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2008/04/15

 ひともうけしようとする起業家のリスク(危険)は一般的に大きい。それでもあえてリスクを引き受けようとするのは、大きなリターン(報酬)を期待するからだ。

 しかし、世の中にはリターンを期待してリスクを引き受けようとするのではなく、良心の発露としてあえてリスクを引き受けようとする人もいる。

 昭和22年に東京地裁の山口良忠判事が餓死した。戦後の食糧の闇取引で多くの人が逮捕される中で、戦争で息子夫妻を失い孫たちに食べさせるために闇米を買って逮捕された72歳の女性に対し、山口判事は刑務所行きの判決を下した。その夜から山口判事は配給物資以外は口にしないことにし、塩水しか摂取できずに餓死したという。

 山口判事は、判決を出す時にすでに、自分の死を覚悟していたのかもしれない。「法律は人間のためにあるのだから、守ると死ぬことになる法律に忠実である必要などないではないか」と言ってしまうのは簡単だが、人間として自分の良心に恥じない行動を貫き通した精神の気高さの前に頭が下がる思いがする。

 脳外科の上山博康医師のもとには、脳動脈瘤の手術を求める患者が全国からやってくる。不安を抱えた患者に対し、上山医師は「大丈夫だ」と言い切るという。手術のリスクを説明したうえで、後遺症なく治すことを約束する。万が一手術が失敗に終わると、医療ミスだとして患者側から訴えられることにもなりかねない。しかし、「患者は人生をかけて医師を信頼する。その信頼に対して自らもリスクを取って五分五分の関係を築くことが礼儀だと思う。」と言う。

 人の生命、健康、財産、権利等の重要なものを扱う医師や弁護士等の専門家は、最悪の場合に備えて、実際以上にこれらのものを守ることが困難であると依頼人に説明することが多いと聞くが、上山医師はその逆だ。自分を追い込んで患者の利益を図ろうとする良心は心を打つ。

 「良心」とは不思議な存在だ。日本で罪を犯して外国に行ったからといって心は安らかにならない。10年、20年前の些細なことでも、人の心を傷つけて謝る機会を失ったことは、何かにつけて思い出され心を苦しめる。良心は時間と空間を超越して、直接に人の心に強力に働きかけてくる。

 土地と財物と子女を奪い合ってきた人類の歴史は悲惨の一語に尽きる。それでも人類は弱小民族や奴隷などの弱者を解放してきた。これも良心の働きだろう。人間の心の中に良心を埋め込んだのは、人類の歴史を経綸する善の本体である神様の最大にして最強の戦略かもしれない。

 犯罪の低年齢化や凶悪化など閉塞感漂う日本社会だが、一人ひとりの市民が、古今東西の偉人の活動に学び、自分自身の心の中の良心を強化することが求められる。良心は人間の尊厳性を守り、個人と社会と世界を幸福に導く中核的存在だと思う。

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