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This is the archive for December 2009

2009/12/15

 派遣切りにあって金もなく住居も追われ、住所不定では求職活動もままならない人々のようすがマスコミで報道されている。自分のできることを磨いて起業して道を開いていくことはできないだろうか。働いて生きていくのは雇われること以外に、業を起こすという方法もあるのだから。しかし、元手となる資金がないとか、どんな事業をしたらよいか分からない等、簡単ではない。

 問題は「いかに自立して生きていくか」ということだ。

 日本が発展途上国に経済支援するとき、緊急支援として食料等も供与することは必要だと思う。ただ、食料は食べてしまうと何も残らない。途上国支援にかかわる人々が共通して感じるのは、彼らが自分たち自身で産業を興し社会資本を整備していくのに必要な能力を身につけられるよう教育面での支援をすることが、根本的な問題解決だということだ。

 自立支援の構図は、途上国支援も、国内の失業者支援も同じだ。職や住所のない人に対する食事や住まいの提供は、途上国に対する食糧援助のように短期的な対処療法でしかない。自立できるようにと行う教育的支援は、「できることを磨く」ことで職業能力を高めるようにしてあげるか、起業に対する意欲や能力を高めてあげることだろう。

 流通業の小さい店で20人分の売上をひとりで達成し、その後、念願のホテルマネジメント会社を設立した鶴岡秀子氏は、10歳のころから起業すると決めていたという。牛丼の吉野家の前を通るたびに、座席数と回転率から売上を予測し従業員数が適正かどうかを考える「吉野家チェック」がその頃の趣味だったという。父親が経営者で親子の対話を楽しみながら、そのようなセンスが磨かれていった(ダイヤモンド社『一〇歳から起業すると決めていた』)。同氏の父親のような人をもっと育成することはできないだろうか。

 「私はこのことのために生きる」と一生をひとつのことに挑戦し貫く人の生き方は我々の心を打つ。そのような人の多くは経済的困難に直面する。しかし、多くの場合、支援者も出てくる。また、困難に直面しても社会には法的整理によって債務を減免し、責任を取り除いたり軽減してくれたりする方法が準備されている。

 むしろそのような困難に直面することは、自分の持てる能力の限界に挑戦している証と言える場合も多々あるのではなかろうか。いたずらに法的整理に頼ることはもちろん良くないことだが、困難に出会い苦しむことで能力が向上し当初の目的に一歩近づいたと言えることもある。

 人の心も社会のインフラも、現代では挑戦して自立していこうとする人々を支援するようにできている。問題は、自分の立てた目的が公益にかなっているかどうか、忍耐する覚悟があるか、細部にまで通じようとする強靭な精神力があるか、そして自分の思いを伝える意欲があるかだと思う。

営業の自由

 経済的自由権については、営業の自由が最大の論点です。営業の自由は憲法22条1項(「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」)の「職業選択の自由」に憲法上の根拠があるというのが判例・通説です。従事する職業を決定するだけでは、個人の経済活動の自由を全うすることはできません。したがって、職業を遂行する自由(営業の自由)も同条同項は保障しています。

 しかし、経済的自由は実際には広範に規制されており、憲法22条1項が明文で規定している制約原理である「公共の福祉」には2つの種類があります。以下に述べる「二重の基準論」は判例は一般には取り入れていませんが、経済的自由の問題に限れば判例は「二重の基準論」を採用していると言われています。

(1)規制その1 警察目的による消極的規制

 例えば、風俗営業法による規制や、食品販売の検査規制の場合です。個人の自由な経済的活動の弊害が、社会公共の安全・秩序維持の見地から見逃せない場合に、その除去のための規制が許容されるという考え方です。すなわち国民の健康の見地から食品衛生について規制するというような場合です。社会公共の見地から、けしからん営業は許さないということですから、「警察目的」であり、弊害の除去のみが目的という意味で「消極的」規制と言えます。この場合の合憲性判定基準は、「厳格な合理性の基準」が妥当するとしています。

(2)規制その2 社会経済政策としての積極的規制

 こちらの制約原理は、社会国家としての公共の福祉です。例えば従来からの地場産業・地元の商店街の振興のために、大型スーパーの立地や出店について規制します。社会国家としての理念に基づき、あるべき社会を建設するため、自由競争原理を排除することも必要だということであり、「積極的規制」と言われます。

 積極的規制については、広い立法裁量が認められます。即ちいかなる社会を作るかということは、基本的に政治の問題であり、司法権が関知することではないというのが裁判所の考え方です。その合憲性の判定基準は非常にゆるやかです。

時代背景の影響

 ある規制が消極規制とされるか積極規制とされるかは、時代背景が関連しています。銭湯の配置について距離制限を定めた公衆浴場法の合憲性をめぐり、2種類の判例があります。最判昭30・1・26は、この規制は国民の健康・衛生のための消極規制としたうえで合憲判決を出しました。これに対し、最判平1・1・20は規制を公衆浴場業者の転業・廃業を防ぐための積極規制としたうえで、合憲判決を出しました。いずれも合憲判決ですが、規制の趣旨についての解釈が異なっています。昭和30年には自家風呂はまれであり、多くの人が銭湯を利用していました(したがって衛生面が重要)が、平成の世に至るまでに、銭湯に行く人が激減し、経営困難から銭湯の廃業が続出しました。両者の違いには、こうした事情が時代背景として考えられます。