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2008/11/15

 本書は、1955年にインドで生まれ、大学で学んだあと市場調査会社に勤務中の1992年4月から94年1月までの1年8カ月の間、日本に滞在した著者(M・K・シャルマ)が執筆した、傑出した日本人論です。

 飛行機から憧れの日本に降り立った著者は、動く歩道や美しいが無機質な英語のアナウンス等に触れ、「システムが私を迎えてくれたことに夢を感じた」。著者の次の驚きは、店で勘定をしても人々は釣りを確かめることもなく、また自分の荷物をソファーに置いたまま離れる風景は信じ難く、日本は「信頼が先行する」徳の国と感じたことでした。言葉づかいにしても、たとえば「いい」という言葉が、あいまいで厄介な言葉なのに頻繁に使われていることを知り、日本人は相手の心を推し量ることに価値や美意識を見出していることに感銘を受けています。

 しかし、次第に日本文化の欠点が見え始めてきました。過剰の消費が横行して若者を脆弱にしており、日本社会は若者を「未来」としては見ておらず「消費者」としか見ていない。とりわけ、「若い女性たちは自己を商品化し、男性たちに自分を争奪させるゲームを演出して過剰消費をあおる社会の意思に応えた」とします。

 インドの職場には身分意識が強く残りセクショナリズムに陥りがちであるのに対して、日本の職場やビジネスでは酒席等で「赤裸々な姿を見せ合う」ことが信頼を獲得することにつながることや、日本人の恥の概念は人間の「個」に関わる要素ではなく社会的な「関係」に関わることであることを知り驚きます。そしてついに、日本とパートナーを組むことの難しさの第1は、日本人が持つ抜きがたいアジア人蔑視と宗教文化への無理解であることを見抜きます。

 この本は、傑出した内容に劣らず、本となるに至った経緯にも驚かされます。訳者の山田和氏(富山県砺波市生まれの作家・写真家)がインドを旅行中、ニューデリーの本屋でたまたまヒンディー語での「日本の思い出」というタイトルの本を手に取り、珍本的価値があると思い購入しました。山田氏はその後インド西部の最深部にあり中世の香りが今なお漂うジャイサルメールという町を旅していたときに、ある中年のインド人が声をかけてきました。そのインド人は、山田氏に日本人かと尋ね、そうだと分かると、あなたの国で暮らしたことがあるから食事に招待したいと言いました。普段は慎重な山田氏が、その男に惹かれるものを感じついて行って食卓を囲みました。話の途中で、こんな本をニューデリーで見つけたと言って、バッグから取り出してその男に見せると、なんと著者その人だったというのです。山田氏は、3ヶ月後に著者のシャルマ氏からその本の英語の原稿を受け取り日本語に訳して、本書が誕生したというわけです。

 私がこの本を読んで最も心に残った部分は、日本での滞在を終えてインドに帰る時の著者の心境を述べた次の一節です。「静かな所へ行こう。百年も古い世界に行こう。…物を買うにしても売るにしても、そこから相手の人格を学べる世界で生きよう。私はそのときそう決心した。」

 私はこの本の訳者のように、シャルマ氏の住むインドのさびれた町を訪れ、その心境をもっと深く尋ねてみたい。

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