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This is the archive for December 2017

2017/12/15

 過ぎ行く日々の中で目標を定めて生きていても、うまくいかないことが多い。むしろそれが普通かもしれない。恋愛できても結婚できなかったり、結婚できても子供に恵まれなかったり、子供に恵まれても仕事がうまくいかなかったり、うまくいってもその仕事をやめて始めた事業がうまくいかなかったり、事業がうまくいっていると思っても事業環境が大きく変わって倒産してしまったり、激変する事業環境にうまく適応して会社が存続できても天災によって事業基盤をなくしてしまったり、人生何が起こるか分からず、何かを得ようと思って一所懸命に努力したからといって報われるとは限らない。

 そのときどうするか。いしだあゆみは、「泣くの歩くの死んじゃうの」(あなたならどうする)と、河島英五は「男は酒を飲むのでしょう。女は泪見せるのでしょう」(酒と泪と男と女)と歌った。

 ドストエフスキーは、「心から大切だと思える思い出が一つでもあるならば人は自分の人生を深いところで肯定することができるはずだ」と言い、ナチスの強制収容所に捕虜としてとらえられた経験を持つ『夜と霧』の著者フランクルは、収容所での悲惨な生活の中でも、聖者の如く優しい言葉をかけたり一片のパンを与えたり収容所のバラックの隅で祈りや礼拝をしている人々がいたと記しており、すべてに挫折しても生きる意味を得ることはできるとしている。

 神を信じて生きる者の中には、神は親のように自分を守り導いてくれると感じる人たちがいる。そういう人々の人生は次のエピソードのように常に神とあり、次の詩のように、常に神と人々に感謝する道が開かれている。

「エピソード」
 ある人が神と共に砂浜を歩き砂浜には2人分の足跡があった。ところが、困難に直面したころ通過した砂浜を見ると、足跡はひとり分しかなかった。「神様、あなたは私が困難の中にあるとき、私を置いて離れてしまったのですか」と尋ねたら、神は「その頃は私がおまえをおぶって歩いていたんだよ」と答えたという。

「無名の南軍兵士の祈り」
大事をなすための力を与えてほしいと神に願ったのに、従順さを学ぶようにと弱い人になった。
偉大なことができるようにと健康を望んだのに、より善きことができるようにと病弱さを与えられた。
幸せになるために富を求めたのに、賢くなれるようにと貧しさを授かった。
人々の賞賛を得ようとして力を求めたのに、神の必要を感じるようにと弱さを授かった。
生活を楽しもうとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと生命だけを授かった。
求めたものは何も与えられなかったが、願ったことはすべてかなった。
こんな私なのに、声に出して言わなかった祈りもすべてかなえられ、私は誰よりも豊かな神の祝福を受けた。
「それでも夜は明ける」
 19世紀中ごろのアメリカの、まだ奴隷制度があった頃の話。制度的には自由な黒人がいたものの、陰謀により売られていった先で奴隷として働くことを余儀なくさせられていた。主人公は、カナダ人の協力を得、自分の身分を明確にすることで解放される。

「素晴らしき哉、人生」
 1946年作のアメリカ映画。ジョージは心優しく優秀な青年。弟が9歳の時に池に落ちた時も助け出し、幼いころ薬屋でアルバイトしていた時に経営者が間違えて劇薬を処方していたことを知りそれを教えてあげ顧客の一命をとりとめた。
 親の作った会社再建のために跡を継ぐが、叔父のミスで不正経理の罪に問われそうになり、妻子に八つ当たりをして、自殺しようとする。そこに、天空から派遣された天使が現れ、自ら海に飛び込みジョージに救出させることでジョージを精神的に助ける。自分なんか生まれてこなかった方がよかったというジョージの発言で、天使はジョージが生まれなかった世界を再現させる。ジョージの弟が9歳で亡くなり、薬屋の経営者は罪に問われて刑務所に入り、母親さえ自分を知らないという。家族が住んでいる家に行ってもここは20年前から廃屋と言われ、独身の妻に会っても痴漢呼ばわりされる。自分が存在してきたことにより、世界が変わっていることを知り、自分の存在価値に気づく。

「ゼロ・ダーク・サーティ」
 2000年9月11日のアメリカの飛行機テロの犯人ウサマビンラディンの住んでいるところをCIAが探し出し、殺害のために軍用機でパキスタンのペシャーワルに入り、殺害して死体を持ち帰るまでを描く。CIAのマヤという主人公の職員が執念をもって追求していく。

「ダンス・ウイズ・ウルブズ」
 米国軍人として勇敢な行動で武功を上げた主人公ダンバーが、インディアン居住地区の近くに砦を作り、米軍の連絡を待つ。その間に、インディアンのスー族が偵察に来る。お互い相手がどのような人間で何を考えているのかわからない。スー族の格好をした白人女性が大怪我をして泣いているのを見つけ、彼らの居住地に送り届ける。その女性は幼いころ別のインディアンのポーニー族たちに家族を殺され、その後スー族に育てられたのだった。
 スー族の人々は頻繁に彼の元を訪れ、またダンバーも先住民族である彼らに白人文化を伝えようと試みることで徐々に互いの友好を深めていった。スー族が知りたい情報は、食用とするバッファローの大群が通過するのがいつか、白人はどれくらいやってくるのかだった。バッファロー通過の報をいち早くスー族に知らせたダンバーは英雄扱いされるようになった。スー族の聖人と見なされている「蹴る鳥」や「風になびく髪」と呼ばれる2人の男も、「拳を握って立つ女」と呼ばれる白人女性や「笑う顔」と呼ばれる女性も、スー族は皆このような名前で呼び合っていることを知る。ダンバーは砦でトゥー・ソックスと名付けた狼がダンバーと戯れていたところをスー族の男に目撃されたことから、部族民同様に「シュンカマニトゥタンカ・オブワチ(「狼と踊る男」)」というインディアン名をもらい、これまでの自分の名前に意味がなかった、これが本当の自分の名前なのではないかと感じる。異民族の共存を考えるとても貴重な映画だ。