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This is the archive for April 2007

2007/04/15

 パスカルは『パンセ』の中で「人間は一本の葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である」と述べた。考えることこそ人間を人間たらしめるものだと言いたかったのだろう。

 考えるために最も重要なことは、読むことだ。読むことで知識を得、想像をめぐらし、人の人生まで追体験し、生きるエネルギーを得る。書くことも大切だ。考えたことの筋道を整え、書いたものを見ながら、更に思索を深めることもできる。

 先日、衆議院議員の岩國哲人氏の講演を聴き感銘を受けた。今年の3月までの十年間、毎週政治的主張や国際会議の報告、随想などを執筆し、「一月三舟」という名前のコラムとして「日本海新聞」や「大阪日々新聞」に掲載したという。

 同氏は、平成元年に出雲市の市長となり、市役所つまり「市民のお役に立つ所」と名乗り、住民サービス業と言うのなら、土曜日も日曜日も開けないといけないし、デパートやショッピングセンターの中にも店を開けなければならないと主張し、その通り実行した。このような実行力は、おそらく出会ったアイディアに筋道と輪郭を与える同氏お得意の「書くこと」を繰り返すことによって、形成されたのかもしれない。

 人間にとって「書くこと」は、人間の尊厳性や魂の問題であると認識させてくれるのは、「銀の雫文芸賞」を創設した雫石とみ氏(平成15年2月8日、享年91歳で死去)だ。

 同氏は明治44年、宮城の貧しい農家に生まれた。父は炭坑で働き、母も土木労働者だった。貧乏で学校にも十分通えなかった。相次ぐ両親の死後上京し、日雇いで生計を立て、結婚して母となるが戦争で全てを失い、天涯孤独の身となった。左目を失明し、女性浮浪者のための保護施設に入るが、そこで暴力やいじめを受けた。

 そういう中で、同氏は日記を書き始めた。良いことも嫌なことも、また自分の中にある感情も書かなければ自分を確認することができなかったという。拾ってきた辞書で漢字を覚え、日記を元に綴った作品が労働大臣賞を受けた。こつこつ貯めた金で家を建て、その家を売って文芸賞を創設した。

 同氏は「日記は友達だった」「書かなければ生きられなかった」と述懐し、「神様はいいこと授けてくれたと思いますよ。書くことは誰の手も借りずに一人でやれる」「天に生かされたんだね。だからズルズルと生きてはいけない」とも述べている。

 私は今月、「毎月ニュース」40号分(1号~40号)をまとめて『心情論理で生きる――愛と価値の四〇章』(文芸社刊)を上梓した。できた本を見て、「書くことは自分の正体を明らかにすること」だと感じた。自分の脳の中にあるものに、万人が見ることができる形を与えることで、今後自分を成長させる方向性が少し見えたような気がした。