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This is the archive for September 2010

2010/09/15

 「愚者は体験に学び賢者は歴史に学ぶ」という。自分の体験は自分の人生にとって大きな意味を持つものの、時間も場所も数も限定されたわずかなものに過ぎない。それに対して歴史は、事件における人物の判断や行動を通して多面的に学ぶことができ、今日の世界とのつながりを考察すれば興味が尽きない。

 日本では唯一の被爆国として世界平和に貢献するという言い方をしばしば耳にするものの、世界の中では歴史に対する知識や関心がとても低いようだ。お隣の韓国の学生と日本の学生が歴史をテーマにした討論をしようにも、日本の学生は討論の基礎となる知識の量があまりにも貧弱で討論が成立しないと聞いたことがある。

 世界の中には、「歴史に学ぶ」どころか「歴史と共に生きている」と言った方がふさわしいような人々もいる。ユダヤ人がその筆頭だろう。

 ユダヤ人の王国は紀元70年ローマ軍により滅ぼされた。それから1900年近くもたった1948年に、各国で迫害されてきたユダヤ人が父祖の地パレスチナに結集し、新しい国家再建の悲願を果たした。この建国運動の指導者であるオーストリア人のヘルツルは、パレスチナに住むアラブ人との平和的共存は可能だと考えていたようだ。しかし、実際には建国当初から今日まで何度も戦争が起こっていることは周知のとおりである。

 それにしても、このような幻想のようなことが、しかも国連の管理下に置く決議が採択されるなど国際法上のお墨付きまで得て、なぜ実現できたのだろうか。

 イスラエルの首都エルサレムは紀元前1000年頃ユダヤ人の王ダビデが都に定めたところだが、ダビデの先祖にアブラハム、その子イサク、イサクの子ヤコブがいる。旧約聖書の中で神は、自分を紹介するのに「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と名乗っているところが何か所もある。また、「出エジプト記」などでは、民族を率いるモーセと神との対話が詳細に記述されている。このようなことから、「我らは神から召された民族である」という強烈な選民思想が醸成されたとしても不思議ではない。

 建国後250年もたっていないアメリカの人々も、歴史と共に生きていると感じることがある。2009年1月のオバマ大統領の就任演説で、「先人が大洋を渡り、この地に着き西部を拓き、硬い大地を耕し、戦い死んでいったのは我々のためである。だから我々もアメリカを再創造しよう。」と国民に呼びかけている部分がある。少なくともオバマ大統領の中では、建国以来今日までアメリカがたどってきた歴史を、あたかも自分の人生を振り返るような感覚で見ているのだろう。

 翻って日本人は、とても歴史と共に生きているとは言えないように感じる。もちろん、地理的条件やそれこそ歴史的要因が異なれば思考方式や文化が異なるのは当たり前のことだろう。しかし、今後の日本社会や外交を構想する上で、歴史に学ぶ意欲や歴史と共に生きる感覚がもっとあれば、共存共栄のビジョンを描き、より良い解決策が見いだせると思う。