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This is the archive for January 2009

2009/01/15

 行政書士として仕事をしていると、法人設立を考えている方から「会社とNPO法人とではどちらが良いでしょうか」という質問を受けることがある。

 事業を継続していくためにはどちらの形態にした方がうまく行きやすいかという趣旨であるが、「会社とは利益をあげてそれを出資者で配分することが本質であり、NPO法人とは不特定多数の方の公益を実現することが本質であるので、自分が何をしたいかによって決めるのが基本です」というところに、最後に話は落ち着く。

 本当は利益が欲しいのにある思惑からNPO法人を設立すると、利益でなく公益の実現を求める人々が集ってきて組織がうまく機能しなくなる。逆に本当は利益を求める以上に公益の実現を図りたいのに会社を作ると、公益の実現に関心のある人が集まりにくくなる。

 公益を求める団体であっても事業の継続には財政的基盤が必要だから、NPO法人の設立に前後して会社も設立すれば、団体の対外的動機は異なっていても事業活動がスムーズに展開できるかもしれない。

 人と話していて、その人が何を意図しているのかはっきりしないときは、その人の動機を考えるとその人の考えが見えてくる。極端な言い方をすれば、人を犠牲にしてでも自己の利益を図ろうとしているのか、それとは逆に自分が犠牲になってでも人のために生きようとしているかである。もちろん自分も他人も等しく利益を得て幸福になれば一番良いのだが、周囲の理解が得られない中で既成概念にとらわれないことをしようとすれば自己犠牲は避けられない。

 法律も動機を重要視する。刑法では故意か過失かによって量刑が大きく異なる。民法でも、人の命を助けるためにやむを得ず人の財産に損失を与えても、基本的にはその損害賠償をする必要はない。

 毎日の家庭生活の中で子どもにかける言葉を見ても、動機が強く表れている。「A君もBさんも一生懸命に勉強しているからあなたも勉強しなさい」と言えば、「自分が勉強するかどうかは、個性をもった自分の人生における勉強の意義を、自分の人生の目的の中に位置付けて初めて判断できることなのに、周囲の人の行動に無条件に合わせよということは、自分に関心を持っていないのではないか」と子どもから思われてしまう。「お母さんがいつも勉強しなさいと言っているのにどうして分からないの」と言えば、「要は自分のことを重要視してほしいのね」と子どもにその動機を見透かされてしまう。

 「私は自分の体験から君に勉強してほしいと思っているが、それは次のような理由からだよ」と、子供の適性や個性を洞察し、真実や美に触れることの喜びや時代の要請までも説明して、真正面から期待を表明することが、親の真摯な動機が伝わって受け入れられやすいのではなかろうか。
自分の動機を常にチェックしておくことが人間関係がうまくいくうえで、とても重要ではないかと思う。
~日本人論中の最高傑作と言われる名著~

 本書は、1934年に韓国で生まれ、新聞社の論説委員、大学教授、韓国初代文化相等を歴任した著者(李御寧)による日本文化論です。

 著者が学校生活を過ごした日本による植民地時代に、最初に出会い不思議に思った日本人は一寸法師、桃太郎、金太郎、牛若丸でした。彼らに共通した一つの印象は小さな巨人たちということでした。韓国の昔話に登場するヒーローには巨人はいても小人はいませんでした。

 著者は、一寸法師のような極小主義の想像力が日本人の一つの発想法となっていろいろな文化を創り出していると見ます。その典型的なテクストは、たった17文字に広い宇宙と四季の時間をあらわす俳句ですが、他にも扇子からトランジスタに至るまで数多くの作品が「縮める」という日本人の「和魂」が作り出したものだとします。そして、同じ島国でも英国の文化型は「拡がり」の文化を志向していることを考えれば、外部的な与件のゆえにそうなったのではなく、日本人が進んで縮み志向を取り入れたのではないかとしています。

 著者はこの縮み志向を6つの類型に整理しています。①入れ子竿のように「広く使って小さく納める」など「込める」ことによる「入れ子型」②中国や韓国から伝わったウチワを「折畳み」扇子を作ったり、俳句では月を「引き寄せ」、「握る」ことでおにぎりを作るなどの「扇子型」③手足を「取り」人形を作ったり、漢字を手本にしてその手足を「削り」簡素化して仮名文字を作るなどの「姉さま人形型」④食膳を小さな箱の中に縮め、神社もお神輿に縮め、昔は茶室や庭に、今日はトランジスタやカメラに、さらには仏教までも「南無妙法蓮華経」の7文字に「詰める」「折詰弁当型」⑤剣術の動きと精神を時間的に縮めた「構え」や、感情の構えを一つの表情に縮めた能面等の「能面型」⑥徳川の葵紋や家紋、職人の半てんや商家ののれん等、忠誠心と一体感を「凝(こご)らせる」「紋章型」です。

 著者は日本文化の縮み志向を否定的に見ているわけではありません。茶会の出会いが再現不可能な一瞬の時間であるとすることから生まれた縮みの時間である「一期一会」と、縮みの姿勢である正座の文化が、普段の生活語の「一所(生)懸命」として表れたとします。料理人が客の前でまな板を置いて料理を作るのも、歌舞伎の演技者と観客の間の花道も、主客が一方的に与え、受けるという関係ではなくともにある共感を作り上げる座の仕掛けであり、それが日本式団結力を生み出しているとしています。

 その一方で、日本人は「内」と「外」の観念を作って、何を見ても内と外に分けて行動する傾向が強いとします。内とは自分がよく分かり肌身に感じられる縮みの空間であり、外とは、拡がりの世界で抽象的な広い空間です。豊臣秀吉は草履取りから関白まで「縮み」の方法でいったときは強かったが、天下を統一した後「拡がり」志向に手足を伸ばしたとたん、判断力を喪失し朝鮮の役という誤算を犯しました。松岡洋右の国際連盟脱退も、国際的な立場から見れば拙劣な振舞いでしたが、国内では拍手喝さいを浴びました。

 著者が日本文化を広く深く考察していることに驚きます。本書は、自分の意識や行動規範を見直させてくれる含蓄に富んだ一冊です。