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This is the archive for May 2007

2007/05/15

 富山にイエス・キリストが来たことがあるという。しかも、富山市内の呉羽山の東の山麓にある「皇祖皇太神宮」というところにその記録があるらしい。以前そのように聞いたことがある私は、一度訪れたいと思っていた。たまたま知人で文明評論家のH氏が富山に来られることとなり、好都合とばかり一緒に行ってみた。

 富山大学の自然観察学習センターの先で車を降りて、杉の大木や竹林の中の山道を5分ほど歩くと鳥居が現れた。鳥居の脇に「八幡山皇祖皇太神宮のいわれ」という看板が立っており、御祭神として神武天皇大神や裕仁天皇大神の名前などが並んでいる。奥に進み行くと、「空海、日蓮、親鸞、伏義、神農、釈迦、モーゼロミュラス、老子、孔子、孟子、徐福、キリスト、モハメットタイ等の聖者がこの地を訪れ、人の生きる道を神より教わった場所である。」と書いてある。「キリストだけでないんだ。す、すごい。」と思わず息をのんだ。

 このような記述の根拠は「竹内文書」にあるという。それによれば、今から数十万年前の超古代の日本列島は、世界の政治・文化の中心地で、世界の人々はこぞってこの地にある元宮にお参りに来たという。

 同行のH氏は、「紀元元年からさかのぼって500年ほどの間(実存哲学者ヤスパースの言う枢軸時代)に、ユダヤにイエス、ギリシャにソクラテス、インドに釈迦、中国に孔子が現れて人の道を説いた。聖人クラスの人物が各地に同じ頃に現れるとは不思議だけれど、モーセかその弟子や子孫が世界各地にたどり着いて教えを広め、その地域にふさわしい表現方法で思想が開花したのかもしれない。皇祖皇太神宮の話は、日本中心主義という批判を受けるだろうから、外国人にそのまま伝えることはできないけれど、見方を変えれば宗教一致と世界平和に貢献できるかもしれないね。」と蘊蓄を傾けられる。

 そういえば昨年、石川県の宝達山に行ったら、モーセの墓なるものがあったことを思い出した。竹内文書によれば、モーセは律法を作った後、古くから聞いていた神国日本に向けて旅立ち、上陸したのが能登半島の宝達港だという。港から富山の皇祖皇太神宮にいたり、ここにこもって天皇から十戒を受けた後、シナイに帰ったという。そしてカナンにユダヤの人たちを安住させた後、再び日本に来て宝達山に居を定め583歳で永眠したという。

 まさかと思うようなことでも書いてあると、つい信じてしまいそうだ。真偽はさておき、時空を超越した話は楽しい。H氏と行った御皇城山(おみじんやま)の皇祖皇太神宮がある場所は、森の中でとても雰囲気がよい。場所が狭い上、他の訪問客もあるので長居はしにくいが、もう少し広ければ小一時間くらい瞑想していたいと感じるところだ。富山は不思議で面白い。