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2007/08/15

 2年ほど前のことだが、小学校の女性教師の一風変わった教育方法を巡るクラスの生徒やその父兄、教師たちの変化を描いたシリーズのテレビドラマ「女王の教室」を家族で興味深く見た。

 女性教師真矢は始業のベルと共に教室に現れ、遅刻や宿題を忘れた生徒に便所掃除などの厳しい罰を与える。優しい言葉やねぎらいの言葉は一切無く、笑う事も全くない。生徒は怯え萎縮し先生を変えて欲しいと希望する。

 見方によっては、教師による生徒の虐待とも見える。(実際ドラマの視聴者から番組中止の要請がテレビ局に寄せられたという。)教育委員会に通報が行き、真矢の授業を視察に来る。視察員の判断は、大人社会の暗い部分を過度に教えたり、体罰が行き過ぎという理由でやめさせられることとなる。

 しかし、生徒たちは真矢と対決してきた中で、自分たちが短期間で大きく成長してきたことを自覚し、真矢に続けて教えてほしいと熱望するようになる。過労のため倒れた真矢を介護した教師は、真矢の部屋の中で、生徒たちのデータを丹念に記録した資料や教育に関する膨大な量の書籍を目にして、真矢は生徒の事を真剣に考えている立派な教師であることを悟る。真矢は敢えて生徒の前に立ちはだかる壁となって、早く自分を乗り越えて行くようにと厳しくしている教師だったのだ。

 使命感に燃えて全身全霊を投入する人が、必要な事以外は話さないタイプである場合、周囲の人にはその人の真意が分からず、「悪い人」と見なすことが多い。

で きるなら「良すぎて悪く見える人」の真実の姿を早く知りたいものだ。不要の対立を避けることができるし、その人から早く多くのことを学ぶことができるようになるからだ。

 世の中には強烈な使命感や人類愛から行動し、周囲の理解を得られずに誤解、迫害を受ける人が実際いる。

 1900年に岐阜県で生まれた杉原千畝は、1940年リトアニアの領事館に領事代理として勤務していた時、ヒットラーの迫害から逃れんとするユダヤ人が押しかけてきた。ユダヤ人の命を守るために杉原は日本通過ビザの発給許可を得るために日本の外務省に三度電報を打つが、当時の日本は、日独伊三国同盟への配慮からドイツに敵対する行為は認められなかった。

 杉原は苦悩の末、本国の命令に従わずビザを発給し、約六千人の命を救った。その思いは「私を頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ、私は神に背く」という妻への言葉に表れている。

 杉原は戦後、外務省へ戻るが「例の件によって責任を問われている。省としてもかばいきれない」と言われ退職させられた。その後、1992年に国会で正式に名誉を回復したが、それは千畝が外国勤務を終えて日本に戻って45年後、また千畝の死後6年後のことだった。日本は半世紀近く、偉大な精神を省みなかった。

 われわれの周囲に「良すぎて悪く見える人」はいないだろうか。

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