異業種交流会によっては、会員相互の取引を活発にすることを目的に行われているところもある。それを目指さない勉強会等においては、「商品説明禁止」にしておかないと、自社製品販売を目的として参加する人が増えてしまう懸念がある。その限りにおいて禁止に賛成ではあるが、「どのような商品やサービスが人の心を豊かにそしてタフにするか」とか「国力を高める商品やサービスは何か」という論点の議論まで抑制してしまわないか。
有償であれ無償であれ自分が他者にしてあげれることを相互に紹介し合う文脈の中で、自分の扱う商品やサービスを紹介する機会があってもよいのではなかろうか。誰かから求めたいと思っていた商品やサービスにたまたま出会えば、ご縁を持てた会合参加者から求めることができ、情報の付加価値を期待することもできる。
「宗教的発言禁止」や「政治的発言禁止」の趣旨は、自分の所属する特定の宗教・政治団体を宣伝し他の団体を批判することを禁止するとの趣旨であろう。その限りにおいて禁止に賛成ではある。
しかし、宗教においては「一神教が人生に与える影響と仏教が人生に与える影響はどう違うか」とか「宗教は過酷な戦争を引き起こすので世界平和のためにはない方がよいのではないか」というような論点、政治においては、「国家の役割は防衛や外交等、民間ができない最低限のことに限った方がよいかそれとも福祉国家を目指すべきか」とか「国の発展の指標はGDP(国民総生産)が良いか、ブータンが用いているGNH(国民総幸福量)が良いか」等の重要な論点まで議論できなくなってしまわないか。
勉強会を運営する上でどのようなルールを設けるかは、もちろん主催者の自由である。とはいえ、せっかく時間とお金を使って会した人々にとって、より良い成長の機会となるためには、「発言タブーはなし」として、商品説明や宗教的・政治的発言が、自社を利することのみを目指した時や党派性を帯びた時には発言を止めさせる権限を、主催者側が持つことにした方が良くはないか。
その方が、参加者は自己の信念をより普遍的に表現する訓練になる。一方、主催者側は、発言停止の判断を下す立場なので責任が重く誰よりも成長できるだろう。「君子危うき(発言自由による危険)に近寄らず」より「虎穴(発言自由)に入らずんば虎児(発言自由による恩恵)を得ず」を多としたい。
Posted by oota at 09:54 AM. Filed under: 随想・評論(平成22年)