複数の消費者金融会社から借りて、返済に窮して分割払いにしてもらったり自己破産せざるを得なくなった利用者と同じような立場に、今度は消費者金融会社自身が立っているのである。このような立場の逆転は、数年前には予想できなかったことだろう。
二千年前にイスラエルの地にいた青年イエスの行動に対する処遇をローマの高官が決め、イエスは十字架への道を余儀なくされ殺害された。当時のユダヤ人たちは、立派なローマの高官の名前が歴史に残ることはあっても、「犯罪者」イエスの名前が歴史に残ることなどありえないと思っていたに違いない。
しかし事実はそうではなかった。イエスの足跡は、そのベストセラーの言行録である聖書と共に人々に慕われ続け今日に至っている。反面、ローマの高官の名前は歴史に残ることがあるとすれば、聖人を死に追いやった憎むべき者としてであろう。当時のユダヤ人の中でこのことを予想した
人はいるだろうか。
安倍首相が今月12日に首相を辞職したことに関して「無責任だ、敵前逃亡だ」と手厳しく批判する論者が多い中にあって、私の目にした新聞記事の中では丹羽宇一郎氏(伊藤忠商事会長)だけが安倍首相を評価していた。「トップには、あらゆる批判を承知の上で、誰にも相談せず、『撤退の決断』をしなければならない時がある。首相は猛烈に悩んだ末、最も難しいこの決断したのだろう。…(首相は)自分の命のことなど考えなかったはずだ。…首相は決断ができる腹のある人間だ。」(読売新聞、2007年9月13日)の同氏の見解に私も同感だ。
政治家の仕事は国民の生活に責任を持つことと、国民に国家の理想やビジョンを提示することだ。このうち、政治家は後者をより重要視した方が、政治家と国民の関係はより幸福なものになると思う。生活上の要求はきりがないのに対して、理想やビジョンを示し政治家がそれを率先垂範していけば、国民は自立を志向し自分で問題を解決しようとするからだ。
安倍首相は、憲法や教育基本法の改正という国の根幹にかかわる課題を提示することで、国のビジョンや青写真を共に議論する必要性を国民に訴えた。それは構造改革の必要性を訴える以上に重要なことなのではなかろうか。
日本にとって最も重要なことを勇気を持って声高に主張した功績は正当に評価されてしかるべきだろう。
失敗から多くを学んで再登板の機会が与えられれば、歴史に名を残す偉大な首相になるのではなかろうか。「人間万事 塞翁が馬」である。
Posted by oota at 08:54:00. Filed under: 随想・評論(平成19年)
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