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This is the archive for June 2005

2005/06/15

 以前勤めていた団体である研究会に出た時、ある日本の著名な国際政治学者が、同席した中国人の研究者の目の前で「いつまでも過去の事にとらわれていないで、もっと未来に目を向けたらどうか」という趣旨のことを言われる場に遭遇し、ハラハラしたことを覚えている。

 確かに人権を侵害したのは、同じ日本人であったとしても自分ではないのだから、贖罪意識は持つ必要はないという意見は一理ある。しかし、そう言われると、被害者側としてはすっきりしないものを感じる。

 多数の被害者を出したJR西日本の列車脱線事故直後に、同じ会社の社員がボウリングをしていたとして批判された件も同じ見方ができる。

 つまり、被害者から見れば直接の加害者でなくても、同じ団体、同じ国に属しているのなら、悪かったという連帯的な意識を持って欲しいという思いが出てくるのである。この思いは人間の普遍的な感情だと思う。
翻って、未来の日本人から今生きている日本人が糾弾される事がもし何かあるとすれば、自分が直接それに関与していなくても同じ時代同じ国に生きた者として、連帯的な責任を追及されかねない。
   
 今日の十代の性倫理が極端に低下し、一部の無責任な性的自己決定論者がそれを助長している。無秩序な享楽の謳歌は、勤労意欲を喪失させ国力の低下をもたらす。性行為感染症を治療している良心的な産婦人科医たちは、爆発的なエイズの流行を心配している。未来から追究されるなら、これが最も懸念されるテーマだろう。

 文部省は一九四七年に純潔教育委員会まで設置して純潔教育を進めようとしたが、七十年代に入って「性教育」という言葉が使われ始めるとやめてしまった。十代の性感染症の蔓延に対しては、文部省も厚生省も無策だ。

 この時代に生きてこの問題に全力で取り組んでいる人はけっして多くない。

一人はカリスマ占い師といわれる細木数子女史だ。TBS「ズバリ言うわよ」(五月二十四日)で、今問題になっている小学校低学年での露骨な性教育について「命がけで反対する」と訴えていた。スタジオの中の女性タレントや若い女性たち百人の前で、「私は三十年間何十万人もの相談を受ける中で、小中高の女性が妊娠して堕ろしているのを知っている。心の傷は癒えない。許容能力がない段階で教えてはならない。仮に一生懸命教えたとしても、人間としての心の常識も一緒に教えるべきです。」と言う言葉の力が、他の出演者とはまるっきり違っていた。

 不朽の名著「恋愛なんかやめておけ」の著者、故松田道雄の「性に関しては男と女はけっして平等ではない。フリーセックスの結果、間違って子供ができてこっそり手術してもらうのも女だし、経口避妊薬の副作用で病気になるのも女だ。男ばっかりが得する世界で、恋愛でだけ平等だと思うのは、よほど計算に弱いのだ。」という趣旨の見解も的を射ている。