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2007/06/15

 家庭は何物にも替えがたい尊い価値をもっている。

 家庭の中核である夫婦の間の心の動きがダイミックであると飽きが来ない。夫は妻に対して夫であるが、ある時は妻の父親のように指導力を発揮し、またあるときは息子のように素直であっても構わない。妻は夫に対して妻であるが、ある時は夫の母親のように寛容で、またあるときは娘のように甘えても構わないのではないか。夫婦間に娘が生まれれば、夫は妻も小さいとき娘のようにかわいかったのではないかと思い、妻の母と過ごせば、いずれ妻もそのように包容力のある女性になるのではないかと空想する。夫婦間に息子が生まれれば妻は夫も小さいときは息子のように天真爛漫だったのかと思い、夫の父と過ごせばいずれ夫もそのように柔和な男性になるのではと期待する。

 人は幼いときは親との関係が最も重要だ。兄姉を慕う気持ちや弟妹を守ろうとする気持ちは、愛する親が兄弟姉妹を愛しているので自分もそうしようという心情が動機となっているのではなかろうか。

 夫婦や兄弟姉妹という横の関係の中に、親子という縦の心情関係が変幻自在に現れては消えていく。心情のダイナミズムに彩られた思い出は忘れられない宝物だ。

 親から愛されて育てられたから自分も子を愛そうと思い、親が生き方の見本を示してくれたから自分も子に生き方の見本を示そうと思う。また、子どもから孝行の美を返されると、老いた親に孝行したいという気持ちが刺激される。心情の関係は、過去、現在、未来の時間を超えてめまぐるしく啓発し合う。これほど豊かで味わい深い心情関係が展開される場は、家庭をおいて他にはないだろう。

 戦後、家制度がなくなって親戚が遠くに住むことが多くなった。幼少の時にいとこやおじさん、おばさんなどと共通の体験をすれば、一つの家族だけでは味わえない立体的な心情関係が生まれ、それが生きる力を作ることにつながっていたのではないかと思う。戦後の民法改正によって、各人の権利は平等に保障されやすくなったであろうが、大勢で共に暮らすことによる恩恵が失われた。

 ものがあふれかえる環境の中で、子どもたちが小さいときから消費の主体としてものを選択することができるようになったことが、家族がバラバラになる大きな原因だと指摘され始めている。

 ものが豊かで生活が便利であることは望ましいことで、その恩恵を享受したいと思う。しかしそれによって家族がバラバラになって最も大切な心情関係まで失ってしまうのであれば、貧しさと不便のままの方がよい。どのような貧しさや不便さがあれば、失われがちなどのような心情関係を回復することができるだろうか、という途上国では思いもつかないような視点を、日本人は導入する時期に来ているのかもしれない。

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