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This is the archive for September 2007

2007/09/15

アイデアをとことん引き出す法

 成果と満足感を両立させるには、合理的かつ民主的に話し合いを進めなければなりません。民主的とは「公平に議論をする」「少数派を擁護する」というイメージです。

 合理的に話し合うためには、いろいろな観点からテーマを掘り下げることが大切です。権威で発言を押さえ込んだり、遠慮し合ったりしていると、多面的な議論ができません。多面的な角度から議論をすることで、個人の情による議論の偏りやもれを防ぐことができ、より客観的で妥当性の高い結論が導けます。話し合いの最初はできるだけ話を広げて、みんなの知識を全部吐き出させましょう。そのあとで、本質的なところに話を絞り込んでいきます。広げて(発散させて)絞り込む(収束させる)―このリズムが話し合いの基本です。この「広げる」と「絞り込む」を混ぜないようにすることが大切です。そうでないと合理的な話し合いになりません。

 とことんアイデアを出し尽くすための有名な方法が、4つのルール(①自由奔放②批判厳禁③付け足し歓迎④質より量を)を持つブレーンストーミングです。何のために意見を出すのかという目的をはっきりさせることや、「○○分間に○○個!」とアイデアを出す目標を決めることも、とことんアイデアを出すのに有効です。

全員が納得する答えをどう選ぶか

 とことんアイデアが出た後で、アイデアを収束させます。同じアイデアを束ね(グループ化して)、分かりやすい形に並べて体系化、構造化します。そのような整理をすれば、根掘り葉掘り検討すべき本質的な意見と、そうでない枝葉の意見とが、誰にも分かるようになります。

 次に、整理されたアイデアの中からどれを選ぶかを決めます。どれが最も「ふさわしい」かを判断するには、何らかの基準が必要になります。基準には、「効果が大きい」「すぐ実行できる」という功利的な(損得の)基準もありますし、「組織の理念に合致している」「人として望ましい」という規範的な(善悪の)基準もあります。どの基準が絶対的に正しいというものはなく、みんなが一致できる基準を見つけるのが議論の核心であり、話し合いが成功するかどうかのキーポイントです。進行役は本質的な論点に目を向けさせ、「どのアイデアが良いか」の「選択の議論」を、「どうやって選ぶか」の「基準の議論」に導いていくことが大切です。

 議論の核心が見つかれば次は最適なアイデアを練り上げていくステップにはいります。ベターなアイデアの良いところを、ベストのアイデアに足すことで、参加者の知恵を余すことなく活用し、誰もが受け入れられる一つの案を作ることこそが、望ましい合意形成のやり方です。

 最後に、出来上がった案がそもそもの話し合いの目的や目標に届いているかを確かめるとともに、最終案を実行する際の悪影響への対応や、失敗したときのリスクに対する備えも考えておくと良いでしょう。

(堀公俊『「話し合い」の新技術』プレジデント社を参考にしました)
 利息制限法で定める以上の利率で貸金業を行う消費者金融会社は、駅前の一等地に店を出し大きな利益を上げていた。しかし今日では、多くの利用者から過払い金の返還請求を受けている。なかには大勢の利用者から多額の請求を受け、分割払いにしてもらったり、倒産の危機に直面している会社もあるという。

 複数の消費者金融会社から借りて、返済に窮して分割払いにしてもらったり自己破産せざるを得なくなった利用者と同じような立場に、今度は消費者金融会社自身が立っているのである。このような立場の逆転は、数年前には予想できなかったことだろう。

 二千年前にイスラエルの地にいた青年イエスの行動に対する処遇をローマの高官が決め、イエスは十字架への道を余儀なくされ殺害された。当時のユダヤ人たちは、立派なローマの高官の名前が歴史に残ることはあっても、「犯罪者」イエスの名前が歴史に残ることなどありえないと思っていたに違いない。

 しかし事実はそうではなかった。イエスの足跡は、そのベストセラーの言行録である聖書と共に人々に慕われ続け今日に至っている。反面、ローマの高官の名前は歴史に残ることがあるとすれば、聖人を死に追いやった憎むべき者としてであろう。当時のユダヤ人の中でこのことを予想した
人はいるだろうか。

 安倍首相が今月12日に首相を辞職したことに関して「無責任だ、敵前逃亡だ」と手厳しく批判する論者が多い中にあって、私の目にした新聞記事の中では丹羽宇一郎氏(伊藤忠商事会長)だけが安倍首相を評価していた。「トップには、あらゆる批判を承知の上で、誰にも相談せず、『撤退の決断』をしなければならない時がある。首相は猛烈に悩んだ末、最も難しいこの決断したのだろう。…(首相は)自分の命のことなど考えなかったはずだ。…首相は決断ができる腹のある人間だ。」(読売新聞、2007年9月13日)の同氏の見解に私も同感だ。

 政治家の仕事は国民の生活に責任を持つことと、国民に国家の理想やビジョンを提示することだ。このうち、政治家は後者をより重要視した方が、政治家と国民の関係はより幸福なものになると思う。生活上の要求はきりがないのに対して、理想やビジョンを示し政治家がそれを率先垂範していけば、国民は自立を志向し自分で問題を解決しようとするからだ。

 安倍首相は、憲法や教育基本法の改正という国の根幹にかかわる課題を提示することで、国のビジョンや青写真を共に議論する必要性を国民に訴えた。それは構造改革の必要性を訴える以上に重要なことなのではなかろうか。

 日本にとって最も重要なことを勇気を持って声高に主張した功績は正当に評価されてしかるべきだろう。

 失敗から多くを学んで再登板の機会が与えられれば、歴史に名を残す偉大な首相になるのではなかろうか。「人間万事 塞翁が馬」である。