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This is the archive for October 2007

2007/10/15

議論の目的や目標は一致しているか

 人の話を聞いているうちに、何かの考えが頭の中にひらめくことがあります。ひらめいてしまうと、「今これを発言するのが適切かどうか」を考えるのが二の次になって、議論の目的や論点から外れた「思いつき発言」をしてしまいかねません。

 話し合いで一番忘れてはいけないのに忘れがちになるのが、会議の目的(ねらい)です。目的とは、何のために会議をしているかという会議の意義を示すものです。ねらいが分かれば大まかな進路が見えてきますが、「ここまでやれば今回の話し合いの目的は達した」といわれるポイント、すなわちゴール地点が分からないと、話が終わりません。それが目標(到達点)です。話し合いのテーマであり、議題やアジェンダと呼ばれることもあります。「何のために」(目的)、「何を話し合うのか」(目標)をセットにして考えないと、本当の意味でテーマを理解したことになりません。

論点は必ず疑問文で表現しよう

 多くの場合、話し合いの冒頭で進行役が、「こういう順番で話をしますがよろしいですか」と全体の流れを確認します。これが論点の設定です。分かりやすい論点を設定するコツがあります。それは、「論点は必ず述語入りの疑問文で表す」ということです。

 例えば「○○問題について」という論点では、○○問題について何らかの話し合いがなされればOKとなります。しかし、「新たなる○○問題にどのように対処するか」という問いかけにすると、実行可能な行動案が決まらなければ成果が出たとは言えません。行動が決まるまで話し合いを続けなければバツが悪くなります。

論点から外れた意見の扱い方

 論点をうまく設定しても、必ず論点に合わない意見を言う人が出てきます。その場合は、「その話はあとでやりますので、今は…について意見をお願いできませんか」と軌道修正しなければなりません。その際、「…というご意見は分りました。しかし、今は…の点についてご意見をいただけませんか」(yes―but型)と言うと、どうしても否定された感じがします。そうではなく、「…というご意見ですね。さらに…の点についてのご意見があればうれしいのですが…」(yes―and型)と言った方が論点に沿った意見が出やすくなります。

 加えてもうひとつ論点からズレた発言が出た時に使われる「パーキングロット(駐車場)」と呼ばれるワザがあります。話し合いをしている場所に黒板やホワイトボードがあれば、ズレた発言をメモしておくのです。こうしておけば、発言が受け入れられたことがだれの目にも明らかであり、無視されたと思うこともありません。そのうえで、「この点については重要なポイントですので、、あとで議論させてください。もし今…の点ついてご意見があれば伺いますが、いかがですか」と働きかけるのです。

(堀公俊『「話し合い」の新技術』プレジデント社を参考にしました)
 世の中の各分野で偉大な業績を残した人は、努力の結果であることは疑いないものの、「天賦の才能」という言葉があるように、神仏や宇宙の力を受けたと考えざるを得ないこともある。

 若くして亡くなったモーツァルトが書いた楽譜には一切の修正の跡がなかったという。そして、一つの音符でもそこになければ、完全な美は失われてしまうと考えていたようだ。作曲する前から完成した曲が頭の中に存在し流れていたということだろうか。

 自閉症の人で作曲をする人の中には、「落ちてくる音符を書きとめれば曲になる」という人がいるという。曲がどこかですでにできていたのだろうか。

 エジソンも「自分は世界の発明王などと言われているが、実際は自分が発明したのではなく、宇宙という大きな存在からメッセージを受け取り、自分なりの記録を取ったにすぎない。つまり、自分自身が自然界からのメッセージの受信機であった」と述べている。
宇宙は、天体の運行が簡単な数式で表すことができるほど美しい。また、宇宙の基本的な物理常数のほとんどが、宇宙誕生の初めから、人間が住むのに適した生活環境を作り出すために、恐るべき精度でもって「微調整」されているのだという。

 人の手による作品も、われわれが住むこの宇宙も、その青写真を描いた人格と知性を兼ね備えた存在がいて、最初からすべて分かっていたと考えると、これらのことは合点がいく。

 ほかならぬ人間自身はどうなのだろうか。

 われわれは学校で進化論を教わってきたので、多くの人は人間とは、単細胞生物だったものが物質次元の組み合わせや変化によって複雑化、高度化して存在するようになったと考えている。

 これに対して、神学にはこれまで進化論に対抗できる説得的な創造論がなかったが、最近では合理的で学術的な説明の伴う創造論も発表されている。

 それによれば、創造主である神の心の中では、まず自分の似姿である人間の設計図を標本として、それを捨象・変形して高等な動物の設計図を描き、さらにその設計図を捨象・変形して低級な動物の設計図を描き、以下順次、前段階の存在の設計図を捨象・変形して高級な植物、低級な植物、天体、鉱物、分子、原子、素粒子の設計図を描いていかれた。そして実際の現象世界の創造に当たっては、それぞれの設計図に従い、まず素粒子を創造し、次に原子を創造し、以下順次、分子、鉱物、天体、植物、動物を創造し、最後に人間を創造されたのだという。

 創造された結果物だけを見れば、あたかも前段階の存在が変化して次の存在になったと見えるけれども、各結果物はそれぞれ独自の設計図に基づいて創造されたというのが真実だというのである。

 人間が神仏に畏敬の念を持ったり、親であると感じたりするのは、そのような人知を超えた存在が最初からすべてご存じだからなのではなかろうか。