Skip to main content.
*

Archives

This is the archive for February 2011

2011/02/15

 人は、商品、概念、日常の現象、そしてわが子に名前を付ける。よく観察すると、名付けた人の想像性に感嘆したり、いとおしむ気持ちが感じられて、興味が尽きない。

 私は長男の名前は尊敬する方につけてもらったが、長女の名前は自分でつけた。自分でつけると、「これで良い」とはいつまでも思えず、区切りをつけるのに苦労した。そのせいか、知り合いが自分の子につけた名前で印象に残っているのは、女の子の名前ばかりだ。「深香(みか)」「善美子(よしみこ)」に触れた時は神秘的な感じがし、中原中也の詩集の愛読者である友人が「野乃花(ののか)」の名を娘につけたことを知った時は、彼らしいとほくそえんだ。名前は時代を反映していることもある。佐藤朔慶応大学元塾長の本名は、日本が日露戦争でロシア(熊)に勝利したことにちなんで付けられた「勝熊」だという。

 明治維新のころ、西洋から日本へ入ったのは物質文明だけではなかった。ものごとの概念を示す言葉も入ってきた。福沢諭吉は1870年出版の『西洋事情』第2編の中で、「洋書を翻訳するに臨み、或は妥当の訳字なくして、訳者の困却すること、常に少からず」として、「リベルチ」の訳語として「自由」の語をあてた。中国においてはすでに「自主」「自専」「自立」などの訳語があり、日本においても「自在」の語があったが、諭吉は森山多吉郎という人が案出した「自由」の訳語を『西洋事情』に採用し、同書が広く読まれたために、この語が一般化するようになったという(岩波文庫『法窓
夜話』)。官製のものでなく、多くの人の心に届いた言葉が市民権を得て今日まで続いていることが愉快だ。

 法律の勉強は言葉を覚えることだと言われるほど、次から次へと新しい言葉が出てくる。しかも、同じような行為をしてもそれが行われた環境が異なると、罪の名前も刑罰の程度も異なる。他人が庭に飼っている鯉を盗めば「窃盗罪」で10年以下の懲役に処せられるが、洪水で池の水があふれ流れ出て路上にいる鯉を持ち帰れば「占有離脱物横領罪」となり、量刑のうち懲役は1年以下と軽くなる。両方とも人の財産を故意に盗むという点では同じと思うが、環境条件により想定される盗人の気持ちにまで想像しているようなところが興味深い。

 日常の現象に名前を付けるのも、言葉遊びとしては最高だ。ゴミ袋は普通折りたたまれて小さな袋に入れられて売られている。小さな袋から1つずつ取り出して使うが、最後のゴミ袋を取り出したとたんに、それまでゴミ袋を収納する役割を持っていた小さな袋はその使命を終えて、最後のゴミ袋に入れられる最初のゴミとなってしまう。この現象に出会って奇妙な感覚に捕われた佐藤雅彦氏は、これを「日常のクラクラ構造」と名付けた(『毎月新聞』毎日新聞社発行)。それならば、会社の経営に関する助言をするコンサルティング会社の経営がうまくいかない現象は、さしずめ「冷や汗の矛盾構造」とでも名付けようか。