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This is the archive for September 2011

2011/09/15

 殺人でも痴漢でも冤罪の汚名を着せられて何年も投獄された人の悔しさは察するに余りある。「私はそういう人間ではない」と声を大にして叫びたいと思う。

 日本は戦後、マッカーサーの勧告を受けて、国務大臣松本蒸治を長とする憲法問題調査委員会(松本委員会)を発足させた。しかし、松本案は否定され、戦争放棄等のマッカーサー三原則を盛り込んだ憲法が急いで制定された。それ以来憲法は一度も改正されていない。同じ敗戦国であるドイツは占領下で憲法を制定せず暫定的に基本法を作ったが、そこには「この基本法は、ドイツ国民が自由な決定によって議決した憲法が効力を発する日において、その効力を失う」と規定している。マッカーサーはもしかすると、日本は独立回復後に自主憲法を制定するだろうと考えて、短期間のうちに憲法草案を作ったのかもしれない。「60年以上の長期間改正されることのないものとして作ったわけではない」と、死後の世界で驚いているかもしれない。

 高等宗教の聖人も「そういうつもりはない」と死後の世界で思っているのではないかと思われることがある。

 仏教の教えとされる輪廻思想は、人が何度も転生し、また動物なども含めた生類に生まれ変わるというものだ。私はこの思想になじめずにいた。自分が食したのと同じ種類の動物になるかもしれないというのは、何か気持ちが落ち着かない。亡くなった人しか知りえないことを知っている人がいる以上、生まれ変わりと考えるほかに考えようがないとも言われるが、亡くなった人が死後の世界から協助(情報提供)していると考えられないこともないのではないか。僧侶から牧師になった松岡広和氏によれば、「釈迦は決して人の死後の世界について言及しませんでした。」(『イエスに出会った僧侶――ありのままの仏教入門』いのちのことば社)という。そうであれば、釈迦は死後の世界で「私が輪廻思想を言ったと思われているけれどもそうではないんだ」と思っておられるかもしれない。

 また、イエス・キリストは独身のまま33歳で亡くなった。カソリックでは、神父や修道者は、ただ神に向かいイエスに倣って独身で生きる。そのように人々と教会に奉仕する潔さには敬服する。しかし、植物も動物も雌雄の相互作用によって繁殖し生存を継続しているが、そのような神の被造物である自然の姿からはかけ離れているのではなかろうか。旧約聖書の創世記にも「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」(1章28節)、「人が独りでいるのは良くない」(2章18節)とある。「独身でいたのは結婚する前に殺されたからにすぎない。独身を勧めたわけではない」というイエスの声が聞こえてきそうだ。

 人間世界においては、創始者や出発者の思いがそのまま正しく伝わる保証はどこにもない。最初の状況に思いをはせるとともに、こだわりを捨て去ることが、正しい理解につながるのではなかろうか。