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This is the archive for April 2009

2009/04/15

 現代の日本人は「霊」とか「霊界」というと、「科学では説明できない不合理なもの」と考えることが多いように思う。健康推進を使命とするあるNPO法人の催し物に参加したところ、WHO(世界保健機関)では健康の定義として「身体的」「精神的」「社会的」「霊的」の4つの側面を指摘しているが、「霊的」健康については対象としていません、という趣旨の説明を主催者側がしていた。しかし、私は霊的なものはとても重要だと思う。

 アメリカで生まれたヘレン・ケラー(1880~1968)は、生後1年8カ月のときに熱病のため視覚と聴覚を失った。身体や手で触れたものしか記憶できず、「はっきりした、それでも形体的な記憶の中には情緒とか合理的な考えとか、といったものは一かけらもなかった。わたしは何の意識ももたない一かたまりの土くれのようなものであった」(ヘレンケラー著『わたしの宗教』静思社)状態から、6歳の時にサリヴァン先生という素晴らしい教育係を得て、すべてのものに名前があることを理解した。その後、2つの学位を得て不幸な人々のために生涯をささげた。

 目が見えず耳も聞こえない人の精神生活は制限されたものにならざるを得ないと考えられがちだが、ヘレンは常に好奇心に充ち心は躍動していた。彼女には霊的能力があったからだ。視覚と聴覚を失い光と音の世界から切り離され、それに応じて霊的な認識力がとぎすまされたと言った方が良いのかもしれない。暗黒と沈黙しかない世界の中でも太陽と花と音楽を楽しむことができたし、賢人たちの思想を読んで思索を深めた。

 ヘレンは、大半の人々の心には霊的なものが漠然とし、その感覚から遠ざかっているとしている。彼女にとっては、周囲の人々が感覚と知覚の源泉としての霊魂を理解せず感覚の経験のすべてのものが人間の外側にあると考えていることは「妄想」(前掲『わたしの宗教』)でしかなかった。

 「妄想」を抱くにいたったのは、人間がいわば「霊的無知」に陥っているからとも言えよう。その理由について、卓越した科学者として前半生を過ごした後、56歳になってから30年近くも、昼の完全に目覚めている状態で天使や霊たちと話し合い、ヘレンにも大きな影響を与えたスウェーデンボルグ(1688~1772)は次のような説明をしている。

 「霊界は人間が存在しているところに存在し、いささかも人間から遠ざかっていないが、人間の霊的なものは自然的なものの中へ遥かに入り込んでしまい、人間は霊的なものとは何であるかを知らなくなってしまった」と。

 われわれは、とかく自分が感覚できる世界がすべてであり、それ以外の世界を感覚する人がいるとその人が異常なのだと考えやすい。しかし、無から有は生じえないということが、人間の想像という活動にも当てはまるとすれば、天国や地獄という世界を想像しているということ自体、そのような霊的世界が実体として実在するからこそ可能なのではなかろうか。