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This is the archive for January 2011

2011/01/15

 人に何かを伝えたり主張するときに、それ事体を直接言うよりも、過去の自分の体験や書物等で知った事例や、将来起こりうる複数のシナリオで話した方が、分かりやすく受け入れてもらえることがある。

 仕事がら中小企業の経営者から経営についての相談を受けることがある。そのとき、「御社はこのような状況だからこのようにしてみてはどうですか」と直さいに言うと、「会社の様子を十分に分かっていないのに思い付きで言わないでほしい」と反発される虞がある。そのようなときは、その会社と同じ業種、規模の会社が抱える同じような問題が解決に至った事例をお話しすると、反発されることなく気づきを得ていただき改善に向かうことがある。

 事例で話すと分かりやすいということもある。聖書では、イエスキリストがたとえを用いて弟子たちに説明する場面がいくつも出てくる。「天国」とはどういうものかについて、「畑に隠してある宝」「良い真珠を捜している商人」「あらゆる種類の魚を囲み入れる網」(マタイによる福音書)のようなものであるとの説明を受けると、農民、商人、漁師たちが天国のイメージをつかみやすい。

また、不確定な要素があるときは、それを変数として複数のシナリオ(将来予測)を作り、それを提示して議論を進めていくと考えやすい。

 今日の日本の対露外交や対中外交は、領土の帰属問題をめぐりどのように展開していくか予断を許さない状況だ。領土所有に関する法的正当性を主張することだけで問題が解決するとは思えない。当事国の国民世論の強さ、各国の経済状況や経済の相互依存状況、軍事費の増加傾向や軍事的連携関係、さらには米国、韓国や北朝鮮の動向等の多くの要素が絡んでくる。

 それらが、どのようなタイミングでどのように変化するかをよく観察しながら、交渉の仕方を考える必要がある。国民が自国に誇りを失うことなく、国際的な孤立に突き進んでいくこともないシナリオを描くとともに、それがうまくいかないのはどういう場合かをできるだけ網羅的に列挙して考察することが大切だ。

 聖書の記述もたとえだけではなく、シナリオが描かれているところがある。イエスが神から使命を託された方であることを民衆が悟り、イエスを王とする神の王国が地上に建設されるシナリオ(イザヤ書九章)が描かれている一方で、イエスの価値を民衆が理解できないときのシナリオ(イザヤ書53章)も記述されている。歴史は後者が現実になったことを示している。

 事例やシナリオで話すときは、現実に対する注意深い洞察と想像性、そして共に未来を作っていく気構えが必須なものだと感じる。