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This is the archive for December 2008

2008/12/15

 本書は、1952年にアメリカで生まれた著者(アレックス・カー)が、アメリカ、日本、イギリスで日本学や中国学を学び、日本に滞在する中で日本の伝統文化に魅了され、それが失われていこうとする現代日本に失望しつつも一縷の希望を見出そうとする、司馬遼太郎氏も絶賛した心に響く随筆集です。

 著者は子供のころ、父の仕事の関係でイタリアのナポリに住み、夢は「お城に住むこと」でした。アメリカに戻り、ワシントンの小学校で中国語を学びました。12歳のとき、またも父の転勤で横浜の海軍基地に住んだ頃一番好きだったのは、「神秘的で美しく、自分が生まれてくる前の遠い遠い昔に戻ったような感じ」の日本の家であり、それが著者にとってのお城になりました。

 17歳の時にアメリカのエール大学の日本学部に入学し、19歳の夏にヒッチハイクをしながら日本全国一周の旅に出ました。雑木林で覆われ谷間からは霧がたちこめ木の細枝は風に吹かれて羽根のようにふるえ、その谷間に岩肌が見え隠れする美しい自然と、日本人の親切さに深く心打たれ、その頃の日本の自然を思い出すと涙が出てくる著者は、それから20年の間に日本の自然がガラリと変わってしまい、どこへ行っても看板、電線、コンクリートとパチンコ店が目につく国となってしまい、「木、山、石、海岸を全部ポイッと歴史のゴミ箱に捨てた」日本は、世界の中で「醜い国」の1つになってきていると嘆きます。
 
 日本全国一周の最後に友人の勧めで四国の秘境であり、平家の落人の里である「祖谷(いや)」に行ったとき、「日本は住みたい国だろうか」という自問に対する答えが出ます。七二年に慶応大学に1年留学したときはしょっちゅう祖谷へ遊びに行き、何十軒も民家を見て回った後、茅葺の小さな空き家を見たときには「これだ」と思い、探し求めていた「お城」を見つけ購入しました。エール大学に戻り、卒論のテーマは祖谷でした。

 1974年にオックスフォード大学に留学して「中国学」を学び、中国共産党の文化破壊にすさまじさに驚愕します。1976年に京都の「大本」という宗教団体のセミナーに参加したことがきっかけで、七七年に大本の国際部に就職します。それ以降、屏風、書道、歌舞伎、生け花、お能など伝統芸術の世界にのめりこんでいき、日本の文化のエッセンスや思想は中国の孔子、孟子等のように言葉としては残っていないものの、定家、世阿弥、利休等で代表される伝統芸術の中にあったことを見抜きます。

 77年からは京都の亀岡の天満宮(もとは400年前の尼寺)に居を構え、豊かな自然を味わい、昔の暦にある「清明」「白露」「啓蟄」等の「気」を一つ一つ楽しみます。特に書に対する思いれが深く、「書は心の絵なり」とし、一休の詩や伝記を読んでもよく分からなくとも「一休の書を見ると途端にその力強さ、皮肉、いやらしさ、知恵、天才的才能、それら全部が一気に伝わってきます」といいます。著者自身も書を書きながら、知り合いの踊りの先生と、書と踊りを一緒にしたイベントの開催もします。

 親交のある坂東玉三郎が書いたまえがきにあるように、「美しい日本の姿を残していきたいというアレックスの情熱、日本への愛情」をひしひしと感じる名著です。