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This is the archive for May 2018

2018/05/15

 ユネスコの諮問機関イコモスが、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を「禁教期にもかかわらずひそかに信仰を継続した潜伏キリシタンの独特の文化的伝統の証拠」と評価し、集落や「大浦天主堂」等の構成資産すべての価値を認めた。もともと政府は、「教会建築中心の長崎の教会群とキリスト教関連資産」として推薦していたが、イコモスから禁教期に焦点を当てるべきだと指摘されて推薦を取り下げ、内容を練り直して再推薦したという。学生が卒業論文を教授に見せたら再考を促されたようのもので、政府関係者がどこまで潜伏キリシタンが命がけで信仰を維持したことの価値を理解しているか疑問だ。

 現代もこの日本において、一部の少数派宗教信者に対する迫害や人権侵害の黙殺が長期間続いていることを知ると、特にそう感じる。自分の信仰を告げると友人関係を断たれたり、国家公務員の幹部候補生となった信者が信仰が分かると昇進の道を断たれるので、発覚しないように隠れて信仰している。

 統一教会(現世界平和家庭連合)信者に対する強制棄教は1966年から始まり現在までの被害件数は約4300件に達しているという。一般の教会の牧師と信者の親族が結託して強制的に拉致・監禁し、外部との連絡を一切取れない状況下に置き、統一教会を退会するまで説得工作が延々と続く。信仰を守るために自殺や自殺未遂をする信者も出てくる。

 2008年2月に解放されるまで12年5カ月間にわたり監禁されていた後藤徹氏の話
を解放後に直接聞いたことがある。監禁中は教会関連の書籍は見せられないので、教祖のことばを反芻しながら信仰を守り抜いたという。70キロだった体重が50キロに激減し、全身筋力低下、廃用性筋萎縮、栄養失調に陥りながらも、監禁の最後のころは仕打ちを受けつつも神の愛で満たされ、さわやかな顔で過ごせたという。

 アメリカでも1970~80年代に強制棄教はあったが、裁判所は、信仰と身体の自由権を侵害する違法行為であると認定し、政府の強力な取締まりの結果、完全に撲滅された。

 しかし、日本においては大手マスメディアは、後藤徹氏のケースをはじめとして一切の拉致監禁事件を黙殺し報道してこなかった(唯一の例外は「朝日新聞」1984年5月14日号の高木正久執筆記事、室生忠著『日本宗教の闇』より)。

 統一教会が、信者による違法性のある物品販売を行っているからといって、そのことと信者を拉致監禁して強制的に棄教させようとすることとは全く別次元の問題であるのに、大手マスメディアはそう考えられないようだ。あるいは報道すると突出感があるので、考えられないふりをしている可能性もある。

 米国国務省は「信仰の自由に関する国際報告書」の中で日本における強制棄教を問題視している。横田めぐみさんを始めとした北朝鮮による拉致被害者救出への国際世論への呼びかけをしても、このような国内における拉致監禁問題を放置していたのでは、「日本は本当はどうでもよいと思っているのではないか」と思われて、救出への日本としての本気度が疑われるのではないか。
『津波の霊たち』(リチャード・ロイドパリー、早川書房、2018年)
 2011年3月11日、東日本大震災により大きな被害が発生した。宮城県石巻市の大川小学校では74人の児童と10人の教職員が津波に呑まれ亡くなった。在日20年の英国人ジャーナリストである著者は、徹底した取材により真相を描き出した。
 取材に応じてくれた被害児童の遺族たちの話を丹念に集め、分かりやすいように記述するとともに、その遺族たちの家を、北上川下流地域の釜谷地区の地図上に位置付け、取材事実とつなぎ合わせることにより、被害児童・教職員たちは津波のやってくる方向に向かって避難していたことが明らかとなる。亡くなった児童の何人かは、「先生、山さ上がっぺ。ここにいたら地割れして地面の底に落ちていく。おれたち、ここにいたら死ぬべや」と叫び裏山への避難を提案するが、実際にはその逆の方向へと避難を始めたことが、生き残った児童たちの証言で明らかになった。
 本書では、生き残った教職員らが、市が遺族たちに対して行った説明会での、普段はおとなしい東北の人たちの激しい追及と市当局の煮え切らない対応ぶりが描かれており、著者は「問題は津波ではなかった。日本が問題だったのだ」とする。
 また、死後の世界の子どもたちの様子を霊媒師が紹介しており、「戦争の犠牲者たちの魂を慰めに行きたい」と発言するなど魂の進化の様子を報告し、遺族たちは受け入れられない愛する者の死と折り合いを見つけていく。

『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(ラス・カサス、岩波文庫、1976年)
 インディアス(スペインが領有した南北両アメリカ大陸の地域、西インド諸島及びフィリピン群島)発見後、スペイン人は無辜の人々を殺害し、王国を破壊してきた。
 この地に50年以上にわたり過ごし残虐行為を目撃してきた司教であるラス・カサス氏が、スペインの皇太子フェリペ殿下にその内容を報告し、残虐行為を行う者たちが征服と呼んでいるたくらみを、今後容認したり許可したりすることがないよう依頼した文書。40年間で男女、子ども合わせて1200万人を超える人たちが、キリスト教徒の行った極悪無残な所業の犠牲となって生命を奪われたという。

『日本語はなぜ美しいのか』(黒川伊保子、集英社新書、2007年)
 赤ん坊が母親が話す「アサ、オハヨウ」という言葉に触れると、これと共にある情景、すなわち透明な朝の光や、肌に触れるさわやかな空気などが、抱き上げてくれた母親の弾むような気分と共に、脳の中に感性情報としてインプットされていく。人生の最初に出会ったことばと、後に習った外国語とでは、脳内で言葉に関連付けられた感性情報の量が圧倒的に違うようだ。
 それなのに母親の母語でないことばで子どもを育てると、言葉の語感と母親の意識、所作、情景がずれて、子どもの脳は混乱して、感性のモデル(仕組み)を作り損ねるという。母語でないことばで育てると、世界中どこへ行っても異邦人のように感じて生きることになってしまう。
 著者は大学の物理学科を卒業した後、コンピューターメーカーでAI(人工知能)開発に携わり、脳とことばを研究した。その中で、人間の精神活動において母語が決定的に重要であることに気付いたのだと思う。「わが子にことばを与えるということは、宇宙を授けるのと一緒」という。