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This is the archive for July 2007

2007/07/15

 フォーマルな会議から家庭での対話まで、私たちの日常は話し合いの連続です。その中でどれだけの話し合いが、参加者全員が納得し満足することのできるレベルに達しているでしょうか。昔から、「会して議せず」(人が集まるもののちゃんと議論をしていない)、「議して決せず」(議論はするものの結論をあいまいにしたままで終わってしまう)、「決して行わず」(決めたものの実行しない)と言われてきました。

 話し合いの成否は、①成果と満足感の両方が達成できたか②問題の核心を見つけ出せたか③実行につながる結論を出したか、を基準に考えることができます。

 また、話し合いを成功に導くには次の7つの原則が大切です。
①話し合いの「内容」と「進行」を分ける。
②誰もが安心して発言できる場を作る
③議論はできるだけ広げてから絞り込む
④一度にひとつのことしか議論しない
⑤「空中戦」を「地上戦」に落とし込む
⑥自分の都合と他人への配慮を両立させる
⑦決まったことは24時間以内に確認する。

第一の原則
話し合いの「内容」と「進行」を分ける

 話し合いには2つの要素があります。ひとつは、話し合いの内容、つまり議論のテーマや話題です。もう一つは内容をどうやって話し合うか、すなわち進め方です。

 会社の会議では、リーダーが内容を決める力と進め方をコントロールする力の両方を持つことが多く、その結果、リーダーの思い描く結論に向けて話し合いが進んでいくことが多く見受けられます。それではリーダーはよくても、メンバーは馬鹿らしくて発言する気になりません。一人の人が内容と進め方の両方をリードすると、メンバーの納得感が大きく下がってしまい、結論を実行する気にならなくなってしまいがちです。真のコンセンサス(合意)を得るためには全員が納得できる進め方で話し合うことが何よりも大切です。進め方の公平性を保つためには、内容と進め方をきっぱり分けてしまうことが一番です。

 また、話し合いには次の4つの役割が欠かせません。
①議長(リーダーまたはオーナー)
 話し合いで決まった事柄に対して最終的に責任を取る人です。内容に対するリーダーです。
②進行役(ファシリテーター)
 話し合いの進め方に対するリーダーです。メンバーはもちろん、議長といえども進行役のリードに従わなければなりません。その代わりに進行役は、中立性を保つために自分の意見を述べることはできません。
③記録係(書記)
 話し合った内容を記録して定着させる人です。記録係の役割は、議長や進行役と同じくらい重要です。
④監視役(タイムキーパー、レフェリー)
 時間とルールを管理する人です。

 議長と進行役はなるべく別にした方がよいのですが、進行役が記録係や監視役を兼ねるケースはよくあります。
(堀公俊『「話し合い」の新技術』プレジデント社を参考にしました)
 人の死は日常的な出来事である。地元紙の死亡欄を見ると毎日何十人もの人が亡くなっていることがわかる。他人に起こって自分に起こらないはずはないし、これまでの人類の歴史を見ても人は100年内外生きて必ず死んできた。しかし、「死ぬるとは人のことかと思いしに俺が死ぬとはコリャたまらん」という川柳が生まれるなど、人は、特に若いときは、死を自分のこととして捉えることはあまりしない。

 親や教師は受験を間近に控えているなら、受験の準備をしなさいと言い、旅行業者は赤道を越えていく観光客に対して、夏と冬が逆転するからと、衣服の準備を怠らないようにアドバイスしてくれる。しかし、親は愛する子に対してさえ、死後の世界はこのような価値基準の社会だから、そこで評価されるよう準備しておきなさいとは、特別の信仰を持っている場合を除けば、言ってくれない。「人は死ねば意識もなくなってしまうから、生きているときのことだけを考えていればいい」と考えているから、死後の世界のことに言及しないという場合もあるだろうが、死後のことはよく分からないから言わない場合のほうがずっと多いのではなかろうか。

 今日の日本では、民も官も健康維持のための商品やサービスの開発に余念がない。「健康がなければしたいことができませんよ。健康あってこその人生ですよ」と、健康が人生における最大の価値であるかのように宣伝し、事実そのように考えている人が多い。

 しかし、健康を第一と考える健康信者になっても、人は必ず死に、遅くとも死の間際には健康を失ってしまうのだから、健康を第一と考える自分と、健康を失って死んでいく自分をどう折り合いをつければいいか分からず、無力感と絶望の中で死んでいかなければならないのではなかろうか。そのことに対し、健康を第一と宣伝した民も官も何もしてはくれない。自分で解決しなければならない問題なのだ。

 最近、死後における霊の世界の状況を描写する歌が流行したり、霊の世界を構造的に説明する人がマスコミでもてはやされている。WHO(世界保健機構)も、従来の健康の定義が身体的健康と精神的(心理的)健康と言われてきたのを修正し、これらに魂の健康すなわち霊的健康という言葉を加えた。大学で死を通して生を考える教育を行っている教授によれば、学生たちは自分を見つめ、さらには自分の生きがいを考えるようになったという。

 慎重な人は、自分の言動が他者にどう影響するかを予測できないうちは言動を控えがちだ。同じように、今生きているこの世界での生き方が死後の世界にどのように影響するかが分からなければ、毎日の生活が、自分のすべきことをしないで妥協して生きているとしか感じられず、生きること自体が苦しくなってくる。死と真剣に向き合うほど、そのような苦しみが解けてきて、生が充実してくるのである。