一方、商品を売っても支払いを猶予してあげること(売掛金が発生)や、原材料を購入しても支払いを猶予してもらうこと(買掛金が発生)がよく行われている。そのような売買当事者間には、取引実績があるなどして一定の信頼関係があることが多い。このような「信用取引」は「同時履行の抗弁権」よりも暖かさを感じる。
富山の売薬商が開発したとされる「先用後利」は、さらにお客さんを信用する。商品を無償で置いていき、再訪時に薬箱を調べて使用されている商品の料金をいただく。引っ越しされ連絡してもらえないと置いてきた商品は丸損になるが、そのリスクを冒してもお客さんを信用する。客にとっては信用されていることが心地よい。
もっとお客さんの良心に期待する商法が出てきた。播磨屋本店が世界初との触れ込みで行っている無料カフェの試みだ。私は大阪の御堂筋を散策していたら、コーヒー0円の表示を目にして半信半疑で入ってみたら本当だった。コーヒー等の飲物と播磨屋本店のおかきを無料でいただける。不特定多数の人が繰り返し自由に利用できるところがすごい。
このような取り組みをするのは地球環境問題を解決するためだという。地球環境悪化の根本原因は「人生は、人間の優劣競争の場である」と現代人が考えていることにあるとし、コーヒーを飲むときにそれに関連した様々な立場の人に配慮する経験をすることで、競争ではなく1人ひとりを大切に思う心を養ってほしいという考え方のようだ。ここまで来ると、売上げや利益はもはや手段であり、社会貢献が本業のようだ。
良心に期待する商法は、人間の良心が働いていない社会の中で展開してもうまくいかない。人々の良心基準が高ければ、商品やサービスの原価のみを表示し、客が感じた感謝や満足の度合いに相当する金銭をプラスして支払うというシステムが一般化することも可能だ。そういう社会には争いも訴訟もないかもしれない。
どのような商法を用いるかは、その人の世界観にかかっている。騙されないことを優先すれば民法の考えを優先するだろう。人と人が信頼し合って生きていくことを願う人は、無償カフェ等の良心の働きに期待する試みに感動する。
もっと言えば、理想的な社会の到来を待って良心に期待する商法を行うか、それとも良心に期待する商法を開発し展開することで理想的な社会を構築しようとするかも、その人の世界観にかかっている。宗教家はそのことを、「天国に入ろうとする人になるのではなく、天国を作る人にならなければならない」と言った。
Posted by oota at 12:12 PM. Filed under: 随想・評論(平成21年)