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This is the archive for March 2008

2008/03/15

 マーケティングはこの分野の権威である米国のコトラー教授によると「製品価値の創造・提供・高揚を通して、個人・企業が必要かつ欲求するものを獲得するために社会に働きかけたり、管理を行ったりする行為」と定義されます。具体的には、①企業の内部環境と外部環境を分析し②標的市場を決定し③狙いを定めた市場を獲得するために、製品開発、周知活動、流通チャネル開拓、そして価格設定という活動に大きく分けることができます。

 製品開発(Product)、周知活動(Promotion)、流通チャネル開拓(Place)、そして価格設定(Price)はマーケティング活動の中核をなすものであり、通常4Pと呼ばれ、この4Pの組み合わせをマーケティング・ミックスと言います。

売れない理由とAIDA(アイダ)論

 財・サービスが消費者や最終ユーザーのニーズをそもそもつかんでいない場合や価格が高すぎる場合は、売れなくてもやむをえません。4Pの中の製品開発や価格設定に失敗したということになります。しかし、売れない理由は他にもあります。

 売れないということは、消費者や最終ユーザーが財・サービスを買わない、もしくは買えないということですが、その理由を①知らないから②興味がないから③欲求がないから④購買行動を起こせないから、という四つの段階に分類し、それぞれの段階に応じて①注意を向けさせる(Attention)②興味を持たせる(Interest)③欲求を喚起させる(Desire)④行動を促す(Action)、という異なった対応をとることによってマーケティング活動をより効果的なものにしようという考え方が、各段階の英語の頭文字をとってネーミングされたAIDA(アイダ)論と呼ばれるものです。

プッシュ戦略とプル戦略

 創業間もない企業は、機能面や価格面で優れた財・サービスを開発しても、知名度と流通チャネルへのアクセスが隘路になることが多い。購買プロセスにおける第一段階(Attention)と最終段階(Action)への対応が苦手なのであり、一方、興味(Interest)や欲求(Desire)を喚起することは、財・サービスの機能面のユニークさもあり、むしろ起業家が得意とすることです。

 卸売業者や小売業者などの流通チャネルに直接働きかけて、そのチャネルを通して最終ユーザーや消費者にアプローチする方法はプッシュ戦略と呼ばれます。一方、消費者などに直接働きかけ、財・サービスに興味を持った消費者などが流通チャネルに働きかけるように仕組む方法はプル戦略と呼ばれます。

 プル戦略で認知度を上げ、消費者や最終ユーザーから流通チャネルに働きかける戦略は、業歴の浅い企業にも有効です。しかもインターネットの発達によって、直接消費者などにアクセスすることが容易になり、購買プロセスの第一段階と最終段階で起業家が苦労してきた状況は、徐々に改善されていると言えるでしょう。

 モチベーション理論の一つに、ハーズバーグの動機付け要因・衛生要因論というのがある。
「仕事の達成感、責任範囲の拡大、能力向上や自己成長等(動機付け要因)が仕事への満族の度合いを決め、労働環境、作業条件、給料等(衛生要因)が仕事への不満足の度合いを決める。そして、衛生要因を改善して不満足の度合いを少なくしたからといって、仕事への動機づけが高められ満足の度合いが高まるわけではない」という理論である。経営者は単に待遇改善だけで従業員をつなぎとめておくことはできないという、とても大切な示唆を与えてくれる。

 確かに、経営基盤が貧弱な零細企業の社長がわずかな会社の利益を減らしてまで従業員の賞与を捻出すれば、事情を知っている従業員は社長の心配りに感激し、それがやる気につながることはあると思う。しかし、それが長続きするとは限らない。従業員が、自分の将来設計における今の仕事の位置づけを考えたときに、必ずしも今の会社に居続けることが得策ではないと思えば、社長に感謝しつつも職場を去っていくことは十分ありうることだ。

 同じことが家庭における子育てについても言えるような気がする。親が子どものために快適な勉強部屋や栄養バランスのとれた食事を準備してあげたからといって、それだけで子どもが意欲を持って勉学や仕事に励み、自分の毎日の生活に満足感を持つことにはつながらない。勉学や仕事による達成感や成長を実感しているかどうかが重要である。

 不満足感の増減と満足感の増減とは一直線上にあるものではない。両者のうち満足感の増減の方がより重要だ。満足感が増加すれば不満足感があってもあまり気にならないが、満足感が低下しているとどれだけ不満足感の減少のために配慮をしてあげても、子どもはやる気を持ちにくい。
そもそも子どもがこの世に生まれたのは自分の意思によるのではない。親など他の存在の意思によってこの世に存在するようになったのである。しかも、安全や生理的な欲求だけではなく、愛情、尊敬、自己実現という欲望までも生まれながらに持たされている厄介な存在だ。そうであれば、子の存在の原因である親がそのことに一定の関心と責任を持つことは必要であろう。

 戦後の日本は貧しかったので安全と生理的な欲求を満たしてあげることだけでもたいへんだった。子どもはそのような親の事情を知っていたので懸命に生きる親の姿を通して、愛を感じ尊敬することができた。その中で自分も愛し尊敬され自己実現を図っていく道筋を自ら見出すことができた。

 しかし、日本は豊かになった。親は以前ほどの努力なくして安全と生理的な欲求を満たしてあげることができるようになった。そういう状況では、愛情、尊敬、自己実現に対する子どもの欲望はひとりでに満たされるものではなく、必要であれば何らかの対策を講じることが必要であることを、親自身が明確に認識する必要があるのではなかろうか。