飛ぶの」「どうして動物とお話ができないの」等の素朴で率直な質問に対して、真剣に答えようと努める親や教師は、世の中の様々な現象の本質に通じるようになるだろう。

 大人同士でも、「なぜ」という質問を三回繰り返すと本質が見えてくると言われる。例えば法学部の学生に対して、「なず法律を学ぶの」の問いに「弱者を守りたいから」と返答があり、「なぜ弱者を守りたいの」のさらなる問いに、「弱者を見ると胸が痛むから」と返答があり、「なぜ弱者を見ると胸が痛むの」とさらに問えば、自分はどういう人間なのかとか、人の心はどのように働くのか等本質的なことにおのずと考えが向かうようになる(本質に向かわせる力)。

 悪事を犯した人に検察官が尋問(質問)すれば、事実が明らかになることがある(事実を明らかにする力)。大学の大教室での授業ではよく眠れても、少人数のゼミではいつ質問が飛んでくるか分からないとなれば、眠ることなどできない(緊張させる力)。

 長年の学問研究で顕著な実績のある人が、自分の専門をよく知らない人から質問を受けると、研究してきた事柄のつながりに気付かされたり、役に立つ別の局面を見出したりして、新しい知見や研究の方向性を得ることがある。質問者が別の学問の専門家であれば、彼我の学問の考え方の異同に気付くだろうし、質問者が実務で業績をあげた人であれば世の中の役に立つ学問のあり方に気付くことになる。質問者がいつも本質にさかのぼって物事を考える人であれば、自説の本質的価値に目を向け、内容を深めさせてもらえることになる。異文化の人が質問し合えば、異なる文化的枠組みの出会いが新しい価値を生み出す。(つながりや価値を見つけ出させる力)。

 また、外界に関心を持ち頭が働いていないと質問は出てこない。質問をすると自分が積極的に生きていることを他者に知らせることができる(前向きであることを知らせる力)。

 何人かで話すとき、各自が自分の体験や日頃考えていることを知ってもらいたくてわれ先に話し始めると、その場はお互いに必要でもない情報が無意味に飛び交う無機質な場となってしまいかねない。人間関係の配慮や政治的な思惑からそのような話し合いが続いても喜びは得られない。

 逆に、お互いが相互に関心を持ち合って相手の事情や考えを質問し合えば、困難な状況や必要な努力が何かを想像し、役に立つことはできないかとさらに質問したくなる。そのような話し合いからは精神的な充実感が得られるし、場合によっては経済的・霊的な互恵関係や家族ぐるみの交流に進展する可能性もあり、とても実り多いものとなる。このような力こそ、質問が持つ最大の力ではなかろうか(想像力や愛を誘発させる力)。

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