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This is the archive for October 2008

2008/10/15

 美しくなるために多くのお金を投入して美容整形をする人がいる。「美人といえども皮一枚」ということわざがあるが、より本質的な内面の美しさに目を向けたらどうですか、と言いたくなる。

 東京工業大学の本川達雄教授は、専門の生物学の観点から、子供を産むことができる限りにおいては、子供を作るかどうかの選択は個人の好みで済むことではなく、連続する生命の環の一つである我々は、その輪を伝えていく責任を先祖に対しても子孫に対してももっている、と明言しておられる(読売新聞、平成18年11月8日)。

 個人の「自己決定権」を拠り所に、結婚するもしないも、また子供を持つも持たないも個人の自由だという考え方が広まっている日本において、とても本質的で重要な指摘だと思う。

 同教授は、歴史上の事件に共通する本質を歌にするなど、ユーモアもお持ちだ。本質に目を向け、かつユーモアがあることは一流の学者(研究のみならず教育もする)の条件ではないかと思う。

 アメリカでは、レーガン元大統領が歴代の大統領の中で最も偉大な大統領であるとの評価が定着しつつあるようだ。同大統領は共産主義の本質を見抜き、アメリカとソ連が軍縮に向かうためには、まずアメリカが軍拡をして軍事力の均衡を目指すべきだとの信念を実行に移し、ソ連を平和に向かわせることに成功した。同大統領は、本質に目を向けるだけではなく、信念とユーモアを併せ持つ一流の政治家だった。

 企業経営者は経営環境に常に目を配り適応するように努力しないと、企業は事業活動を継続できなくなる。一見、本質よりも周囲に目を配りそれに合わせることを重視すべきではないかとも思われやすい。しかし一流の経営者は卓越した経営哲学を持っている。企業経営の本質を見失わず、その上に、信念とユーモアがあれば鬼に金棒だ。

 私の事務所に定期的に来られるIさんも本質を中心に物事を見る人だ。目に見えないものを売る仕事なのでなかなか人々に理解されない中でも、人々の人生を有意義なものにしてともに喜びたいというスタンスは一貫して変わらない。偏見なく人の本質を見られるので、話をしていてもお互いに得ることが多い。

 冒頭で美について述べたが、女性の、外面の美に対する関心は目をみはるばかりだ。髪、眉毛、まつげ、まぶた、鼻、唇、乳房、手足の爪、皮膚等、細工の対象は全身に及ぶ。昔と今とでは細工の方法は異なっていても、その熱心は変わっていないのではないかと思う。「不易流行」と言われるように、女性の外面の美に対する熱心は、もしかすると本質的なものなのかもしれない。いずれにしろ、本質に目を向けて生きていきたい。その上に信念を持ちユーモアのセンスを磨いていけば最高の人生だ。
 Aの所有物をBが自分の物のように占有しているなら、BをしてAへ返還させるのが法の任務です。また、BがAに債務を負担しながら弁済しないのなら、弁済すべきことをBに命ずるのが法の任務です。あるべき状態(Sollen)と違った事実状態(Sein)があるときには、Seinを改めてSollenの実現を企てることが、まさに法の使命でなければなりません。ところが時効はその反対です。なぜでしょうか。Seinの状態も永続すると、その上に複雑な法律関係が築き上げられます。いまさらこれをくつがえしては、社会の法律関係は混乱します。社会の法律関係の安定、それが時効制度の最も基礎的な存在理由です。

 「既成事実の尊重」が法の一つの使命であることは否定し得ません。表見代理・即時取得・登記の公信力など、いわゆる取引の安全を保護する制度は、いずれもある意味で既成事実の尊重です。そして、主観的な権利義務の面に作用する時効は、客観的な法規範の面に作用する慣習法と並んで、既成事実の尊重の理想を実現する東西の横綱です。

消滅時効

 20年も30年も前の古い借金証文を持ち出して、これこの通り、あなたのお父さんに金を貸してある、元利合計何○○○万円払ってもらいたい、とやられては、誰でも困ります。30年前の証文が、はたして現在借金のあることを証明する確実な証拠といえるのかどうか、それが問題です。そんな古い事実は今さらほじくり出さないことにする、と言ってしまう方が、公平であり真実に近いかもしれません。

 普通の債権は10年で消滅時効にかかる(民法167条1項)という制度の、最も大きい働きはこの点にあります。商店の売掛代金や学校の授業料などは2年、おでん屋の勘定は1年という短期消滅時効が認められるのも、債権の存在の証明が困難だからです。

取得時効

 ある土地がAからB、BからCに売られて、移転登記も済んでいる。そのうえCはその土地に家屋を建てて他人に貸し、また抵当権を設定して銀行から金を借りている。といっても、Aが制限行為能力を理由にAB間の売買を取り消せば、土地の所有者はAに戻り(はじめからAのもとを一度も離れていなかったことになり)、とにかくCは家屋を取り払わねばならなくなり、抵当権は効力を失う。こんな場合のCにとっての最後のよりどころは、時効による取得です(162条)。取得時効とは、他人の物でも自分の物のような顔をして持っていると、10年か20年の後には自分の物になるという制度だ、というと、いかにもけしからん制度のようですが、右の例で考えてみると、社会の法律関係の安定という大きな理想から見て、いかにももっともな制度だ、ということが分かるでしょう。

 所有権の取得時効と、貸金債権等の普通の消滅時効とを比較すると、前者では永続した事実状態の尊重という理想が文字通り当てはまるのに対し、後者では、証拠の保全の困難を救うという、当事者の個人的な利益保護が少なくとも主要な存在理由となります。

(我妻榮『民法案内2民法総則』勁草書房を参考にしました)