Skip to main content.
*

Archives

This is the archive for September 2009

2009/09/15

外国人の参政権・社会権

 人権の享有主体について考える場合の出発点は、やはり人権は究極の価値であるということです。つまり、生まれながらに当然に持っている基本的な権利は、日本人とか外国人という差別にはなじみません。しかし、外国人に対して日本人同様すべての人権が保障されるわけではありません。

 例えば国政選挙についての選挙権は、外国人にはありません。「国民主権」という憲法の大原則に反するからです。判例は、国会議員選挙に関する選挙権を外国人に付与することは憲法をもって禁止されていると考えています。「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」(憲法15条1項)に言う「国民」とは、文字通り「日本国民」のことです。

 しかし、地方議会議員の選挙権を外国人に与える立法をしても憲法に違反しないのであって、そういう措置を講ずるか否かはもっぱら立法政策の問題だと判例は言います。国政選挙については国民主権の原理から外国人の関与は許されないが、地方自治の場合は国政との「かかわりが薄い」ので、永住者等その居住する地域と密接な関係をもった外国人の関与を認めても、国民主権の原理に違反しないというのがその理由です。

 一方、社会権も参政権と同様に前国家的な権利ではありませんから、日本国憲法は外国人に対して社会権を保障するものではありません。社会保障の給付を行うにあたり、自国民を在留外国人より優先することは、憲法上許されるのです。ただし、判例は、法律をもって外国人に社会権を保障することが、憲法上禁止されるものではないとしています。

外国人の自由権

 自由権は前国家的な人権・天賦の人権です。したがって、その性質上、外国人にも保障されるはずです。しかし、ひとつの例外があります。

 外国人の日本国への「入国の自由」は、憲法上保障されません。その根拠は国際慣習法にあるとされます。国際テロリストとして指名手配中の人物は、その素性が分かれば入国が拒否されるのは国家の安全保障のために当然のことです。判例は、憲法22条1項に定める居住・移転の自由は、日本国内での話であり、外国から日本国への移転の自由を含むものではないと判示します。一方「出国の自由」は制約条件なく認められています。

 それではいったん入国した外国人に「滞在の自由」はあるのでしょうか。アメリカ国籍のマクリーンという人が、在留期間1年の許可を得て入国しました。1年経過後、在留期間の更新を申し出たところ、当時の法務大臣が、マクリーンが反政府運動をしたことが許せず、更新を不許可としました。マクリーンがこの不許可処分の取り消しを求めて裁判をしたところ、判例は、外国人の在留の拒否は国の裁量事項であり、外国人にはわが国に在留する権利が憲法上認められているわけではないと判示しました(マクリーン事件)。

 「再入国の自由」についても、外国人登録法による指紋押捺を拒否していたアメリカ国籍の女性の再入国を認めなかった当時の法務大臣を勝たせる判例が出ています(森川キャサリーン事件)。

 外国人のほかに、人権の享有主体を考える際の論点としては、法人の人権、天皇・皇族の人権・未成年の人権が問題になります。