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This is the archive for July 2008

2008/07/15

 現代社会は、諸科学が高度に発達した社会だが、一番開発が遅れているのは、他ならぬ人間自身、とりわけ人間間のコミュニケーションではないかと思う。特に人と人とが面と向かい合ってする話し合いの方法は改善の余地が大きい。

 ビジネスの会議でも、自分の過去の体験談や人生哲学までも長々と話す人がいると、時間が押して十分な議論ができなかったりする。ビジネスの会議では、①明確化のための質問②代替案の提示③リクエストの3点に発言を限れば、会議参加者が自分のコメントや哲学を述べる会議に比べて20倍も会議の効果性が上がるという(大橋禅太郎著『すごい会議』大和書房)。

 しかし、そういう会議は効率は上がるかもしれないが、メンバーの発言の背後にある思いが分からず真の理解に至らないおそれがある。結論を出すための会議とは異なる、自分の価値観や哲学を自由に述べ合うことを主眼とした意見交換会を別の機会に設けて、お互いの人間性や抱えている事情を相互に理解するようにしておけば、効率を追求したビジネスの会議でも成果が上がるだろう。

 半年ほど前に興味深い話し合いの会合に出たことがある。共通テーマ(「ファシリテーションさんへの愛の告白」)のもといくつかのグループに分かれ、各グループのテーブルには大きな紙がテーブルクロスのように敷かれていて、落書きが公然と許されている。また照明も薄暗くして雰囲気を良くして話し合いを行う。最初のセッションが終わると各グループごとに居残る人と他のグループに出かけて行って話す人(旅の人)を決めて、また話し合う。そのセッションが終わると旅の人は元のグループに帰ってきて、それぞれ話し合ったことを報告し合う。このような形式(ワールドカフェ)で、自分の経験に基づく哲学や価値観を述べ合い、自由な意見交換による気づきを得ていった。

 このようなワークショップ形式の話し合いは、とても有効だ。ワークショップの参加者はみな平等だ。社会的地位が高く、声が大きいからといって、発言が優先されることはない。進行役のファシリテーターは、参加者ひとりひとりの価値観やアイデアを尊重し、話し合いのルールに従って自由に発言してもらい、創造的な話し合いが行われるように仕向ける。良いファシリテーターは、大きな真っ白な見えないキャンパスを会場に作り、参加者の意見を最大限に引き出して、合意形成という芸術作品を生み出していく。

 私は小中高校の授業にも、ワークショップを取り入れることを提案する。自分の思いを皆に偏見なく聴いてもらえ、クラスメートの発言からその人の独創的なアイデアや人間性に触れることは、生徒の人間理解を大きく促す。今日の教育現場や家庭で起こる悲惨な事件や問題の多くが解決していくことにきっと役立つはずだ。