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2008/09/15

 申請取次行政書士という職業上、外国人が在留資格を得るために行う申請のお手伝いをすることが多い。インドやバングラデシュからの留学生、料理店の経営や中古車販売業に従事するパキスタン人、母国に残してきた子を呼び寄せることを希望する中国人女性等だ。

 最初のころは、外国人ということで多少緊張したが、各国の外国人と会う中で、自分の人生を充実させ家族と幸福に生活することを願っている点では、日本人と全く同じだと実感した。中には親しくなってご自宅での夕食に招かれお返しに富山名物のブリ大根を差し上げたこともある。外国の方は概して積極的な方が多い。ことばがよく分からない日本にやってきて定着しようと努力しておられる。今は仕事上の付き合いがほとんどだが、家族同士で交流するようになれば多くのことを学ぶことができるのではないかと思う。

 異文化の人の出会いは、相手を「認める」「認めない」という基準と、「受け入れる」「受け入れない」という基準で、次のように分類できるという。

 相手を認めしかも受け入れようとする「共生」、相手を認めるが受け入れることはしないという「すみ分け」、相手を受け入れてもそのままでは認めないという「同化」、認めも受け入れもしない「分離」である。植民地支配をして自国の宗教や名前を押し付けるのは「同化」であり、他民族を自民族と異なるという理由で大量虐殺するのは「分離」である。いずれも人間の尊厳や基本的人権を踏みにじる行為であり認められることではない。

 議論になるのは、「すみ分け」を目指そうとするのか、「共生」を目指そうとするのかである。外国人を受け入れない方が治安が悪化せず雇用の機会も外国人に奪われないとして、外国人の受け入れは必要最低限の場合に限るというのが「すみ分け」の基本的姿勢といえよう。このように考える人たちは、外国人失業者が街に溢れるようになった場合の危険性を指摘する。

 一方、共生を目指す人たちは、外国人を「労働者」として受け入れる発想を捨て、家族ごと日本に定住する「移民」として受け入れよう、そして日本語を始め専門的技術を積極的に教えて日本社会に貢献してもらうとともに、「日本に来てよかった」と思ってもらえる国作りをしようと提案する。

 私は、日本は多文化共生の道を行くのが良いと思う。人は理解しにくい人や文化に出会ったときに、自分に無関係なものとしてしまうのではなく、その人や文化が生まれてきた経緯を知ろうとすることで、新しい発見をして自分の器が大きくなり、結果的に相手を受け入れることができる。外国人の受け入れに伴い起こると予想されるいろいろな問題は、受け入れ反対の根拠とするのではなく、解決すべき課題と考えられないだろうか。そのためには、平和的共存と共創の明確なビジョンと、世界人類すべてが家族であるという心情に基づく「為に生きる姿勢」が必須である。

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