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This is the archive for January 2008

2008/01/15

 人と人の話し合いにより新しいアイデアを生み出すためには、同じ方向を向いていない方が良い。

 パネルディスカッションでのパネラーが座る椅子も、小中学校の教室で生徒が座る椅子も、同じ方向に配置せず、少しでも角度がついていた方が、アイコンタクトが取れて楽しい。

 先生の話を聞いていたA君が、同じ話を聞いているB君が涙ぐんでいるのを見た時に、B君の事情を知っているA君が、B君の心の琴線に触れたのは先生の話のどの部分であるかを推測する中で新しい発見をして、そのことが自分の言動を見直すきっかけになるというような多面的な相互作用や、これに類似した予期せぬ相互作用によって何かしらの力が生まれることは、複雑な思考回路を持つ人間にとっては起こりうるというよりも、むしろ不断に起こっていることなのではないかと思う。相互に影響を与えあうような態勢であってこそ、それが可能となる。そのためには輪になって座ることが最良の方法だと思う。

 以前参加したある研修の合い間に、メンバーが輪になり一人だけ中心にいて、中心とメンバーとの間でバレーボールのトスを続けて、落とさずに何回できるかを競ったことがある。心が一つになった一体感や高揚感は忘れられない思い出だ。

 喫茶店でも、十席前後の座席が円形や半円形の大きなテーブルの周りに配置されている方が、そうでない店よりも何か温かい雰囲気がして、そちらの方を選びがちだ。

 相互の国の利害がからみ、とても友好的な雰囲気ではないような二国間の首脳の会談でも、部分的にでも輪になって座って話し合うようにすれば、心が開かれて事態を打開できるかもしれない。

 自然界でも、液体には表面張力が働いて丸くなろうとするし、円や球はとがっているところのない完全な図形だ。

 立場や肩書にとらわれることなく、一人ひとりの意見に素直に耳を傾けようという人たちが集まる会合では、ひとりでに輪になって座る。人数が多すぎて輪になると部屋に全員が入りきらないときはどうしたらよいか。小さな輪と大きな輪を同心円状に作ってもよいし、いくつかの輪(人からなる島)をつくっても良い。

 いくつかの島をつくると、全体として輪にならないのではと心配される方がおられるかもしれないが、大丈夫だ。一連のセッションでは、まず全体会議があって、島になって議論して、また全体会議があるというやり方がとられることが多い。一つのものが複数になってまたもとの一つのものになるという一連の過程は、宇宙の根源者に内包する陽陰の二性が分かれて男性と女性となり、今一度両者が一つとなって宇宙の根源者の似姿を現わすという、完成に至る過程を暗示している。時間的に輪になっているとも言える。

 丸い心を持って輪になって座ることが、完全と完成へ至る王道ではなかろうか。