Skip to main content.
*

Archives

This is the archive for March 2017

2017/03/15

 現代日本では「経済的に豊かか貧しいか」、「健康か病気か」等の物質的満足における成功、失敗で人生の価値を判断しようとする平板化された価値観が支配的と言えよう。
 マズローの「欲求の五段階説」、つまり人間というものは「生理的欲求」「安全の欲求」「所属の欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」の順に下位の欲求が満たされてからでないと、より上位の欲求に向かうことができない、という説が、各種資格試験の頻出テーマであることが、そのことを示唆しているように思える。

 一方、強制収容所の中でも、パンと優しい言葉を与え聖者の如くになった人間を目撃した『夜と霧』の著者フランクルは、人間は下位の欲求が満たされていなくても上位の欲求に向かうことはできると考え、学術誌で直接マズローに疑問を突き付けたところ、マズローはあっさりイエスと答えたという(幻冬舎新書『人生を半分あきらめて生きる』諸富祥彦著)。

 日本が長寿社会になる前は死は自然なこととしてもっと身近に感じられていただろう。70歳にもなってよく働けず家族に負担をかけながら立派な歯があることを恥として自ら石に打ち付け、息子に背負われて山に捨てられに行くことを心待ちにするような感性(映画「楢山節考」)は、はるか昔の異国のものであるかのようで、政治家が一言でもそのような悲しくも凛とした精神姿勢を肯定するなら、人権蹂躙として猛攻撃を受けかねない現代日本では、避け得ない死を客観的事実として受け入れた社会制度を作っていくことさえ困難になってしまったのかもしれない。

 渡辺利夫氏は、がん発生の原因となり検診結果が出るまで半病人のような気分にさせるがん検診を強制する厚労省は、浅はかな死生観を日本人に振りまいていはしないか、自省はいつ生まれるのかと警鐘を鳴らし、「私は私自身の人生をまっとうするために生きているはずなのに、病気のことにかかずらわって、短い人生の重要な時間を、これに『侵食』されるというのは『背理』ではないか」(光文社『人間ドックが病気を生む』渡辺利夫著)と喝破する。

 戦後日本は科学主義により実証性や論理性を基礎とした考え方は浸透したが、世界と歴史と自然を観察し感じる神秘性から超越者と自分との関係を深く考えたり、人間の存在理由を思い巡らす「内面の深み」や「魂のミッション」といった、平板化された水平的価値観とは独立な垂直的価値観を失ってしまった。

 物質は二次元や三次元の座標軸によりその存在のありかが規定できるように、霊肉を併せ持つ存在である人間も、物質的満足の水平軸と、希望と絶望を両極端とする意味を示す垂直軸の内に自己を置かなければ、自分が生きる同時代の支配的な価値観に引きずられて生き、自己の尊厳性を自ら捨て去ってしまうことにもなりかねない。

「楢山節考」
 木下恵介監督、田中絹江主演。昔の日本の農村の貧しく悲しい様子を描く。70歳になると家族の食いぶちを減らすために子供に背負われて山に行き、ひとりそこで死ぬのを待つ。主人公は、70歳になる正月に山へ行くと、楽しいことを待つような表情で家族に言う。息子もようやくそのことを受け入れてくれた。その年で30本近い歯がしっかりあることはむしろ醜いこと。主人公は自ら歯を石にぶつけて破損させる。息子に背負われていく道すがら、主人公はカラスが待ち構え、白骨が散乱するなかで死ぬところを息子に指示し、雪が降る中ただ両手を合わせて座って祈る。凛とした悲しさがある。息子は、いったんは母親を置き去りにして山道を下り、いたたまれず母のところに戻るが、意を決して家へ帰る。その場所は今「うばすて」という名前の電車の駅になっている。

「女衒(ぜげん)」
 明治時代に香港やシンガポール等のアジアで女衒として活動した村岡伊平治を緒方拳が演じている。売春で稼いだ金を日本の親元に送れば納税できるのだから、娼館経営は国のためになるというのが村岡の理屈だ。第一次大戦の頃になると、売娼に対する国際世論が厳しくなり、経営ができなくなる。ひたすら愛していた倍賞美津子演じるしおを中国人のワンに取られ、それ以降は現地に基盤を作るためにひたすら子作りに励む。

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
 程久保高校野球部の部員は、監督との信頼関係もなく、過去の試合の人間関係を引きずり、皆やる気がない。甲子園出場なんて夢のまた夢。そこに、臨時のマネージャーをすることとなった南がまず向かったのが本屋だ。ドラッカーのマネジメントの本を購入し読み始める。「野球部の定義は何か」「野球部の顧客は誰か」を考え始め、「専門家は理解する人がいて初めて価値がある」「組織の外部を変えることがイノベーションである」等、現実に当てはめて理解を深める。そして、現実がそのようになっていく。みなみらの思いが監督と部員に伝わり、ブラスバンド部、チアガール部等も巻き込み、一年後甲子園出場がかなった。

「東京暮色」
 小津作品。山田いすゞ演じる次女が、母親がいない寂しさから問題行動をとり、最後は踏切で事故で死ぬ。原節子演じるその姉が、苦悶の中から、子が健全に育つには父母がそろっていることの重要性を悟り、実家へ戻り残してきた夫の所に帰る決意をするまでを描く。

「羅生門」
 芥川龍之介の作品「藪の中」をもとに、黒澤明監督が映画にした。一人の男が殺されているところを見た男の話を通して、三船敏郎が演じる関わり殺した男多襄丸(たじょうまる)や、殺された侍とその妻がどんな態度を取ったかが、話す人により異なっている様を描き、人間とは恐ろしいものだとする。
 多襄丸によれば、妻を手籠めにした後自分が侍を殺したという。目撃した男によれば、女が自分を強く愛する男のものになるとして両者を戦わせようとしたという。女の証言や、女を通して霊界から現れた侍の証言もまた異なっている。何が真実かは全く分からない。

「武士の家計簿」
 加賀藩で3代以上にわたって、そろばんを専門とする武士として生き続けてきた一門の物語。