Skip to main content.
*

Archives

This is the archive for October 2009

2009/10/15

 夫婦が別の姓でも婚姻関係が保てるとする選択的夫婦別姓制度を導入する民法改正案が、来年の通常国会に提出される見通しとなった。千葉法相と福島男女共同参画担当相が早期法改正に意欲を見せている。

 法改正を推進する側の理由としては、「家族のあり方の多様化に伴い戸籍や世帯の意味がなくなってきており、個人単位で管理する方が手続き上便利だ」「結婚により姓が変わると仕事の継続に支障をきたす」等が言われており、法改正に反対する側の理由としては、「家族の一体感や絆が損なわれる」「子どもの精神の不安定を招き教育上よくない」等が言われている。

 私は夫婦別姓に反対だ。より根本的なところから夫婦のあり方を考えてみたい。

 「全体は部分の集合にまさる」と言われる。夫婦とは、夫という実体と妻という実体の二つの存在の単なる寄せ集めではない。両者の関係性、とりわけ補完性を含んだものと考えられていると思う。

 「名は体を表す」と言うが、夫婦が同じ姓を名乗れば、夫婦間の補完性を保持しやすくなるだろう。補完性は夫婦相互の愛と尊敬の基盤であり、それが実現する家庭でこそ子どもの情操が育つ。夫婦を別姓にすると、そのような目に見えない貴重なものを失いかねない。

 こう言うと「韓国などではずっと昔から夫婦別姓でありながら豊かな文化を築き先進国の仲間入りをしているではないか」という反論が聞こえてきそうだが、日本と韓国では事情が違う。韓国では「族譜」という一族の家系図が何物にも替えがたい貴重なものとして先祖から受け継がれてきており、先祖からの血統をとても大切にしているという。結婚しても夫も妻も姓を変えないというのは、出自を大切にする思いの表れなのだろう。

 また、女性の真の自立という意味でも、夫婦は同じ姓の方が良いと思う。女性の自立というと、唯物的な考え方をする人は社会的立場や経済面のことしか考えない。貧困の中に暮らしながら神へ至る道を説いたイエスキリストや、托鉢をして肉の糧を得ている僧侶は精神的に自立していないとでも言うのだろうか。けっしてそうではない。人々に福音を知らせるとか信者に功徳を積ませるという自分の役割に没頭し、自己の経済的安逸を求めない心はとても崇高であり、自立していると言えるのではなかろうか。

 キリスト教では、「男は神のかたちであり栄光である…女はまた男の光栄である」(1コリント11.7)とあるように、男と女の価値は平等ではあるが格位は違っていると考える。つまり、神からの愛はまず男に、そして男から女に流れるのであり、愛に対して返す美は女から男に、そして男から神に返すものなのである。「男の陰になり、男を後ろで支えながら、それでいて自分を貫いて生きていく。自分を男に託して生きていく。それは度胸のある強い女にしかできないことなのです」(橋田壽賀子著『夫婦の格式』)。自立した強い女は、夫の姓に守られ夫の姓を用いて賢く生きていくのである。
 憲法は公法であり、国家と国民の間を規律するものですから、人権の妥当領域として私人間の私法関係に、適用はないというのが原則です。

 重要な判例として三菱樹脂事件(最判昭48.12.12)があります。東北大学出身の学生が三菱樹脂の就職内定をもらいますが本採用を拒否されます。この学生は在学中に学生運動に参加していましたが、会社にうその申告をしていました。学生が労働契約関係の存在確認を求めて提訴しましたが、「企業者は契約締結の自由があり、労働契約締結にあたり、思想信条を調査しそれを理由として本採用を拒否しても構わない」という趣旨の判旨が出ています。

「間接適用説」が原則論であり通説

 しかし、判例において、私人間の訴訟に憲法の影響が全くないかというと、そうではありません。ではどのような理論構築がなされているのかを見てみましょう。

 学説の中には、憲法の人権規定は、私人間にも直接適用されるという説もあります。しかし、支持者は少ないのです。なぜなら、私人間で、人権が保障されているか否かを国家が監視することになりかねないからです。私的自治の原則が脅かされ、プライベートの領域がなくなってしまうわけです。

 しかし、実際には、私人間と言ってもその力量の差はさまざまです。巨大企業という法人が、市民や従業員個人の人権を侵害した場合、その事例に関する立法がなされていない限り、裁判所は何も口出しができなくなります。

 そこで、間接適用説が判例・通説であり、具体的には、民法の一般条項(例えば90条、709条)の解釈に際して、憲法の精神を斟酌するという方法論を取ります。私人間には憲法の条文の直接適用・類推適用はしないものの、民法の条文の適用をする際に、その解釈上憲法の精神を取り入れるというわけです。例えば、私人間で合意が成立しても、憲法の精神に反する合意であれば、民法90条の公序良俗違反だから無効だというわけです。

 重要な判例として日産自動車事件(昭56.3.24)があります。この会社には男子の定年が60歳、女子は55歳という就業規則がありました。そこで、定年退職を命ぜられた女子従業員が、日産自動車を相手に女子を差別するのかということで争ったところ、女子従業員が勝ちました。日産自動車の就業規則のうち、女子の定年を男子より低く定めた部分は無効というのが裁判所の結論です。無効の理由は民法90条(公序良俗違反)です。これは社会的に大きな反響を呼び、この判決後、各企業において就業規則の見直しがされることになりました。

直接適用の条文

 今まで述べたことは原則論です。憲法の条文の中には、例外的に私人間にも直接適用される条文が存在します。例えば、
・憲法18条 奴隷的拘束及び苦役からの自由
・憲法28条 労働基本権(労働者の団結権・団体交渉権・団体行動権)等があります。
 18条は、ことの性質上、当然私人間にも適用があり、28条は私企業においてこれらの権利保障が及ぶことは世間常識と言えるでしょう。